別れの詠唱呪文



“eDar’d _haa ji’’m_ ta haa - garb d’aa haa”


 レヴァルの詠唱。

 聞き慣れたこの呪文は、彼が時間をみては練習している時空間に穴を開ける詠唱だ。


 レヴァル……。


 彼の囚われた姿は、吹っ飛ばされた痛みを忘れるほどの衝撃だ。

 白い幹に捕らえられたレヴァルと目があった。ほんのかすかではあるが、彼が口もとをゆがめ、ほほ笑んだ。


 次の瞬間、目の前に時空の穴が開いた。レヴァルが渾身の声で叫んだ。


「行け!」


 アスートの背中を突き飛ばすように叩きこみ、同時に時空に開いた穴に飛び込んだ。


 血にまみれた瀕死のレヴァルを残して……

 最愛の友であり仲間であるレヴァルを残して……


 俺はレヴァルを見捨てた。


「レヴァル!」



 声はフレーヴァング城の正門にぶつかって消えた。とっさの判断で時空の穴に飛び込んだ先はフレーヴァング城だった。


 ガランドード。

 あの化け物からは逃げるしか方法がなかった。

 しかし、レヴァル……。


 根に囚われたレヴァルに自由はない。時空間に逃げ込む隙すらない。

 俺たちのために自分を犠牲にしたのだ。心が血を流す。


 レヴァル……。


「殿下! このまま逃げるんですか」

「黙れ! いま、考えている」


 あの神話──


 太古、神々が辺境の地に死者たちとともに訪れた。天から降りて来た最初の神は、寂しさのあまりに自分の骨を砕き、家族を創造する。


 この地の空気はポイズン。

 創造の神は、ポイズンを浄化するために神樹を植える。


 ……そうか、そういうことか。


 俺に取るべき道があるとしたら……。これが正しい道であることを願うしかない。


「アスート、時間がない。レヴァルを救いに行くぞ。騎士団を招聘しょうへいせよ」

「え? しかし、理由もなくかってに軍を動かすことは……。フロジ宰相になんと言って許可を」

「来い!」


 城内を走り抜け、軍兵の宿舎に向かった。最初に出あった兵の襟をつかんだ。


「おまえ! 名前は? ケンム? そうか、ケンム。すぐさまセルファーを呼んで来い。走るんだ。奴をつれて数分で戻らなければ、牢に入れるぞ!」


 青ざめた兵士は必死に走っていった。


 もし、戦いにおいて、最も信頼できる男と聞かれれば、迷わず俺はセルファーと答える。フレーヴァング騎士団の副団長で、兵たちの信頼もあつい。


 彼は俺の剣術教師であり、軍略を学んだ師匠でもある。父は、もの心ついた頃から病床にある。だから、彼が父代わりでもあった。


 さあ、どうしたらいい。迷っている隙はない。

 正騎士たちがいる訓練場に向かった。


 平時である今、彼らはほどほどに訓練しながら時を過ごしている。フレーヴァング王国は貧しい。一般の兵士は戦闘員としての訓練にかまける訳にはいかない。

 だから、ここにいるのは貴族の子弟ばかりだ。ざっと目測すると、100人くらいか。


 俺は大きく息を吸った。


「騎士諸君!」


 大声に驚いただろうが、訓練場にいた兵士たちはひざまずいた。そもそも、やんちゃしている俺と、仲がいい奴らが多い。


「集合。殿下にひざまずけ!」

「敵がフレーヴァングを攻撃している。今すぐに応戦しなければ、多くの国民が死ぬ!」


 ざわざわとしたドヨメキが周囲を満たした。

 こういうとき、トップとしての俺は人望がない。だが、レヴァル、おまえを救えなければ生涯、悔やむだろう。


「戦いだ。武装せよ!」

「殿下! そんな情報を聞いてませんが」


 俺より、かなり年嵩としかさのベテラン騎士が、のんびりと口答えした。


 このバカが!


 言葉より先に手が出ていた。力任せに平手打ちをすると、周囲でのんびり平伏していた騎士団員たちに緊張が走る。


「俺は誰だ!」

「ヴィ、ヴィトセルク殿下です」

「次の王位継承者は誰だ」

「あなたさまです」

「全員! 武装せよ。すぐに出発だ!」


 隣に控えるアスートに必要なものを伝えた。


「いいか、必ず、全員に徹底せよ」

「は!」


 平伏する騎士たちに怒鳴った。


「解散! 5分で戻れ、点呼に遅れるな!」

「は!」


 ザッと彼らは頭を下げると、兵舎に走り去った。


「何事ですか?」


 セルファー副騎士団長がいつのまにか隣に立っていた。


「セルファー。セルファー」

「王子、いったいどうなさったんですか。その額の傷は」

「セルファー、何も言わずに指揮をとってくれ。途中で説明する」

「ただ事じゃないですね」

「ああ、生きて戻れんかもしれん。覚悟してくれ」

「殿下」

「説明は後だ。俺も準備がいる」




 装備を整え、乗馬するに要した時間は数分。


 時間がない。じりじりする。こうしている間にもレヴァルは、あの大樹の養分として血を流している。どれだけもってくれるだろうか。なぜもっと早くに探さなかった。


 いや、後悔なんてするな。それは愚か者のすることだ。今ではない。


 装備を整えた騎士団が半分くらい戻って来た。まだ、全員ではない。


「俺に遅れるな、駆けよ!」

「セルファー。残りを連れて後を追え。ダーチェン村まで休まずに駆けろ」

「ハ! 殿下」


 ムチを打ち、馬を駆った。


 いいか、待ってろ、レヴァル!

 俺を置いて死んだりしたら、俺が殺すぞ!


(つづく)

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