暗い夜が恐ろしかった
19歳になった朝。
城では誕生祝典が開かれ、実権を握るフロジ宰相が大臣や貴賓たちを招く。
この国は腐っている。
一部の王侯貴族だけが富を享受して、民はその日の食べ物にさえこと欠く。そんな胸糞悪いパーティに出席して、わかりやすい世辞に付き合わねばならない。なお悪いことは、この上なく退屈だってことだ。
うわべを取り付くろうにも、限界ってものがある。
冷え切った心を持て余すのはいつものことだ。
逃げようとすると、フロジにつかまった。奴は脂ぎった身体で
「殿下、最後までいらしていただかなければ」
返事をする気もしない。
あくびをかみ殺していると、アスートがかたわらに来て耳もとで囁いた。
「殿下、申し訳ございません。火急のことで、この場を去らせていただきます」
「おお、でかした。何があった」
「身内のことですので、殿下を煩わせるようなことでは」
小声で話しているアスートを無視して、大声を出した。
「それは、大変なことだ。あきらかに大事件だ!」
舞踏場にいた全員が、何事かとこちらを凝視した。アスートは困った表情を浮かべる。まあ、いつものことで、奴の演技でもある。
「わたしが行こう」
「殿下、それは」
「参るぞ」
フロジが、あからさまな渋面を浮かべている。
「ご退席なさるのですか? あなたさまの誕生祝いに、皆が集まっております」
「大義だ。しばし、席をはずす。緊急だ」
「して、どのようなものですかな」
「緊急な用とは緊急であるということだ。ほかに意味があろうか」
扉まで急いだ。大股で逃げようとすると、楽隊が音楽を止めた。
まったく、こういう時だけは常に俺の顔を伺う。困ったやつらだ。
「楽隊、演奏を続けよ。すぐに戻る」
再び、リュートや太鼓が奏でる賑やかな音楽がはじまった。
「アスート。何事だ」
「殿下、婚約者が行方不明になりまして。しばらくお休みをいただければ」
「ほお、いつの間に婚約していたのだ」
「いえ、幼馴染で親同士が決めたことです」
「では、一緒に参ろう」
「それは、殿下。そこまでなさらなくとも」
「おまえの婚約者なら、俺にとって家族同然だ。俺たちは子どもの頃からつるんだ仲ではないか」
「まったく、殿下。わたしの不幸を利用しないでください」
「なにか言ったか」
「いえ、なにも」
私室で平服に着替え、数日分の旅の用意をして、なれ親しんだ秘密通路から城を抜けでた。
「レヴァルも誘うぞ」
「殿下。レヴァルさまは、嫌がるでしょう」
「おまえは、本当に理解不足だな。俺を嫌がるってことは、俺が好きってことなんだよ」
「あなたさまの楽観的なお考えは、時に致命的でいらっしゃいます」
「おまえの致命的な警句よりは、マシだ」
アスートはわざとらしく頭をふり、そのまま俺に付き従った。
外は常に厚い雲におおわれ昼でも薄暗く陰気だ。この国は常に厚い雲におおわれ、雪のような白い粉が降り続いている。
しかし、息のつまる誕生会を抜けでた今、この荒涼としているが自由な空気が愛おしい。
「ダーチェンという村です。ここから馬で半日ほど、森の奥にある辺境の村で、王都の人間が行くような場所ではありません」
「ダーチェンか」
フレーヴァング王国の西はウルザブ川が流れ、東は山脈が広がっている。大河と山に囲まれた南北に細長い地形がこの国だ。城から南の海に向かう街道がまっすぐに伸び、街道に面して村々がある。
「行くぞ」
「嬉々としてますね」
「おうよ、アスート。なにか言ったか」
「いえ、なにも」
「いい男だって聞こえたぞ。俺に惚れるな」
「吹き出すだけでも、もったいないお言葉です」
途中で
それでも美しい。まったく、どこから見ても絵になる男だ。
ダーチェン村まで、途中、馬を休ませては走らせた。村に近づくにつれ、どす黒い雲がさらに深まる。
「この辺りのはずだが」
「あれを、殿下」
「外ではヴィトだ」
アスートが指差す方向に、ダーチェン村という小さな標識があった。本道から外れた森の道に入ると、枯れ枝が頭上をおおい、どこまでも
途中、キーキーと鳴き声が聞こえた。見上げても、霧のため鳥の姿もレヴァルたちの姿も見えない。
「アスート」
「殿下」
「この森は奇妙だな」
「殿下もそう思われますか?」
「ああ、ひさしぶりに嫌なことを思いだす」
森を抜けると、ダーチェン村と書いた道案内が立ててあった。
村は、さらに薄暗くどんよりとしている。
「アスート、なぜ、この村に来たんだ」
レヴァルがすずしい声で聞いている。
「レヴァルさま、何も知らずに拉致されたんですか?」
「そうだ」
レヴァルの冷たい表情は変わらない。いつも何を考えているのかわからない神秘的な男だ。しかし、最近、心のうちをのぞく出来事があった。
レヴァルがフロジ公爵とエルフの女との関係でできた子であると知った時のこと。
城下町で、たまたま権勢を誇るフロジ公爵と出会ったためだ。公爵は捨てた息子に気づきもしなかった。おそらく、彼には多くの庶子がいるのだろう。
その顔は、まさに『
『知っているのか』
彼は答えない。
『フロジだよ。俺の天敵だ。いつか倒さなきゃならん相手だ。おまえも嫌っているように見えるが』
『俺の母を
まさか、父親なのかという言葉を飲み込んだ。
王子に遠慮させるとは面白い。
その日から、原理原則で動き身分に忠実なアスートは、公爵の庶子である彼をさま付で呼ぶようになった。まったく、こいつも面白い。レヴァルの嫌悪感など気にもしない。いや、いっそ楽しんでいるな。
人間とは面白いものだ。
身分が高いというだけで、下のものが屈服することなどない。
たとえ、奴隷だろうが、いやな主人には心のなかでしっぺ返しを願っている。アスートがレヴァルを主人のひとりと認めたのは、それに見合う男だということだ。
いや、まあ、主人のほうだって楽じゃねぇがな。使用人のほうは、そのことに気づきもしない。いっそ彼らのほうが傲慢なのだ。
(つづく)
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