第2話 中野区連続猟奇殺人事件1

 事情聴取にあてがわれたのは涼子さんの部屋だった。彼女の部屋は屋敷の裏庭に面して、縁側を挟んだ庭には暗闇の中でも浮かび上がる大きな影がそびえ立っている。



私は其方へ意識的に視界に映さぬよう、男性刑事二人に身体を支えられながら彼女の部屋に踏み入れた。



 可愛らしいカーペットを敷いた清掃が行き届いている生活感のある部屋。ベッドには上野家の給仕達と一緒に撮影した写真が飾られている。涼子さんが浮かべる表情とは対照的に薄ら寒い眼で微笑んでいる私の姿。



 庭側には二人の刑事が腰を下ろした。お陰であの黒い蔵が視界に映らなくなって安心した。



 一人は四十代くらいの年季が入ったコートを着た、最初に家に上がってきた男性の刑事。もう一人は若く大柄な身体に不釣り合いな優しい顔付きをした男性。



 刑事二人の視線が私のいろを見て多少の驚きを見せたが、直ぐに表情を取り繕った壮年の刑事が聞いてきた。



「事情聴取なんて初めてで緊張されているのでしょう。ですが、ちょっとお話するだけですので固くならなくていいですよ」



 手話でもない謎のジェスチャーを交えながら眼を細めて彼は笑った。しかしその細められた視線が私の挙動や反応を見逃すまいと注視していることはなんとなく感覚できた。



「お前も何か話さないか。こういった場合、相手とのコミュニケーションだろうが」



 苦笑しながら若い刑事に肘で脇腹を軽く小突く。



「そうですね。えぇと、好きな食べ物とかって」

「馬鹿っ! 見合いじゃねぇんだから」



 刑事とは思えない二人のやりとりが面白く、あの日の日常を思いだし、少し口角が持ち上がってしまった。



「刑事さん」



 呼びかけに二人は姿勢を正した。



「お名前を聞いてもよろしいですか」



 壮年の刑事がコミュニケーションと言った。まず初めにソレを円滑にするには互いを知る必要がある。他人との共感を何より求めているのを自覚しているからこそ、刑事でも誰でもいいから相手を知り、自分を知ってもらいたかった。



「おっと、これは失礼しました。中野警察署の落合おちあいと言います。んで、こっちが」

「同じく中野警察署の塚本つかもと聡士朗そうしろうです。上野智恵さん、人の死を目の当たりにしたばかりでショックを受けられているとは思いますが、可能な範囲で構いませんので話していただけませんか。もちろん具合が悪くなったりしたら遠慮なさらずに言ってください。遺体の様子からして四人目でほぼ確定ですから」



 しかし彼らの期待に添えるような説明も持ち合わせてはおらず、ただ夜間外出から帰宅したら桜の傍で男性が胸から花を咲かせて亡くなっていたとだけ話すと、落合刑事は人差し指でこめかみをクリクリと弄りながら、「でしょうな。それより、未成年の夜間外出は我々警察の職務対象なんですがねぇ……。まあ、今回は本人に厳重注意ということで済ませましょう」事件のことより夜間外出の方を指摘された。



「そうそう、お出かけの際はちゃんと門戸に鍵は掛けましたか?」

「帰宅した際に解錠したのをはっきりと記憶しています」

「では、犯人はどこから敷地に侵入したのでしょうな。この屋敷を囲う二メートル超えの板垣の上には、有刺鉄線が目に付かないよう上手い具合に配線されていますからね」



 落合刑事の言うとおり、猫や鴉対策として有刺鉄線をお父様が敷いた。門戸にはしっかりと施錠がされていて、屋敷を覆う板垣には有刺鉄線。ある意味では密室だけど、密室というのは常識が凝り固まった思考の最たる結果で判断した状況でしかない。探せば穴なんてどこにでもある。ただ見つけられないから密室という幻覚に捕らわれてしまう。



 黙り込んでしまった私に落合刑事は一つの冗談を投げかけた。



「こいつの聡士朗という字なんですがね、聡いと書くんです。だけど実際刑事三年目にしても新人感覚が抜けねぇし、見落としは多いであんま聡くないんですよ。俺はこの大きな子供をいつまで面倒みてやらねばならんのでしょうなぁ」



