贅を尽くした恐怖の部屋



 執事の足取りは重く、顔には怯えがはりついている。

 イエンラーの部屋に行くのが、よほど嫌なのだろう。しかし、拒否もできない。


 こういう人間はよく知っている。支配されることに慣らされ、自分で考えることを捨てた奴らだ。さらに悪いことは、そのことに自覚さえない。


「心配するな」と言っても、決して安心できないだろう。


 執事は負け犬のような表情で俺をうかがっている。

 まだ、引き返せますよ、止めませんか? と、その顔は語っていた。


 躊躇ちゅうちょせずにドアを開ける。

 豪華な部屋だ。調度品も選び抜かれた高級品ばかりで、センスが光っている。本物の贅沢を知る女なのだろう。


 ただ、これだけは、いただけない。庭に咲く赤い花に満ちあふれ、濃厚な匂いでむせかえりそうだ。


「なあ、こんな部屋で、奥方の食事は、あの貧しいスープとパンか」

「あの、奥方様は食が細くて」


 執事は言葉をにごした。部屋を捜索しながら、執事をちらちら見ているが、ずっと落ち着かない。


「この城にダーチェン村の者はいるのか」

「おりません」

「それは、なぜだ」

「そ、それは……、彼らは守り人だから」

「守り人?」

「後で聞こうか」


 部屋は寝室と執務室にわかれている。ひと通り見たが、とくに変わったものは出てこない。

 執務室のデスクが引っかかるだけだ。

 なんだろうか。

 ああ、これだ。

 流麗な筆跡で書かれた書き物類。その特徴的な書き方に見覚えがあった。


「これは、奥方の字か」

「はあ。そうでございます」


 一枚、拝借すると、執事は卒倒しそうなぐらい驚いた。


「一枚くらい、気づかないだろう」

「殿下、殿下、あの、部屋を散らかさないで、持っていくだなんて」

「譲歩しようか。奥方の筆跡を調べたいだけだ」

「そ、それなら、わたくしめの指示書をお渡ししますから、それは、このままに」と、強引に戻された。


 部屋を出ると、ほっとした執事は、すぐにイエンラーが書いた指示書を持って来た。

 やはり、流麗な筆記体だ。


 部屋に帰ると、アスートも戻っていた。


「アスート、婚約者のヒルラが残した伝言を持っているか」

「ええ。前にお見せしたと思いますが」


 アスートが胸ポケットから白い紙を取り出した。

『ダーチェンの城へ行きます。どうか探さないで、ヒルラ・シュバルク』と書かれている。


 これだ。そもそも、これが引っかかっていた。


「な、おかしいだろ」

「頭の中身を省かないでください、ヴィトさま。意味がわかりません」

「だから、探さないでと書きながら、行き先を書いている。妙じゃないか?」

「たしかに言われてみれば」

「普通、探さないでなら、居場所を書かないだろう。そして、この文字。婚約者は貴族階級か」

「いえ、商家の出です」

「飾り文字に特徴がある。この同じ筆記体を奥方の部屋で見た」

「たしかに、ヒルラが書くには綺麗すぎますね。実は気になってはいたんです。可愛い子で素直なんですが、文字は下手で」

「今頃、気づくな」

「気づいたら、ご自分の誕生祭を逃げませんでしたか」

「いや、さらに興味がわいた」


 アスートはソファに腰を下ろすと、ちょっと困惑した表情を浮かべた。


「どうした」

「ダーチェン村で聞いたのですが。ここには妙な神話があって。きっとお笑いになると思って言わなかったのですが」

「神話?」

「世界樹という神樹の成り立ちです。聞いた話によると、世界樹は地下に葉と枝を蓄え、根は人の養分で成り立つ。そして、地上に赤い花を咲かせる。この花の力によって神々は生きるという神話です」

「赤い花……、か。この城の周囲には、いやになるほど赤い花が咲き誇っている。至るところ花ばかりだ」

「村人から聞いたのは、その花がないと生き延びれない、不思議な神々の物語です」

「いったいどういう神々なのだ。花が好きなだけで、なぜ村人は恐れる?」



 神話とは──


 太古、神々が辺境の地に死者たちとともに訪れた。天から降りて来た最初の神は、寂しさのあまりに自分の骨を砕き、家族を創造する。


 この地の空気はポイズン。

 創造の神は、ポイズンを浄化するために神樹を植える。


 赤い花は生命の源。

 神々は、その場所では不滅であり無敵。


 人びとは奴隷として働き、花の根の養分となる運命。


 ──



「それは、随分とかってな物語だな。人を養分として吸う木とか」

「村人は、この物語を子々孫々、伝えてきているようです。子どもたちに話す童話みたいなもので」

「村とその神話との関わりは?」

「村人を神が襲うことはないかわりに、神々を村人が守るんだそうです」

「ほお」

 

 謎も解けぬまま時間だけがすぎて行く。

 使用人が火をつけたキャンドルを部屋にもってくる。その赤い炎を見ていると妙に胸騒ぎがする。


「ガランドードの部屋を調べよう」

「ヴィトさま。レヴァルさまのことが心配になってきました」

「言うな」

 


(つづく)

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