第5話 中野区連続猟奇殺人事件4

 業務机を資料ファイルとペットボトル飲料で散らかせて、半分くらい意識を夢の中に置いてきている塚本に、「少しは片付けたらどうなんだ。ここまで散らかっていたら、何か必要なものがあった時に探すの手間だろう」溜息をつきながら肩を思いっきり落合は揉んだ。



 悲鳴を上げて跳ね起きた塚本は落合の手から逃れようと力で対抗するが、いくら太腕の塚本でも肘を曲げた状態では、背後から全力で肩を掴んでいる拘束を解くことはできない。



 悲痛な絶叫が深夜の署内に響き、あちこちと自分の机で仮眠を取っていた刑事たちが鬱陶しそうに、傍迷惑だと表情で塚本に訴えている。周囲からひんしゅくを浴びた塚本に、「ちょっと付き合え。散歩に行くぞ」椅子の背もたれに被せたコートを頭から被せ、落合も一度自分の机に戻ってコートを手にした。



「落合さん。散歩ってまだ日も出てないじゃないですか。もう少しだけ仮眠とらせてくださいよ。倒れちゃいますよ」

「お前は五時間の睡眠を仮眠と言うのか? 過眠だ、それは」

「え、言わないんですか?」

「一時間も眠れば十分だろう。この職業で快眠できるようになったら、もう刑事なんていらねぇよ」



 背後で大きな欠伸をする塚本は行き先も聞かずに落合の後を付いてくる。本当にただの散歩だと思っているのなら、独立させるにはまだしばらくの時間はかかるだろう、と落合は溜息をつく。



 上野家から警察署に戻って二日の間、被害者と上野家の関係を探ってみたが全くといって繋がりは無かった。被害者は千葉県松戸市に住むフリーターで職場は日暮里にあるファミレスだった。自宅や勤務地からも中野にある上野邸まで距離がある。そもそも新井薬師付近なんていう何も無い場所に足を運ぶような用事もないはずだ。



――被害者は殺されてから上野家に運ばれた。となると……。



 上野家の半密室となる敷地内に遺体との侵入方法に加えて運搬の問題も解かねばならない。いくら深夜の住宅地といえど、車などで運搬すれば誰かしらの眼には止まりそうなものだ。しかしどうして犯人はわざわざ上野家の敷地に死体を遺棄したのか。あの家には給仕も住み込みで生活している。誰かしらが起きていても不思議ではない。



 上野智恵が深夜に家を抜け出して出歩いていたという時間は一時間ほど。そのタイミングですべてを終わらせていなければならない。彼女の習慣としている深夜の散歩を知っていて、家を抜け出したタイミングを見計らった犯行であるなら、何かしらのメッセージが存在するはずだった。



――いや。あの時間。美園涼子が朝食の支度を厨房でしていたか。



 厨房は上野邸を正面から見て左手側にある。遺体も庭の左端に立つ桜の樹にもたれかからされていた。何かしらの物音を聞いていた可能性もあるが取り調べの際には何も聞いていないとハッキリ言った。防犯の為に窓や戸を閉め切っていたのであれば聞こえないのかもしれない。



 警察署の外は車の通った時くらいしか音という音は無く、「うっわ。寒いですね。ここ最近で一番の寒さじゃないですか?」並んだ塚本は見せつけるように白い息を長く吐いた。



「暖かい場所だと脳も緩慢になって見落としも多くなる。捜査になりゃしねぇだろ」



 あんな悪環境では捜査にも見落としが出てくる。実際にあの部屋で数名は起きて資料に目を通したりをしていたが、いかにも頭が働いていないような眠たげな顔をしていた連中ばかりだった。落合も少し眠気を覚えたからこそこうして部下を連れて外に出たのだ。



 そしてもう一つ、事件とはあまり関係がないだろうと判断をしてはいるが、あの日からずっと頭から離れずにいる悩み種があった。



 ひとまず中野駅方面へと歩き出しながら、「お前はどう思う。上野智恵について」隣を歩く塚本に一瞥をして聞いた。



「え、ああ、智恵さんですか。とても美人でしたよね、顔も小っちゃくて、品性が備わっていて……、でも、驚きましたよ。あの緑色の眼は」

「そう、それだ! お前はあの眼に見られていて何も感じなかったか?」

「自分は何も……。そうだ、智恵さんについて調べていて分かったことがあるんです。智恵さんが通っていた学校の事なんですけど、彼女、どうやら怖がられていたみたいですよ」

