Cafe&BARあだん堂へようこそ
稀山 美波
喫茶店には○○がつきもの
探偵には、コーヒーと煙草がつきものである。
偉い人間が決めただとか、近頃の流行りでそうなっているだとかではなく、『そういうもの』だとしか言いようがない。
スーツには革靴であるように、カレーライスに福神漬けが添えられているように、ぺーとパーの夫妻が必ずピンクの装いであるように、それらが共にあるのはそういうものなのだ。
びしっとしたスーツに木靴を履いたサラリーマンがいるだろうか。カレーに福神漬けがついているぞ、と激昂する人間がいるだろうか。ペーとパーに『今日からミリタリージャケットを纏え』とのたまうテレビスタッフがいるだろうか。
いや、断じていない。
これらは切って離すことのできないものだ。であるからして、イチ探偵である俺は、煙草をひと吸いする合間にコーヒーを啜るのが自然なのである。
「ちょっと何言ってるかわかんないですけど、とにかくウチ禁煙なんで」
だというのに、この喫茶店ときたら。
健康増進法だか分煙だか知らないが、こやつは様式美というものがわからないらしい。
見たところ、この男性店員は高校生か大学生といったところだろうか。その若さでは、様式美の何たるかを知らないのも無理はない。ここはひとつ、大人としてガツンと言っておこうではないか。
「いいかい君、ペーとパーにだね」
「出禁でよろしいですか」
「ピンクの装いでなくね」
「警察呼びますよ」
「ずびばぜん警察はやめでぐだざい……」
「いい大人が泣かないでくださいよ」
若さとは、なんとも恐ろしい。
それと、国家権力も。
◆
Cafe&BARあだん堂――俺が切り盛りしている探偵事務所の裏に、その店はある。Cafe&BARという名前の通り、昼はカフェ、夜はバーという形態であるらしい。
事務所を構えた当初から佇んでいるその店は、当初から変わらぬ店構えで、当初から変わらぬ客入りの少なさで、当初から変わらぬメニューを提供している。
「いらっしゃいませ」
以前から気になっていた店ではあったのだが、近くにあるが故にいつでも行けるという気持ちが先行してこれまで足を運べないでいた。
「一名様ですか?」
最近は仕事も落ち着いてきたため、『マスターこだわりの珈琲豆』という看板に偽りがないかを確かめようと重い腰を上げた。そして、一回り以上は年下であろう店員に半ベソをかかされた。それが先日のことである。
「ご注文はお決まりですか?」
「アイスコーヒーをひとつ」
「かしこまりました」
俺は名探偵である前に、イチ大人だ。
男子高校生に言い負かされたくらいでムキになったりしない。子供の生意気な言動を笑ってやるくらいが、大人の対応と言えるだろう。
「お待たせしました」
だが俺はイチ大人である前に、名探偵だ。
ここで引き下がっては名探偵としての名が腐る。
元々頭も体も精神も腐ってるのに何言ってんだ腐れ中年が――という助手の声が聞こえてくるようだが、なあに言わせておけばよい。
「提供まで約五分。グラスを置く手が左手であることから、左利きだと推測できる。微かにシャンプーの香りがすることから察するに、ジムから帰った後シャワーを浴びてからバイトに来たのだろう」
「……はい?」
「いや、コーヒーありがとう、と言ったんだ」
俺は一か月という期間を費やし、名探偵としてのスキルと経験と果敢なく発揮して、この店員を調べ尽くした。家族構成から、生まれた時のグラム数に至るまで、とにかく全てをだ。
なんのために、だなんて野暮なことは聞いてくれるな。
無論、こいつに復讐するためだ。大人をあんまり舐めるなよ、ということを教えてやるためだ。
お陰様で、色々とわかったことがある。
こいつは近くの大学に通う学生で、高校時代にこの喫茶店のマスターである
そして、同じバイト仲間の女子に淡い恋心のようなものを抱いているが、その女子は安壇氏に気があること。
