花
「そうなるだろうと思っておりました。姉者様もいらっしゃいませんものね。ですからわたし、気付かないふりをして・・行っていただくつもり・・でしたのに・・。」
思わず声がもれてしまって、とファルは言った。バーリにはちょっと言葉がなかった。
「ごめんなさい・・泣くつもりはなくて・・でも兄者様、でも・・」
ファルの口調がすこし早くなった。
「姉者様がいらっしゃらなくて兄者様もいらっしゃらなくなったら、わたし本当にひとりになってしまいますわ・・いえそれは、それはいいのです。今度はわたしが国を継ぐのです、しっかりしなくてはなりませんわ。じきにどなたか良い方と娶せていただき、忙しく過ごすことになると思います。だから大丈夫、わたしは大丈夫・・ですけど・・。」
ファルは潤んだ目でまっすぐにバーリを見た。
「兄者様、姉者様はほんとうに・・ほんとうに兄者様にお目にかかるのを心待ちになさっておいででしたわ。」
バーリはあっと思った。白い花の中の、あのラーダーナの顔が鮮やかにまたも浮かぶ。花の香りの中に、すらりとたたずむラーダーナの姿がちらりと見えた、ような気がする。
「兄者様。」
ファルの声がすこし響いて聞こえてくる。
「姉者様をひとりにしないで・・。」
ファルはとうとう両手で顔を覆ってしまった。泣き声を押し殺す彼女の肩をとんとんと手のひらで叩きながら、バーリの目の前からはもうあの白い花が離れなかった。
彼女は何を言っていたのだろう。
彼女は何を思っていたのだろう。
彼女はどんな気持ちで・・婚礼の日を待っていたのだろう。待って・・待って・・
待っていてくれていたのだろうか。
“ラーダーナ。”
バーリは我知らずそっとそうつぶやいた。
あたりにはただ、静かにすすり泣くファルの声が、小さく漂い続けているだけだった。
-----
城に戻ったバーリは、与えられていた部屋から、婚礼後にふたりで住むはずだった広い部屋に移った。そこには何もかもが二つづつ揃っていた。豪奢なドレッサーやワードローブが整い、中にはどっさりの化粧品やドレス、部屋着の類いが詰め込まれていた。
バーリは奥の間の、五人は眠れそうなだだっ広い寝台の上にどさりと仰向けに倒れこんだ。むこうには大きな大きな窓があり、時折風にゆれる真っ白な編んだカーテンの間から、表の明るい昼間の日射しと、中庭のいっぱいの緑がのぞまれる。擦れ合う葉っぱの音と気紛れに時折さえずる遠い鳥の声しかしない。
バーリはベットサイドに置かれた小さな額に目をやった。中にはファルにもらったラーダーナの肖像画が入っている。国でも一番の画家の作品だそうで、確かに一度だけ見たラーダーナのあの顔も雰囲気も、そのままそっくり写し出されていた。
額の中のラーダーナは微笑んでいた。まるで今にもこちらに何か語りかけそうな、やさしい微笑みだ。バーリはそれを見てちょっと笑った。もう一度頭を寝台につけ、すっかり天井と向かい合う。
“しばらくはあなたと夫婦でいよう、な。”
バーリはそう胸でつぶやいた。
“ラーダーナ。”
くすくすっと笑う声がきこえた。いつもよりはなんだか遠くからに感じる。
「ずいぶん切ないこと言ってくれるじゃない。」
例に依ってシャクティのからかうような声がした。こういう聞こえ方をする時は、彼女は声だけを飛ばしてきている。
「まあすこぶるあなたらしいわね。ロマンティストっていうか何と云うか・・・。こういうとこあたしたち、実は似てないのかもしれないわね。」
それを聞いてバーリは小さく笑った。
風がやわらかくバーリの顔を撫でた。白いカーテンがまたふわりと大きく膨らんだ。気付くと寝台の上に、そして彼の上にも、フューシャピンクの花びらと白い小さな花が、はらはらと撒かれてやさしい香りをたてていた。シャクティの声がする。
“結婚、おめでと。”
バーリは笑みを浮かべて目を閉じた。額に、頬に、花の香りの風が流れた。
あたりは相変わらず、とても静かだった。
<終>
茉莉花 林城 琴 @Meldin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます