閉じ込められた城
数日、村で情報を集めたが、ほどんど手がかりはなかった。夜に襲ってきたバケモノの正体もわからない。
「アスート、おまえの婚約者はこの村に本当に来たのか?」
「ヒルラは素直な子で簡単に人を信じるところがあるんです。そんな子が嘘を言うとは思えないのですが」
「しかし、これだけ痕跡がないとはな……。ここの領主に会うか」
「ヴィトさま、王宮で彼とお会いになりましたか?」
「俺の正式な身分では、直に会える者は少ない」
「いえ、それは違います。あなたさまがサボっているからです」
「行くぞ、レヴァル」
レヴァルが横目でこちらを見て、他人事のように言った。
「どこへだ」
「ヴァルグ男爵の城に行く。たまには王子に戻ろう。俺の身分ってのは大概は面倒事にすぎないが、こんな時には役に立つ」
「ご明察です」
アスートのやつ。最初から、そのつもりだったに違いない。薄笑いを浮かべていやがる。
「なあ、アスート、一度言いたかったが、その皮肉な態度は
「意図どおりに受け取ってくださり、ほっとしました」
「チッ、ああ言えば、こう言う」
「レヴァルさま、なに笑っているんですか。気色悪いですよ」
「いいコンビだ」と、レヴァルが笑った。
チチチ、レヴァル。なんもわかってないな。いや、わかり過ぎてるのか。
アスートは必要な情報を調べる能力にたけている。認めないわけにはいかないが、彼ほど有能な男を知らない。その情報から適切なものを選んで判断するのが俺の役目だ。
そうか、たしかにレヴァルの言う通り、俺たちはいいコンビなんだろう。
エンダール・ド・ヴァルグ男爵が住む城は、ダーチェン村から、さらに奥まった場所にあり、馬でも1時間は必要だった。領主のくせに、ずいぶんと奥に引きこもったものだ。整備した道もなく、森を抜けるのには馬を引いて歩くしか手段がなかった。
森を抜けた先には湖が広がっていた。その奥に浮かぶように城が佇んでいる。
周囲に誰も住みついていないせいか、自然豊かで、城は、まるで陸の孤島にあるようだ。
城主は高齢で、だから、めったに表舞台に出てこないが、一度だけ会った。若い妻を
もう5年も前だろう。
妻は黒いベールで顔を隠し印象がない。名前はたしかイエンラーとか。病弱だとかで挨拶もそこそこに、すぐに立ち去った。
あれから彼らの噂を聞いたことがない。まるで隠れ人のように暮らしている。若い妻には退屈な生活じゃないだろうか?
「確かに、ここですよね」と、アスートが不安そうに聞いた。
まるで人が住んでいる気配がない。
「ああ、おまえが調べた場所だろう」
「そうですが、門が閉じてます。しかし、これは……。本当に住んでいるのでしょうか?」
鉄門の鍵は外側に向けてあり、板まで張られている。馬が興奮するので、森の出口につなぎ、もう一度、門まで戻った。
「外からの侵入を避けているというより、外の者が中の人間を閉じ込めているようだな」
「誰も住んでないかもしれませんね。徒労だったかもしれません」
アスートが呼び鈴の鐘を鳴らしても、誰も出てこなかった。
番人小屋をのぞいても人がいない。
ここにもフレーヴァングの貧しさが影響を及ぼしているのだろうか。
「どうしますか?」
「待っていてもしょうがない。俺は王子だ。臣下の者が俺を拒否できるか。入るぞ」
レヴァルが剣の柄を使って鍵を叩き壊した。アスートが板塀を剥がす。
と、ふわふわと宙を舞って黒い羽が落ちてきた。
見上げると黒い鳥が鉄柵に数羽とまっている。門扉を開けたからか、バサバサと飛び立っていく。
鉄格子の門はキーキーと錆びついた音がする。まるで、何年も開けたことがないようだ。
錆びた鉄門の先から、邸宅に向かうアプローチが続いている。
アプローチを進んでいくと鼻孔が広がるような濃厚な匂いが漂ってきた。やがて眼前には見事に手入れされた花園が広がった。
降灰の影響で日光が少ないにもかかわらず、赤く美しい花が咲き乱れている。赤い花弁がいくえにも重なった艶やかで優美な花で、神秘的でさえあった。
「誰かが手入れしていますね」
「間違いない」
「案内を乞うてきます」と、アスートが走った。
王子の正式名称を告げたので、小柄で痩せた男が走り出て、地面に平伏した。小柄な男で、やはり痩せている。この国で太った人を発見したければ、フレーヴァング城へ行くしかないのだろう。
「私はここで執事を務めております。このような場所まで玉体をお運びいただき、光栄に存じます。ヴィトセルク殿下」
「男爵に取り次いでもらおうか」
執事が案内したロビー内部は贅沢な作りだった。趣味の良い絵画も壁を飾ってある。庭に咲いていた赤い花が活けてある。あの城主に、このような趣向があったとは驚く。
「この花はなんという名前だ。はじめて見る」
「はあ、殿下。ル・ファニュという花でございます。たいへんに珍しいもので、奥方さまのお気に入りなのでございます」
「こんな寒い時期に花を咲かせるなど、見事なものだな」
シュクッシュクシュク……。
遠くから絨毯をふむ不規則な音が聞こえてきた。
真昼間だが窓には厚手のカーテンがおり、ローソクの灯りだけで薄暗い。階段上に立つ人の姿は薄暗闇では見えにくい。
足音が止まった。中央にある大階段の上から愛らしい声が聞こえてきた。
「ヴィトセルク……、王さま?」
抑えのきいた声だが、甘い。声だけで人を魅惑するとすれば、まさに、こんな声だろう。女の声に男の声が重なった。
「姉さま、彼は、まだ王子のようですね?」
こちらは深い男の声。声量のあるものが、わざと低い声をだすような、余裕を持つ声色だった。どちらも魅力的という点では一致する。
「ええ、現王が生きてる間はね」
「俺さまな顔だ。やりたいようにやるって……。さあ、どうしようか。声をかけるべきか、かけないべきか」
「あなたが迷うなんて」
女が楽しそうな笑い声をあげる。
幼いと思った甘い声が、笑っただけで、なぜか男をさそう妖艶な声に変化した。
俺たちがいるのに、まるで意識していない。ふたりの世界は、ふたりで完結しているようだ。
大階段の中ほどに黒いシルエットが見える。すらりとした身体にのる小柄な顔。ふたりとも完璧に均整が取れた身体つきをしている。
「どなたですか?」と、アスートが聞いた。
彼らは優雅な所作で階段から降りてくると、近くの
しばらく自分が声を出せることを忘れていた。
(つづく)
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