「怖がられていた?」



 おもわずオウムのように返した俺に頷いた塚本は、「クラスの半数以上……、というより、二名を除いて距離を置いていたようです」寒さで声を震わせながら言った。



「なんでも、彼女と関わった数名が登校拒否をしていたみたいで、その子たちが言うには、上野智恵が怖い。特に何かをされたわけじゃなく、彼女の眼を見て、彼女の声を聞くだけで……、ええ、死神や死者と接しているような気になってしまうんだとか。起きていても眠っていても、あの眼に囚われて精神を病んだと言うんですよ」

「馬鹿馬鹿しい話だな」



 そうは言った落合だが、実際に自身も彼女の眼に囚われているのかもしれないと思った。非現実的で、個人を貶める差別的な考えにはなるが、まさに死という概念に人間の器を与えたような子だと印象を受けた。大人の自分がここまで気になってしまうくらいだから、もしかしたらまだ精神的に不安定で未熟な子供からしたらそれは恐怖なのかもしれない。



――実に馬鹿馬鹿しい。上野智恵は少し目の色が特徴的なだけの、普通の女の子だ。



 彼女の眼の色は利佳子の母親、上野智恵からすれば祖母に当たる人物がアイルランド辺りの出身で隔世遺伝という形で現れていると塚本の調査で明らかになった。



 だがどうだろうか。彼女の眼は自分たちを見ているようで見ていない。もっと深い部分を覗かれているあの感覚がただの錯覚だとも思えないでいた。



「自主退学の理由はそこにあるのか。それと、お前の言っていた二名については調べてあるか?」

「もちろんです。ですけど凄いですよ、その二名の友人のうち一人、あの千丈家のご令嬢なんですから」



――千丈家……、か。高嶺の花が二輪並んでいたのか。



 ここからでも見える、駅近くに並んでそびえ立つ企業ビル。



「大物議員の娘と大企業の娘が一緒に行動していたら、多少は気が引けるよな。それでもう一人の友人は?」

「江古田にある小さな神社を管理する宮司の娘ですね。二人からしたら家柄は普通ですけど、彼女自身が学校内で、それも教師側からですけど有名な生徒でした」

「結局有名人か。それで、その神社の子はどういう意味で有名なんだ? 教師側で有名になる奴なんて手の付けられない不良とかくらいだろうが、ご令嬢二人と行動しているんだ、そんな理由じゃないだろ」

「はい。恐ろしいくらいに頭が良いんですよ。なんでも、大学教授くらいの知識量と、警察もびっくりの発想力があるらしくて」

「確かに有名になりそうだな」

「ですが、彼女の有名話はこれじゃないんです。口が少し悪いのもまだ可愛い方です。教師を相手に受業をするんですよ。担当の教師を鼻で笑って、自ら教壇に立つと教師を自分の席に座らせるという、教師からしたら屈辱モノですよ。頭の良い人って何を考えてるか分かりませんよね、よく大きな事件で犯罪者が高学歴ってよく目にしますから」



 高学歴な人間が犯罪に手を染める事例は多い。90年代後半に都内の地下鉄で起きたサリン事件なんて良い例になるだろう。日本赤軍やあさま山荘事件に加担していた組織内部でも高学歴な人間が多くいる。しかし彼らが目立つのは幹部だからという理由であって、組織全体で見た場合は平均的な人間の方が圧倒的に多い。



 事件に学歴なんて関係ない。犯罪を起こす奴は起こす、ただそれだけだ。だから塚本の持論に、「テレビの印象操作に踊らされるなよ。間違った正義や、自己達成に酔う奴が事件を起こすんだ。警察や政治家の汚職事件もそうだろ」釘を刺した。



「まあ、教師相手に受業するなんて普通じゃあできないだろうが、高学歴者が犯罪者予備軍だっていう考えは改めろ。変な先入観を持っていると捜査の目が曇るからな。いいな?」

