深い闇からの襲撃
翌日、すこし早い昼食をとっていると、朝早くに出かけたアスートが戻って来た。
「ヴィトさま、情報を仕入れてきました」
「それで?」
「実は……。父からの連絡では、ヒルラは8日ほど前から様子が変になって、その後、手紙を残したらしく」
『ダーチェンの城へ行きます。どうか探さないで、ヒルラ・シュバルク』と伝言を書いて姿を消したという。ヒルラは妹のような存在で親同士が決めた婚約者だと、アスートは言うが。
「おまえに、そんな女性がいたとは、まったくもって俺も鈍感だったな」
「ご自分を鈍感じゃないと思ってらっしゃる方が鈍感……、いえ、あの、まあ」
「それで?」
アスートはゴシゴシと頭を乱暴にかいた。
「あのですね。村の女たちがいないんですよ。出払ってしまって。それで戻って来たんですが。ま、理由がわかりました。美しいと忘れていたんです」
「おう、どっかに美女がいたのか」
アスートは両手の親指と人差し指で四角形をつくり、俺とレヴァルをそのキャンバスに入れて目を細めた。
「いやあ、こんな
「はああ?」
「い、いや、いやいやいや。そのままで、眼福ですから」
言われて気づいたが、
「なにごとだ、これは」
「ヴィトさま、立ち上がって、彼女らに聞いてください。よそ者の女が来なかったか」
「俺がか」
「俺さまがです。まず、立ち上がって、ちょっとほほ笑んで。ああ、あの事情通らしいおばさんの顔を見つめてください」
「アスート。からかっているのか?」と、レヴァルが聞いた。
「レヴァルさま。あなたがなさいますか?」
レヴァルの右足が俺の椅子を正確に蹴りあげた。ガタンと激しい音がして椅子が転がり、思わず立ち上がる。
クッソ、こいつら。完全に遊んでいるな。
その後の大騒ぎは思い出すだけでも胸糞悪い。
ともかく、彼女らから聞いたことは。
「村にそんな子は来ませんでしたよ」
「そうそうそう、あたしも見なかった」
「誰ですか。まさか、恋人とか? ……ち、ちがいますよね」
ようするに、誰も知っている人はいないという情報しかでなかった。
ただ、ひとりが、「でも、城主さまのところで働いてる子に会ったとき、言っていたわ。ときどき美しい女が来るって」
「ああ、それは城主さまの親戚目当てね。奥方さまも弟さまも、それは美しいから」
「そうそう、あの方は目が潰れそうなほど……」
「城主とはヴァルグ男爵の城のことか?」と聞くと、みな、喋りすぎたというように一様に顔を伏せる。
城について詳しく聞きたかったが口をつぐんでしまった。それ以上の情報が聞き出せないところで、アスートが口もとをゆるめた。
「そうですか、いい情報です。あちらで、ヴィトさまのお手を握る権利があります」
「お、おまえ。なぜ、いちいち手を握らなきゃならん」
「レヴァルさまですと、皆さま、気絶なさいますから。ヴィトさまくらいが」
レヴァルが
「逃げるな!」
「ヴィトさま、皆さま、お待ちです」
「王子の手を握るなど不敬だ」という、言葉の途中でアスートが口を塞いだ。
「身分を明かしてはなりません」
それから、どれだけ女たちの相手をしていただろうか。とちゅうで、ニヤニヤしているアスートを促した。
「アスート。帰るぞ」
「え、あたしたちの質問は? だって、ほら恋人がいらっしゃるかどうか」
「まあまあ、皆さま、今日のイベントは終わりです」
「えええええぇ。もうちょっとお話したいのに」
なんか、言えとアスートが
「ああ、今日は楽しかった。またな」
手を振って二階に逃げた。
アスートが追いかけてきて、扉を閉めた。
「お疲れでした。さすがです、王子。がんばったわりには、ほとんど情報が得られませんでした」
「ケンカを売ってるのか、アスート」
思わず、首根っこをつかんで投げると、軽くベッドに吹っ飛んだ。
レヴァルが、ほほ笑みを浮かべる。
俺たち三人は皆、家族との縁が薄い。アスートも父親しかいない。
だからだろうか。この狭く薄汚い旅籠の部屋で、家族と呼べるような仲間たちといると心の芯が温まる。本当のところ、こんなことは認めたくはないんだが。
仲間と過ごしていると、夜はあっという間にふけて行く。
幼い頃から宮殿に住むのは命がけで、だから刺客の気配には敏感になる。フロジが実権を握る城では、常に命の危険を感じてきたからだ。
「明日は、城に向かいましょう」
「ああ、そうだな」
アスートの声を聞きながら、俺は眠気に逆らえずベッドに横になった。いつの間にか眠りについていた。
深夜、不穏な気配で目が覚めた。
いびきをかいているアスートの隣りで、レヴァルも起き上がっている。星明かりのない真の闇。
レヴァルの特殊な目が獣のように光った。
ヒュー、ヒュー。
風のような奇妙な雑音。
レヴァルが鞘から剣を抜く音がする。彼は自らの目の光を使って合図する。人差し指と中指で、窓を差した。
ソファ横に置いた剣をつかむ。
ヒューヒュー。
風ではない。
なにか特殊な生き物の息遣いにちがいない。
窓の鎧戸がバタンと音を立てた。すぐに飛び出せるよう片膝をつく。
ガラス窓を壊し、大型の黒い獣のようなものが飛び込んできた。
瞬間。
レヴァルが左から敵に向かう。同時に俺は右、と、アスートが床を転がり、獣に下から襲いかかる。
「グヲォオオオオ!」
三人の刃を受けた侵入者は、桁違いのスピードで背後に後ずさると、黒い煙のような形に変化して窓から飛び出した。
手応えはなかった。
おそらく、どの剣も空を切ったにちがいない。
「なんだ。あれは」
「人ではないですね」
「妖しか」
「いや、たぶん実態はある」
窓枠から身体を乗り出して外を見たが、なにも見えなかった。
「この村は、やはり奇妙だな」
(つづく)
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