 彼の冗談に思わず喉が鳴ってしまった。



「でも塚本さんはとても紳士ジェントルな方。先ほど、私に気を遣ってくださいました。紳士的な刑事さんは素敵だと思います」

「良かったな、紳士ジェントル刑事」



 にやりと含んだ笑みを隣の塚本刑事へ向けると、「落合さんだって、みんなからシブさんって言われてるじゃないですか」彼も大柄に釣り合う大きな声で反論した。



「シブさん?」

「ええ、ほら、なんというかちょいっと渋い面をしているでしょう。それで同僚が言い始めて、部下も面白がってそう呼ぶんですよ。まったく上下関係なんてあったものじゃありませんな」



 目元がはっきりとした凹凸の造形。普段の外回りで焼けた褐色の肌と顎回りの無精ヒゲに不潔感はなく、むしろやり手のディーラーのような品の良さを感じられた。



「とてもお二人は仲がよろしいのね、羨ましい」



――私にはもう仲の良い友人なんていない。



 息が合う二人のやりとり。落合刑事もなんだかんだと塚本刑事を新人扱いするが、きっと奥底の秘めた箇所で彼を信頼しているのだろう。そうでもなければ仕事中にこんな茶々をいれるはずもない。



「私も落合刑事のこと、シブさんとお呼びしても?」

「上野さんもですか? ええ、まあ、仕方ありません。特別ですよ。それでですね」



 脱線した話を落合が軌道を戻した。



 少し真面目な口調で、「亡くなった男性と面識はありませんか?」上野家との関係性を疑っている様子。



「いいえ、私は知りません。もしかすると、両親か給仕の誰かの関係者の可能性も」



 そこで当然の疑問が浮かんだ。



――どうして上野家の庭に遺体を置いていったの?



 これまでの遺体は公園や跨線橋といった屋外に遺棄されていた。それがなぜ今回は上野家の庭なのか。そもそも犯人は遺体をどうやってほぼ密室状態の敷地内へと運び込んだのか。私が出掛けている一時間前後に侵入したのは確実だ。




「私からも一つ、お聞きしても?」

「ええ、どうぞ」



 落合刑事はある可能性を睨んでいるのではないだろうか、という予想が膨らんでいく。



「シブさんは疑っているのね、上野家の人間の誰かしらの仕業かもしれない、と」

「気を悪くしないでくださいよ。職業柄というやつで、ありとあらゆることに疑って掛かれと先輩から叩き込まれて教育されたものですから。実際に手を下していなくても、犯人の協力者という可能性だって考えられます。ですがね、そう仮定した場合ですよ。自分に疑いの目が向くかもしれないっていうのに、そんな危険を冒しますかねぇ」



 落合刑事の推論に、「怨恨ですよ! ほら、よくドラマでやってるじゃないですか。捨て身の覚悟で犯行に至るってやつです」塚本刑事が手帳を開いて晴れた表情で人差し指を立てた。



「お前ってやつはなぁ。お嬢さんの前で恥を晒すんじゃないよ。聡と恥は字が似てるな。お前から公の字けいさつを取ったら恥になったぞ、塚本ぉ」

「すみません。自分は黙ってますので、どうぞ続けてください」



 見事な恥ずかしい姿を見られて萎縮してまったのかもしれない。彼は広い肩を狭めて視線を膝に落としてしまった。落ち込む後輩を一瞥したシブさんは私へと目を向けると、肩を竦めてスーツから財布を取り出した。



「これで何か飲み物買ってこい、俺はコンポタな。休憩を挟みますんで上野さんもリクエストがあれば」



 お汁粉を頼むと、「シブさんも上野さんも変わったモノを好みますね」小銭を受け取った塚本が大きな身体を揺らしながら立ち上がって笑った。



「おら、早く行け。後がつっかえてんだからな。コンポタと汁粉缶を見つけるまで帰って来んなよ」



 尻を叩かれた塚本は大きな足音で、床を軋み上げさせながら部屋を飛び出していった。



「まあ、智恵さんもこれ以上話すことは無さそうですな。後に控えた上野家の人間ですが……、正直に言ってしまうと、一番怪しいのは美園涼子なんですよね。彼女、朝食の準備で厨房にいたらしいですから」