「すいませんでした」

「謝ることでもないだろう」



 上野智恵の学友の話はここで終わり、事件とも関係の無い世間話をしていたら、まだ始発も走っていない中野駅に到着した。



「ここから何処に向かおうとしているか、察しはつくか?」

「いえ。全くつかないですね」

「ならヒントをやる。次は跨線橋だ」

「跨線橋ですか。ずいぶんと近い場所ですね。あ、跨線橋と言えば」

「よし、跨線橋と言えばなんだ?」

「カメラ持った人がいたりするんですよ。もしかして落合さん、自分と始発電車を見たかったり、ですか?」

「どうしてそうなるんだよ、お前は」



 大きな溜息をしてしまった。こいつの察しの悪さには、聡士朗から公の字を剥奪してやりたくなった。恥志朗という名前の警察手帳に一新して過ごさせたくもなる。



「いいか、最初は中野駅で次は跨線橋、その次は平和の森、そして最後は上野邸の順で回るぞ」



 ここまで言ってようやく聡士朗は、「被害者が遺棄された順路!」背筋を伸ばして申し訳なさそうに頭を下げた。



「お前にも考えてもらうぞ。遺体の運搬方法と犯人の死体遺棄現場の選定をな」

「一人目の被害者は死後四時間くらいでしたよね。死因は心臓を刃物で突かれた失血死。花を胸に挿す意味が明らかになれば犯人に繋がるとは思うんですけど」

「そうだ。毎回、被害者は心臓を突かれ、花が挿されている。これは犯人が主張したいメッセージだ」

「被害者達にも接点はないですし、若い女性というくらいで……、今回は男性でしたけど。疑問に思う所は今まで屋外だったのに、どうして今回は上野家の敷地内だったのでしょう。あ、でも一応屋外ですね」

「俺はこう考えている。上野議員に恨みを持つ奴の犯行かもしれない、とな」

「でも、今回の事件だけじゃ」

「あくまで可能性だ。常に幾つかの可能性は頭に入れておけ」

「落合さんは今回の事件でその可能性があると思ったんですか?」

「いいや。三件目でもしかすると、と浮上して、今回で俺の中で最も有力な候補になった」

「えぇ!? でも、どうして」



 上野議員は中野区をより良い町に、というマニフェストを掲げている。その第一項目に中野駅改装案、取り壊されそうになっている跨線橋の維持。平和の森公園には都心の忙しさを忘れさせる楽園化。



 だがしかし、本来であれば次に来るのは全寮制の低額私立校の設立であった。その予定地とされるのが中野区弥生町となっている。その予想を裏切る形で遺棄された場所は上高田にある上野邸。



――上野議員と関係する場所に変わりは無いが、この線での犯行は怪しいか。



 それでも上野議員に関係する地で起きている以上、彼に何かしらの感情を抱いている人物である可能性はまだ色濃い。



――少なくとも幾つかの可能性の中ではまだ現実味がある。



「おい、塚本。遺体に挿されていた花については、鑑識から聞いているか?」



――異なる花が挿されているのだから、そこにも意味があるはずだ。



 跨線橋へ歩きながら塚本は手帳を取り出し、携帯電話の明かりを頼りにページを捲ると、「一件目がオドントグロッサムという花らしいです。アメリカでよく目にされる花らしいですよ」

「犯人は花言葉にメッセージを残している、と考えられるな。恋人に贈ったりするだろ。俺も昔は奥さんに贈ったからな」

「自分は贈ったことないですよ。二件目から花言葉に捜査の目も向けられていたみたいですけど、被害者と犯人に繋がりそうなものは何も」

「俺は薔薇しか贈ったことがないんだ。一件目から四件目まで花言葉を教えてくれるか?」



 手帳を捲って、「一件目のオドントグロッサムですが、特別な存在という意味があります。二件目はレンギョウで、これは希望の実現」聞くだけではそう恨み辛みの花ではなさそうだが、ここで言葉を止めた塚本を横目で見る。



「どうした。三件目からは、まさかメモをしていませんとは言わないよな」

「ちゃんと鑑識から花名を聞いて、花に詳しい女性警官に花言葉の意味も聞いていますけど」



 なにか言いにくそうな塚本に、「言ってみろ。どうせその表情だと、何か縁起が悪いものなんだろ」前もって準備はしていると訴えた。



「三件目はクロユリという花です。映画のタイトルにも使われましたよ、ホラーですけど」

「物騒な名前だな。で、花言葉は?」

「愛や恋という花言葉がありますけど、呪いや復讐といったものもあります」

「後者で挿したなら、ガラリと雰囲気が変わるな。まあいい。四件目の上野邸で挿された花の意味はなんだ」

「母子草という花で、意味はいつも想う、私を忘れないで、等ですね。親が子に対する想いの花だとか。これだと、三件目とは正反対の優しい花言葉ですけど。これって、三件目も愛とか恋の意味で捉えていいものなんでしょうか」



 この花言葉からでは犯人の意図を汲み取ることができない。しかし花が無関係でないとも言いきれない。落合は塚本から聞いた花名と花言葉を頭の隅に留めておくことにした。


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