いやあ、なんとも可哀そうな男だ。
俺を泣かせた仇敵といえども、多少は同情してしまう。
「ま、頑張れよ若人……ふふっ」
「なんですかいきなり」
「気にするな……ブフォッ」
「笑い方汚いなあ」
ごめん嘘吐いた。超ウケる。かなりざまあみろ。
閑話休題。彼やこの店について調べているうちに、もうひとつわかったことがある。それが今回の本題とも言えるかもしれない。
「お客さん、この店初めてですよね?」
この店には、基本常連しか来ない。その常連というのも、色々と事情を抱えた変な奴ばかりなのだが、一旦置いておいて。ようするに、新規客というのは非常に珍しいのだ。
「どうですかこの店、古臭くて客も少ないけど、いい雰囲気でしょう」
そしてこの店員は、新規客に必ず声をかけるという特徴があった。新規客にまた来てもらうようにするためか、少々人見知り気質な彼を鍛える理由からか、そうするよう安壇氏に言われているらしい。
「あそこにいるマスターも、『これぞ喫茶店のマスター』って感じの渋さでしょう。雰囲気作りにマスターも一役買ってると思うんですよねえ。あとそれから――」
そこでピンときた。
色々と彼に復讐をしたいところだが、先日の件もあって俺は顔が割れている。入店した瞬間に警戒されるのが目に見えている。
「お客さんは、何のお仕事をされている方ですか?」
「見てわからんか?」
「……明治時代の文豪にしか見えないです」
「いかにもタコにも」
「ギャグセンスは昭和みたいですね」
しかし、俺は名探偵だ。変装なぞお手の物。
口髭をたくわえ、丸眼鏡をかけ、和服を身にまとえばあら不思議、そこには名探偵の面影もない。
「どんな作品を書かれてるんですか?」
「代表作は『吾輩はコネである』かな」
「……社長の息子が入社してくる話?」
「役職はまだない」
「やっぱり無能だった」
店員も俺の正体にまるで気が付いていない様子で、『うわあ変な新規客来ちゃった』みたいな顔をしている。しかし雇い主の言いつけをしっかり守ろうと、俺の突飛な話にもきちんと相槌を打つ。
これこそが、俺の狙い。
店員のシフトに合わせ、変装をし新規客を装い入店し、彼が話しかけてきたところで、これでもかと困らせる。
名探偵の技能と頭脳がないと成立しない、我ながら天才的な作戦だ。技能も頭脳もない無能が何言ってんだ――という助手の言葉が聞こえてくるようだが、構うものか。
「お釈迦様が地獄に糸を垂らすんだ。その糸を昇る地獄の住人たちを描いた作品なんかも有名だな」
「ああ、知ってます。確か蜘蛛の――」
「揖保乃糸って作品なんだけど」
「すみませんやっぱり知りませんでした」
さてさて、楽しくなってきたぞ。
◆
それからというもの、俺は彼のシフトに合わせてあだん堂へと足を運んだ。
「お独り様ですか?」
「Yeah、君が見たまま俺はLonely、それでも掴むぜGlory、夢はでっかくGalaxy」
「……席にご案内します」
「俺はされるがまま案内、けれども嫌じゃないぜ案外、コーヒー飲めば心は安泰」
「ご注文は?」
「聞かせろお前のアンサー、じゃなきゃこのままここで朝さ」
「すみません当店でフリースタイルバトルの方は取り扱いがなくて」
「オーケーオーケー、その不遜な態度まさに王家」
「お客様お帰りです」
「アイスコーヒーで」
「ステイチューン」
時には、キャップとサングラスを身に着け、マクロフォンを片手にラッパーを装ったりもした。
「すみません……! 今、西暦何年ですか……!?」
「2022年ですけど」
「ということは……やったぞ! ついにタイムスリップに成功したんだ!」
「ご注文は?」
「ニャブロツァツァフェンダをゲレゲレ個ください」
「は?」
「ああ、ごめんなさい! そうか、2022年はまだ
「ちなみにお客さんは西暦何年から来たんですか?」