「それと、私を疑っていますね。先ほどから私の挙動や反応を注視されているようでしたし。私が関与していなくても、何かを知っている可能性を見抜こうとされていたのですよね。色々と事件の推論を聞かせてくれたのもその為」

「参ったなぁ。見抜かれていましたか。俺もまだまだ青いんですかねぇ。それとも歳を取ったか」

「いいえ。ただ、趣味なんです、人間観察」



 他人に興味はあるのに、みんな自分を怖がって逃げてしまう。学校でも共感なかよくしたいと近づいた相手は次の日か、近いうちに学校へ姿を見せなくなった。



 その眼が怖い。内面を覗かれているようで気味が悪い。まるで死人と会話しているよう。数々の言葉を投げかけられた。段々と自分で自分の居場所を狭めていった。ただお友達が欲しい。相手のことをよく知りたい。知って欲しい。人間関係で当たり前のことを願っているだけなのに、どうしてか誰もが私を避けていく。



「まあ、息抜きに世間話でもしましょうか。智恵さんはまだ学生ですよね。学校は楽しいですか? 次期総理と期待される議員の娘さんだから、その綺麗な容姿と相まって余計に目立っているでしょう」

「ええ、目立ちました」



――死者。死神。魔女と呼ばれた意味合いだけどね。



「学校は三ヶ月前に辞めました。悪いことをして退学になったのではなく、自主退学です。学校に馴染めなくて」

「そう、でしたか。すみませんね、楽しい話題にするつもりが辛い思いをさせてしまったようで」

「気にしないでください。辛い半年間の学生生活でしたけど、親友と呼べる間柄の関係を築き上げることはできましたから」



 唯一、気味悪がらずに在学中ずっと仲良くしていた二人の女生徒。彼女たちはいまも楽しい学生生活を送っているのか気になったが、彼女たちにも自分へ向けられる視線が向かないように縁を切るようにして退学した。いまさら連絡なんて取れるはずもない。



 寂しい思いもあったけれど、これで良かったのだという安心感も混在して私の心を掻き混ぜた。ちょうどあの二人も落合刑事たちのように息の合ったコンビだった。片方がボケてもう片方が冷たく切り捨てる。そのやりとりを見て笑う自分。思い返せば懐かしさと悔しさが胸の底から湧き上がってくる。



「他にどんな事件を捜査しているのですか?」

「そうですねぇ。詳しくはお話しできませんが、平和的なものであれば、二週間前から新井、松が谷、沼袋でゴミとして出された大量の衣服の窃盗ですな。まあ、寒いですしホームレスが持っていったんだとは思うんですが、それにしても量が多い。一人二人の量じゃないんですよ。百人分かそれ以上か」

「リサイクルショップが開けそうですね」

「こういった事件がないときは、本当に暇なもんです。いや、警察が暇なのは市民にとっていいことなんでしょうが、給料泥棒のお声を時々頂戴しますよなぁ」



 他愛ない話を挟んでから気になっていたことを一つ質問してみた。



「殺された男性。どうして今回は男性が殺されたのでしょう。彼の身分を証明できる所持品はありましたか?」



 普通であれば応える必要もなく、一般人相手に事件の情報を流すような真似はするはずがない。「そうですなぁ」ぼやくように表情が一変。怪訝な顔つきで、「ええ。これも不可解な事ですがね、免許証だけがズボンのポケットに入っていたんですよ。まるで早く特定させようとしているようで」長い溜息を吐いた。



「落合刑事は犯人をどう読みますか」

「心臓を突き、間隙に毎回花を差す儀式めいた行為。ただの異常者で片付けられるような奴だとは思えませんな。何か明確な意志があるように感じられますよ。到底、常人が理解できるようなものでない意志が」

「かもしれませんね。不可解なのが、どうして上野家に遺棄したのか」


 

 理由の分からない、誰かの主張がこの事件を演出しているのかもしれない。

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