消えたハーフエルフ




 翌朝、レヴァルが消えた。昨夜はソファで寝たはずが、朝にはいなかったのだ。


「気まぐれな奴だから」

「心配じゃないですか?」

「そのうち戻ってくるだろう……。それよりも、ここの使用人たちを片っ端から調べにいくぞ」


 レヴァルが消えた不安だろう、心がゆれた。これは、レヴァルらしくない。たしかに無口で、自分から話しかける奴ではないが、しかし、いきなり消える男でもなかった。


 不安が心に染みわたっていく。ふいに怒鳴りそうになって口を押さえた。アスートの顔もゆがんでいる。

 なにから湧きあがったのだろう。

 この恐怖は……。過去に感じたことがなく異質だ。


「ヴィトさま」と、アスートが言ったとき、執事が入ってきた。その背後に使用人たちを、ぞろぞろと従えている。


 みな痩せて小柄で顔色が悪い。緊張のあまりに顔を伏せたまま、震えている者さえいる。


 アスートに目で合図したが、首をふっている。婚約者のヒルラはいないのだろう。


「ところで、昨日、大階段で見た二人組、彼らは?」

「奥さまと弟さまのことでしょうか」

「たぶんな。紹介してくれ」

「今は、お出かけしております。夜でもよろしいでしょうか?」

「ああ、話がしたい」


 執事は頭を下げて、使用人たちをうながすと出て行った。


「なあ、アスート。真っ正直ってのが形なら、ああいう執事ができあがるんだろうな」

「いつもの皮肉ですか。しかし、キレがないですね」

「おまえの皮肉もだ。……やはり、レヴァルを先に探すか」

「最初から、そう言えばいいものを。素直じゃないから」

「なにか言ったか」

「従者に意見などありません」


 午後から城を出た。


 外にでると、吐く息が白く煙る。降灰にまじって雪もふっているようだ。周囲を白く染める降灰は雪の水分で灰色に汚れていく。


 ──レヴァル、どこへ行った。


 彼の痕跡も、ヒルラ同様にまったくない。

 突然、この冒険も、人が消えた謎も、すべてが面白いものではなくなった。それよりも不安が増したことで、森と城がひとつの生き物で怪物のようにも感じられる。


 弱気になった気持ちを振り払うために、頭を乱暴にふった。ハラハラと白い粉が落ちていく。


 さあ、冷静になれ!

 レヴァルは空間魔法を操れるのだ。


 時空を歪め、行きたい場所へと瞬時に移動する高度な魔法を使える。まだ、術として完璧ではないらしいが、ときどき詠唱して練習している。どこか別の場所に行ったのかもしれないのだ。


「静かすぎませんか。冬とはいえ」

「雪が音を消しているのだろう」

「そろそろ城に戻りましょうか。これ以上、寒さのなかを歩くのは危険です、ヴィトさま」


 陽の落ちるのが早いのか、すでに夜が迫っていた。


 城に戻ると「夕食です」と、執事が待っていた。

 客間のテーブルには俺たちしかいない。その上、料理はあまりにも貧相で、嫌がらせレベルだ。


「奥方は帰られたか」

「はあ、遠出をされましたので、今は部屋で、お休みになっております」


 すると、背後から女の声が聞こえた。


「誰がお休みなのかしら」


 甘い声に振り向くと、そこに絵画から出て来たような美しい男と女がいた。20代後半くらい? あの男爵は、こんな若い妻をめとったのか。


 女の声に男の声が重なる。低くささやき声に近いが、よく透る。


「きっと、僕たちのことだ」

「あなたは、ヴァルグ男爵の奥方か」

「あなたは?」

「控えなさい。ヴィトセルク王子であらせられる」


 アスートが厳粛な声で伝えた。


「控えなさい、だって?」と、男がバカにしたような顔で笑っている。

「面白いわね」

「礼儀がなってないよね」


 俺さま以上に俺さまで、偉そうな態度なら、俺といい勝負だ。


「俺は、今、あまり機嫌がよくない。大事な友が行方不明でね。知っているなら教えてくれ」

「だって」


 男の言葉が終わらないうちに剣を抜いた。喉もとスレスレに切っ先を突きつける。あと一ミリで青白くキメの整った美しい肌に傷つけそうだ。


「言ったであろう。機嫌が悪い」

「交戦的な王子だね。僕はね、そういうあなたが、けっこう好きなんだ」


 言葉と同時くらいに、彼は剣の切っ先に触れると、それを喉もとからはずす。そして、まるで氷の上をすべるような優雅な動作で、すっと寄ってきた。彼はまだ笑っている。


 無礼にも息がかかりそうなほど近くに顔があった。

 この男、距離感がおかしいだろう。初対面で、まるでキスするほどの距離に顔がある。

 その上、あろうことか、人差し指で俺の顎を上にあげた。こんな態度をけっして許さないアスートが、とっさのことで動けない。


「僕の名前は、ガランドード。ここの奥方の弟なんだよ。名前で呼んでもいい? ヴィトセルク殿下」

「だめだ」

「それは、とっても傷つくなぁ」


 アスートが彼の手首をつかんだ。しかし、ビクともしないようだ。指はまだ俺の顎にある。

 ガランドードはまぶたを閉じ、ゆっくり開くと、アスートへ斜めに視線を移した。なんとも妖艶な動きで、思わず彼の顔を注視してしまう。


「君、誰?」

「殿下に無礼であろう」

「無礼? それは、どっちが? おまえか、それとも、僕かい?」


 不覚だ。しかし、ガランドードに魅入ったまま、まったく動けなかった。

 彼の黒い長髪がサラサラと揺れている。まるで生き物のように、青白い顔をおおう髪。退廃的であり、どこか疲れても見えた。若いのに、老人のように倦んで見える。


「おやめなさいな、ドード。お客さまを怯えさせているわよ」

「姉さまは態度を決めたのかい」

「そうね……」

「どうするの?」

「歓待するつもりよ」

「だそうだ、殿下。だったら、ヴィトって呼んでもいい?」

「だめだ」

「こいつ、冷たいよ」

「ほんとね」

「僕、すねてもいいかな」


 婉然とした声で女が笑った。


「わたくしは、イエンラー・ド・ヴァルグ男爵夫人です。ヴィトセルク王子、弟が失礼をしております」

「だから、ヴィトって呼びたいよ、姉さま」

「あら、それはダメでしょう。だって、仮にも、彼、この国の王子よ」

「そうなんだ。かわいいけど」


 ──かわいい、だと? それは、俺がレヴァルだけに使っていい言葉だ。




(つづく)

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