神々の妖しい世界



「おまえのご主人さまは誰だ」

「ガランドードさまです。あなたさまだけです」


 黒衣の上半身がしどけなくはだけた長椅子に横たわるガランドード。その足もとで、女が酔いしれた声をあげる。


「おいで」


 まるで夢遊病者のように、声に導かれ女が身をささげる。


 さらりとした男の長い黒髪が揺れ、隠れていた顔がこちらを向いた。キメの細かい肌は冴え冴えと青白く、異様な妖艶さに、ぞくりとする。こいつは人じゃない。妖にちがいない、この男は。


「あぁ、あなた……」


 男の唇が柔らかく、若い女の素肌を這っていく。

 長い睫毛まつげに彩られた閉じた目が、するりと開き、感情の失せた顔でこちらをにらむ。


 瞳の色が赤い。

 ぶきみな光りを帯び、危険な色を増していく。




 その夜、ひそかにガランドードの部屋を伺うと、奴と女がいたのだ。のぞき窓から見える二人の姿にアスートが息をのんだ。


「ヴィトさま、あれは、ヒルラです」

「婚約者のか」


 アスートが剣を抜いた。飛び込もうとする腕を強く押さえた。


「待て」と、声をひそめる。

「あ、あれは、ヒルラをたぶらかしています」

「アスート。よく見てみろ。あれは人間じゃない」


 ガランドードの姿は凍りついて見えた。氷という意味ではない。全体に人がまとう細かな動きがないのだ。たとえば、まぶたを閉じるとか、身体がゆれるとか。

 なにかのだが、その正体がつかめない。

 

 このまま部屋に飛び込んで勝てる相手なのか。


「来い!」


 嫌がるアスートを強引にひき連れて、部屋に戻ろうとした。

 その時だった。


「入っておいでよ。何が見たいの?」


 バタンと音を立てて扉が開いた。


 黒髪を下ろしたガランドードは、黒いガウンの前をはだけたままだ。匂い立つような色気がぞわりと漂ってくる。


 小窓から覗いたとき感じた非人間的な空気が消えていく。


 彼の唇が震えている。よく見ると、指も細かく蠕動ぜんどうしている。

 しかし──、

 ほどなく震えは消え、人間らしさが戻って来た。


「どうしたの、ヴィト。僕に会いたかった」

「いや、部屋にいる女性をさがしていたんだ。それから、いつヴィトと呼ぶ許可を与えた」

「ヴィトやぁ、君も相当に頑固だね」


 俺たちが話している隙に、アスートが強引に部屋内に入った。


「ヒルラ。何をしているんだ」


 ヒルラは呆けたように長椅子にもたれている。金髪で色白、かわいらしい顔立ちをした少女だ。


「ご主人さま」と、首をかしげた様子は、まるで幼い子どものようだ。

「ああ、そうか。これが、おまえの役目だったね。もう用はないよ。おさがり」


 ゆったりとした動作でヒルラが立ち上がる。

 アスートが彼女の手を取り、「何をしている」と、詰問した。


「あなた、誰?」

「わからないのか、ヒルラ。幼馴染みのアスートだ。婚約したろう」

「アスートって?」

「君の従者、けっこう勝手だね。ぼくの玩具に興味があるの?」

「おまえはヒルラに何をした!」


 めったに感情的にならないアスートが怒っている。ヒルラの手首を握る手の甲に青筋が立つのが見えた。

 こうなるとアスートは扱いづらい。


「痛い。痛いわ。離して。ご主人さま、怖い」


 ガランドードの目が光を帯び、右手を上げた。そして、さも嫌そうに払うような仕草をした。その動きはあくまでも優雅で怒りのカケラもない。


 しかし、次の瞬間、アスートの身体は激しい勢いで宙を飛び、壁に激突した。


 彼に手首を取られていたヒルラも同時にはね飛び、アスートが反射的に彼女を腕に抱え、自分の身体で彼女の衝撃を受け止める。ヒルラは腕のなかでガクリと身体を横たえた。


 これは、魔術か?

 いや、こんな魔術を見たことがない。魔鉱石を使った武器を発射したときに似ているが、どんなに巨大なマナを持つ魔術師でも、これほどの威力はないだろう。


「ねぇ、まるで僕が悪者みたいに見えたよ、ヴィトやぁ。君の従者はとても失礼だ。もっと罰が必要かい?」

「アスート! 動くな」

「し、しかし、ヴィトさま。こんな悪党は」

「アスート。怪我は?」


 アスートは大きく息を吸って吐いた。


「すみません。感情的になりました。こういう化け物を相手するのも、はじめてじゃないですが」

「ああ、わかっている。落ち着け」


 ガランドードが低い声で笑った。


「僕が悪党なの? それも失礼だな。では、君は正義の味方なの? それとも、善人側ってわけ? 善とか悪とか、そんなものは屁理屈にすぎないよ。善でも悪でも、それは相対的なものだからね。誰が主役になるかで、善悪は真逆になってくる。僕が主役なら、僕は善人で、君が悪人なんだ。違うかい?」

「それは違う」

「ふ〜ん、そう思うの、ヴィト。とても寂しいな。いつも寂しいのに、ますます胸が痛くなる。ほら、聞いてごらん。胸の苦痛が聞こえるだろ? そんなことを言うなんて、やっと来てくれたのに。僕はね、君みたいな人が大好きなんだよ。なんなら愛したいくらいに」


 ガランドードは顔をカクカクと不自然に動かしている。

 また、非人間的に見えた。


 いったい何者なんだろうか。


 アスートが片足を引きずりながら、ヒルラの傍からこちらに来た。


 この部屋を見渡すと扉がふたつある。


「ガランドード」

「呼び捨てなんだ、ヴィト」

「あのふたつの扉はなんのためだ」

「知りたい?」

「ああ、教えてくれ」

「ひとつは寝室。もうひとつは地下に行く扉だよ」

「嘘ではないな」

「ほんと、ヴィトってかわいい。嘘ってのは、どこかに真実があってこそ輝くものだよ。真実のない嘘など、そもそも成立さえできないんだ。だから、嘘じゃない。真実に近い嘘でもあるけど」


 どうしたらいい。

 この得体の知れない奴はつかみどころがない。アスートを簡単に投げ飛ばした方法も強烈だった。


 ここは、どうしたらいい……。


(つづく)


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