月がきれいだ



 16ヶ月が1年となる、この世界。

 13月の風が、冬の大地を、枯れ木から飛び立つ鳥たちを、霜で凍ついた道を、わびしげに見守っている。


 ダーチェン村は冬の夕闇がよく似合う。


 俺たちは酒場も兼ねた旅籠はたごを見つけた。

 両開き扉を開けて入ると、それほど多くもない客がこちらを見つめる。この村の総人口は500人にも満たないはずだ。小さな村によそ者が来ることは珍しいだろう。


 とくにレヴァルの容姿は目立つ。


 目立つはずだが、気のせいか彼らはレヴァルにそれほど驚いてないように見えた。

 あまりに欠点がないからだろうか。ときに欠点がさらに人を魅力的に見せるものだが、しかし、レヴァルの美は、そんな指摘さえも無駄だと思えるほど、圧倒的なものなのだ。


 だから、不思議だった。


「なあ、レヴァル、顔を隠しておけ。マントをかぶれ」

「なぜだ」

「あぁ〜あ、まったく自覚のないってのも困ったものだ。王子の身分も重荷ってのと同じで、並外れた美貌ってのも、厄介なようだ」

「ヴィトさま」と、アスートが笑う。

「まるで母親のようです」


 たしかに、俺は訳もなくレヴァルの世話を焼きたくなる。賢い男だと思うが、どこか抜けているからだ。

 たとえば、自分の容姿が与える影響など、全く無頓着なところとか。その危うさになんとなく不安を覚える。


 こんな気持ちにさせられるのはレヴァルだけだろう。


 きれいな女や男は王宮に多い。

 俺に興味を持って言い寄ってくる女など、掃いて捨てるほどいる。そんな女たちと遊ぶことはあっても心惹かれたことはない。


 レヴァルは違う。


 冷たく美しい容貌に目が離せなくなる。

 彼は、それを拒否するわけでも、肯定するわけでもない。俺が誘えば、レヴァルは必ずついてくる。それに意味があるのだろうか。


 俺は、おかしいのかもしれない。

 ときどき心臓が鷲づかみにされた気分になるんだが、それが持つ意味がまだわかっていない。


「ちょっとカウンターへ行ってきます」と、アスートが言った。


 田舎によくある家族経営的な宿を兼用した酒場で、料理は自分で取ってくる仕組みのようだ。

 アスートがカウンターから食べ物を調達して戻って来た。酒とまずそうなスープを運んでいる。彼はそれをテーブルにおくとガタガタと椅子を引いてすわった。


「この村は、なにかおかしいな」

「そうでしょうか?」と、アスートが答える。

「ああ、第六感てやつだ」

「外ればかり引く、あれですね」


 こいつは、王子に対する尊敬が足りん。

 子どもの頃、助けてやるんじゃなかった。いや、こいつを助けた訳じゃない。狭い道を開いただけだが、なぜか、おまけでくっついてきた。


「それにしても、おまえに婚約者など、はじめて聞いたぞ」

「うちは貴族とは名ばかりの貧乏な家ですから。殿下にお伝えするほどではないと思っておりました」

「ほお」

「王族の方々と直に会うなど畏れ多い身分ですから。家族は王子がどんな人物か知りません」

「この麗しい王子を見られないとは、気の毒なことだ」

「お会いにならないでください」

「なぜだ」

「家族を絶望させたくございません」


 レヴァルが吹きだした。

 まったく、こいつらときたら。


 俺は安物の酒を一気に飲み干した。

 レヴァルも同じように飲んでいる。白い肌がほんのりとピンク色を帯びるほかは、まったく変わらない。恐ろしく酒に強いのだ。俺も弱くはないが、レヴァルに勝ったことがない。

 いつも、飲んだくれて介抱されるのは、俺とアスート。アスートといえば、エール1杯で真っ赤になる。2杯も飲めば、すぐに寝てしまう。


 気分良く飲んでいると、途中でレヴァルに酒を取りあげられた。


「もう、飲むな」


 いつのまにか、アスートがテーブルにつっぷしている。


「ああ、そうだな。明日は忙しい」


 従者のくせに王子に担がせるなんてふざけた奴だが、しかたなく奴を担いで、2階にある部屋にのぼり、ベッドに放り投げた。


 そこそこ広い部屋は、2つのベッドとソファがひとつ。


 レヴァルが窓を開けた。

 カビ臭い部屋に新鮮な空気が入ってくる。彼は窓枠を指でなぞり、ホコリをつまんで、少しだけ眉間を寄せた。


「なあ、レヴァル」

「なんだ」

「月がきれいだ」


 レヴァルが窓枠に腰をおろし、窓の外に顔を向けた。開け放した窓から冷たい風が吹き込む。酔いで熱くなった肌に、それはいっそ優しい。


「月は見えない」

「ああ、この国で月は見えないな。寝るか」


 降灰におおわれた空に太陽も月もない。ただ、中途半端な薄曇りの空が夜も昼もつづくだけだ。


「ああ。明日だな」


 アスートがベッドでいびきをかき、レヴァルは窓枠から離れない。

 ベッドからシーツを引き剥がし、カバーをかぶって俺はソファに横になった。


 他国のように、いつか月が見える世界にしたい。


 それが俺の幼い夢のひとつだ。いつか、そうだ。いつか、レヴァルやアスートとともに。この国を豊かにできる王となりたい。


「そうだろ、なあ、レヴァル」

「ああ、そうだな」


 レヴァルが意味もたずねず、ただ、うなずいた。


 ──いい夜だ。


(つづく)

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