遥かなる故郷、滅びの時
平凡な日々では、誰もが隣りあわせにある死を忘れているだろう。
しかし、不測の事態ってのは常に身近にあるものだ。
竜車に引かれる、岩石が落ちてくる、ウルザブ川で溺れる……。戦場に向かう兵士でさえ、自分だけは槍に突かれないと錯覚している。
だが、この時、俺は普段は意識しない死神の姿を横に感じた。
ガランドードが地下への階段を降りていく。なんとも表現できない恐怖で腹の底がムカつき、吐きそうだ。
「来ないの?」と、死神が誘う。
恐怖を抑え背後から追う。
「聞きたいことがある」
「なあに? ヴィトやぁ」
「ヴィトと呼ぶな。それ以上に、『やぁ』をつけるな。鳥肌が立つ。おまえにそんな権利はない」
「僕はね、どんな権利もあるんだよ。おまえがわかっていないだけだ」
ガランドードの細く長く手入れされた指から、不思議な光が発して松明のように輝き周囲を照らす。オレンジ色の明かりに妖しく美しい顔が浮かびあがる。
自信に満ちあふれた顔は美しいだけじゃない。なにかが違う。
「ヒルラが残した手紙に居場所が書いてあったが、なんのためだ」
「ああ、あれね」
「俺たちを呼ぶためなのか」
ははは、と奴が陽気に笑う。笑い声が階段の岩壁にうつろに反射して木霊する。
「王子ってのは、うぬぼれが強いと相場がきまっているね。じゃあ、僕の謝罪が必要かい? 期待させてしまった? 本当はね、誰でも良かったと言ったら、プライドが傷つくだろうね。事実ってのは苦い薬だ。けどね、あの置き手紙で来てくれるのは誰でも良かった」
「誰でもよい……」
「ああ、でも、おまえが来てくれて、とても嬉しかったよ。おまえとかレヴァルとか、それに、その真面目な従者もね。だって、クズみたいなハズレもいっぱいあるんだよ。結果は同じでも、アタリのほうが楽しい」
明かりが反射するアスートの額に青い血管が浮き上がる。
「アスート」
「殿下。あなたさまは他人の心に塩を塗るのが、非常にお上手です。そろそろ、敵にも塩をぬる頃合いかと」
「塩が不足してるようだ」
「では、励ましを。わたしの失敗のせいで窮地に陥った気がします」
アスートが冷静さを取り戻している。俺はニヤリと右ほほを歪め合図した。
「ふん、気にするな。失敗なんてものは自分で決めることだ。おまえが失敗と思わない限りはちがう。それは、ただ成功への過程にすぎない」
「おやおや、ふたりで楽しそうに話すんだね。僕を置いてきぼりにしていない?」
無視した。
「寂しいなあ。答えてよ。ねぇ、仲間はずれって辛いんだ。僕の姉はね、年を取りすぎて面白みに欠けるから」
考えろ。こいつは何者だ。あの神話は赤い花と神樹について物語っていた。
「そう、話してもいいぞ。この階段は長そうだ」
「ヴィトやぁ」
ガランドードが、いきなり近くに顔を寄せてきた。俺の頬を軽く触れる。こいつは、最初から人との距離感がおかしい。息がかかるほど近くに顔がある。
「ほら、この皮膚の温かみ。なんと癒しなのだろう。何年も何年も、ただ、この温もりを求めていた気がする。ねぇ」
「ヒルラに何をした」
「え? 今、そんなことを聞くの。別に何もしていない。僕に夢中だけど。でも、強制はしていないよ」
「いや、した。婚約者さえも見ていなかった」
「う〜〜ん。だって、あの子。本当にうざいほど、僕に夢中だから。ときどき遊んであげているだけ。秘密を知りたい?」
「ああ、教えよ」
「何をくれる?」
「何とは?」
「秘密を知りたいなら、それ相応のものを僕にもくれないと」
「ただ話せ」
彼はふっとため息をついた。
それから、子どものように頬をふくらませ怒ったような表情を浮かべる。なんともはや、これが女だったら抵抗できないだろう。
「僕の近くにいるのは恩恵なんだよ。麻薬みたいなものだ。他が見えなくなる」
「嘘だな」
「ヴィトやぁ。信じないんだね」
「信じる信じないではない。そもそも、おまえは何者なんだ。どこから来た」
「では、僕も聞くけどね。人は、いったいどこから来たんだい?」
愚かな挑発には答えず階段を降りていく。3人の靴音が洞窟に響く。
カツーン、カツーン、カツーン。
まるで底なし沼に向かっていくようだ。
「なんだ、答えを知らないんだね。まあ、驚かないけど。でもね、ヴィト。僕は長い間、そう、おまえが想像できないほど長い間、ずっとずっと観察して来たんだよ。生まれ、滅び、生まれては滅びていく、愛おしくも、はかない者たちをね」
「滅びる? おまえは滅びた一族なのか?」
「ほんと、浅はかだ。滅びていくのはおまえたちだろう。僕は、何千何万の時を経て来ただけだ。そう、理解など及ばないほどね……宇宙の果てから、この最果ての場所に流れてきたのに。こんな絶望が待っていたなんて」
「宇宙?」
「おまえたちの世界観では、そうだね、世界は平らなんだ。地平はまっすぐに、どこまでも続くんだね。地平線の先が見えない理由を知ることはない。世界が丸いことも知らない。無知にもほどがある」
世界が丸い? こいつは、何を話している。
カツーン、カツーン、カツーン。
……なぜだろう、このホラ話に引き込まれる。アスートが袖を引いた。
「僕の故郷は滅びてしまった。何億年も前に太陽に飲み込まれた。それから宇宙を漂う、さまよい民として船のなかで凍っていた。どれほど長い時間かわかるかい? それは気の遠くなるほど長い時間なんだ。おまえたちに比べれば、僕たちの寿命は不死と思うほど長いだろう。でもね、何億年という途方もない時のなかでは、それさえも一瞬だ。冷凍されたまま息を引き取った者。この星で狂ってしまった者。ひとりひとりと仲間は減った。ここで生きる道を見つけたとき、僕のまわりには、もう誰もいなかった」
階段はどこまでも続いた。
どのくらい降りただろうか。暗がりの先に扉があった。
「ほら、ここが地下室だ。とても大きいんだ。驚かないでよ」
ガランドードが地下室への扉を開けた。
ギギギッという重い音がして、扉が開く。
薄暗がりから光のなかへ。
まばゆいばかりの輝き。あまりの明るさに目が慣れない。眩しさに白い輝きしか見えない。
濃厚な花の匂いが周囲を満たしている。これは、なんという薫香だろうか。
目も耳も鼻も、五感がすべて麻痺してしまう、圧倒的な光と香り。
鼻と口を塞ぎ、目を閉じ、そして、ゆっくりと開く。明るさに目を慣らしていく。
そこで見たものは……。
(つづく)
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