第4話 中野区連続猟奇殺人事件3
テレビでは四人目の被害者について報道していた。遺体が発見されたのが国会議員、それも次期総理と期待が高い上野典昭の邸宅と繰り返し報道している。
四人目の犠牲者を出してから二日が経った。
警察の公表によってカメラを担いだ報道関係者がわんさかと上野家へと押しかけてくる。上野邸とを隔てる板垣の向かい側にはレポーターがカメラの前でマイクを手にして興奮している様子。
お母様はそんな彼らを害虫でも見るように、二階の自室から見下ろして舌打ちしていたという。お母様の部屋は居間のちょうど真上にあり、つまりは正門側にある。
お母様のご機嫌伺いに涼子さんの次に古参の給仕、
居間で焼きそばを食べながら、逃げるように降りてきた金田さんの泣き言を聞いていた私は、「お母様にも困ったものね。金田さんは悪くないのに、これでは八つ当たり。気にしなくていいのよ。さあ、涼子さんの作った焼きそば、金田さんも頂きましょう」肩を狭める金田さんは、ほとんどが白髪の頭髪を撫でながら困ったように笑い、「お嬢さまはお優しいですね。美園さんが昔から親身に育てられたことはある。奥様は自分のことばっかりで、私たち労働者のことなんてこれっぽっちも考えてくれない」嘆きながら両手を合わせて、焼きそばを小皿に分けて食べ始めた。
「お母様に聞かれたら、また雷が落ちそうね。まだ真上にいるでしょうし」
肩を竦めて悪びれた笑みを見せたタイミングで涼子さんが戻ってきた。
「金田さん。言ってくれたら私が奥様とお話しましたのに」
「いやいや、いつもいつも美園さんを私たちの矢面に立たせるわけにはいきませんから。それより美園さんの焼きそばはいつ食べても美味しいなぁ」
「智恵さんからのリクエストで、給仕の方達含めて朝食は焼きそばです。奥様は好まれないので、別で作ったところなの」
「お嬢様は昔から焼きそばが好きでしたね」
「特に涼子さんの作った焼きそばが一番好きよ」
三人で談笑していると、一仕事終えたまだ若い給仕二人が、「僕達も一緒していいですか?」卓の上にある山盛りの焼きそばを見て言った。
上野家に住み込みで仕える給仕が揃った。たった今来た二人の給仕のうち背が高い方は、
二人ともまだ二十代半ばと頼りになる新人。将来は調理担当と造園担当として期待がかかり、彼らを指導するベテラン二人もまた気合いが入っている。
そんな二人は私を左右で挟むように座り、「倒れたら大変だからな」と小野さん。「立ち上がるときも、僕等がいた方が安定すると思いますから」松田さんはニコリと笑う。
二人の妙に近い距離感に何も言わず、中央の大皿に盛られた焼きそばを自分の皿に移していると、「美園さんの飯ってどうしてこうも美味なんだろうな」調子よく小野さんが言った。確かにどうしてここまで美味しいのだろう、と内心で彼の口に出した疑問に同意した。
「厨房を担当させてもらっているんですから。美味しくないものは出せないでしょう。美味しいご飯を食べてもらいたいじゃない。将来は期待しているのよ、小野君」期待を寄せられた彼は、「美園さんより美味なものなんて作れませんって。プレッシャーですよ」オーバーに両手を広げると私の腕に彼の手がぶつかった。
「おっと、すいません、智恵お嬢」
「小野さんの料理、まだ食べたことないわ」
そう言うと松田さんが、「勝巳はね、菓子作りは見事だけど、料理は素人なんだ」将来の食卓が不安だ、と付け加えて笑った。
「そんなことないのよ、松田君。最初の頃より大分上手になっているんだから。そうだ、今日の夕飯は小野君に作って貰おうかな」
涼子さんの提案に慌てて、「いや、止めてくださいよ。俺の料理なんて出したら、上から雷が落ちますって」両腕を顔の前でクロスし、人差し指を真上へ向けた。
この上にはお母様がいる。
ジョークを交えても伝わる本気の焦りが居間を賑わす。楽しい時間には凄惨な事件なんて入る余地もなく、心から楽しいと思える時間を過ごせていた。
朝食を食べ終えて片付けに掛かろうというタイミングで玄関に置かれた電話が鳴る。涼子さんと小野さんは食器を洗うべく厨房に引っ込み、私を立たせてくれた松田さんも手が塞がっている。残る庭師の金田さんが電話へと急いで向かった。
すぐに居間に顔だけを覗かせて、「お嬢様、ご友人からですよ。ええと、あの大企業の……」その言葉に驚き、松田さんに玄関まで付き添うよう願った。
保留のまま受話器が電話の横に置かれている。
恐る恐るという表現がしっくりくる様子で受話器を手に、保留を解除し、「お電話代わりました。智恵です」自分でもどうして、と言いたくなるような強ばった声。
そんな私の言葉とは正反対に、「智恵久しぶりじゃん! 何ヶ月ぶりかに聞いた声だぁ。大変だったんだぞ、電話番号を調べるのも」中野区の元気を集めたような弾けた声。
「三ヶ月くらいかしら。元気だった? 千丈さん」
「うっわ。千丈さんだなんて、いつから私たちの友好度は苗字呼びの他人近くまで下がったんだよぅ。暴落ぅ。いつも通り、
「ごめんなさい。そうね、智檡。嬉しいわ、久しぶりに声が聞けて」
私の鼓動は速くなっていた。受話器を握る手にも力がこもってしまう。彼女の声をしっかりと聞きたい。もっと聞きたい。その想いが意識を耳に集まっていく。
彼女、
そんな彼女こそ、在学中に私と一緒に居ても怖がらない親友の一人。
「今からちょっと出掛けない? もちろん
「でも、外には」
「ああ、それなら大丈夫だと思うよ。さっき上野議員と実家の方に智恵のお母さんからメールが送られたみたいだし、直ぐに外の邪魔な報道陣は撤退するはずだよ」
「まあ。人のメールを覗き見るなんて趣味が良いとはいえないわよ、智檡」
「もっと趣味の悪い事件なら中野区で起きているけどね。ってことで、一時間後くらいに智恵の家に集合ってことで」
通話は切れた。
私を支えてくれていた松田さんが、「お友達と楽しい時間を過ごしてきてくださいね」常に浮かべているニコニコとした顔で言った。
そのまま松田さんに部屋まで連れて行ってもらってからしばらく一人の時間を過ごす。
――智檡……、紗鳥。ああ、懐かしい。二人を前にしてちゃんと喋れるかな。
いつも学校で一緒に行動していた親友の二人。学内ではどこに居ても目立つ三人だった。時期総理の期待が掛かる議員の娘。世界で活躍する大企業の娘。江古田地区で小さな神社を管理する宮司の娘。珍しい家系の三人が揃えば学年問わずに名物となる。
頭は悪いけど機転が利く智檡。口は悪いけど頭が良い紗鳥。
――私には……。
何もない。
二人と会える喜びと同じくらい、彼女たちとなら共感しあえるかもしれないと抱いた期待が、自主退学して以来沸き起こることの無かった興奮が頬を緩ませた。
特に千丈智檡。彼女はいつも笑顔を咲かせて男女問わずに人気があり、私にとっては羨ましい環境の渦中に身を置ける資質を持っている人だった。しかしいつも彼女は私を優先してくれる。常に傍に居てくれる。その善意の正体は分からないけれど、彼女の何かしらの感情の矛先が自分に向いていることはわかった。
――智檡。貴女も有力候補なのよ。
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