「2025年」
「三年後の人類に何があったんです?」
時には、全身銀色タイツで頭にアルミホイルを巻き、未来人を装ったりもした。
「お待たせいたしました」
「"
「ご注文は?」
「ドエレ――"
「アイスコーヒーですね。少々お待ちください」
「"スピード"を"ナメ"るんじゃねーゾ……"
「いや誰ですかそれ」
「!?」
時には、ドカンを決めてヨーラン背負ってリーゼントと、ツッパリでハイスクールなロックンロールな装いで"
「いらっしゃいませ」
「……ん?」
そんなことを続けていた、ある日のことだ。
最近大丈夫なの、頭と心――という助手の小言を右から左へ受け流し、いつもの喫茶店へと足を踏み入れた。今日も今日とてかの店員を困らせてやろうと意気込んではみたものの、はてさて彼の姿はどこにも見当たらない。
「お席へご案内しますね」
「え、ええ」
代わりに、店のマスターである安壇氏がにこやかな笑顔で俺をカウンター席へと誘う。ナイスミドルだとかダンディだとかイケオジだとか、そんなチャチな言葉では片づけられないほどのスマートさだ。なんだか全てを委ねてしまいそうになってしまう。
いや、今それはどうでもいい。我が宿敵、我が嫌がらせの相手がいないのであれば、ここは一旦出直した方がいいだろう。ここ数ヶ月はあだん堂で飲み食いしているせいもあって、年中冬将軍が到来している俺の財布がとうとう氷河期を迎えようとしているのだ。無駄な出費はできるだけ避けたい。
「ご注文は、いつものでよろしいですか?」
そもそもこの行為自体が無駄なことに何故気づかないんだ、お前の存在が一番無駄だ、無価値で無駄な無為中年――と脳内に住まう助手の言葉を遮って、マスター安壇氏の言葉が染み入ってきた。
「え? ああ、はい」
「少々お待ちくださいね」
マスター安壇氏の優しくも温かい声の言うままに、俺は思わず頷いてしまう。いやあ、これは抗えない。すべてを委ねちゃうねこれは。マスターになら抱かれてもいい、いやむしろ抱かれたいまである。
しかし、『いつもの』だなんて、まさに常連のそれではないか。案外悪い気分ではない。ここ数ヶ月、通い詰めた甲斐があったと――
「いや待って!?」
マスター氏、今何と言ったのだ。
「どうされました?」
「マスター、今、『いつもの』って……」
「ええ。いつもアイスコーヒーを飲まれてたので。あ、今日はホットの気分ですか?」
俺はこれまで一見さんを装い、変装をしてこの喫茶店を訪れていたのだ。今日だって、金髪のカツラと高級そうなドレスを身に着けて、『オーラが見えるすごい人』という設定でやってきたのだ。
これまでの変装も、今日の変装も、完璧なはずだ。
慌てるな、名探偵に焦燥は禁物。マスターの発言だって、きっとブラフに違いない。
「当店の裏にある探偵事務所の所長、
あ、駄目だこりゃ。全部バレてるわ。
名前と所在地まで割れちゃってるわ。個人情報のシックスパックや。
「今日のコスプレは随分とスピリチュアルですなあ。オーラなんかが見えていそうな装いです」
ちなみに今日のコンセプトまで割れている。
「深見さんがお目当てのバイトくん、今日は急病でしてね。今日は私でご勘弁ください」
「あばばばばばば」
「あのオッサンの相手いい加減に辛いです――とは言っていましたがね、なんだかんだ彼も楽しんでいたと思いますよ。はっはっは」
もうやめて、これ以上名探偵の諸々を割らないで。
これじゃあ俺、ただの痛いオッサンじゃないですか。
「ずびばぜん警察はやめでぐだざい……」
「大丈夫ですよ。この店はね、変わったお客さん多いですから」
ただの痛いオッサンである自覚がこれまでなかったのか――という助手の声が聞こえてきそうな中、マスターの優しい言葉が降りかかってくる。やめてくださいマスター、今はその優しさが、傷口に染みます。
「深見さん。私はね、あなたの気持ちがよくわかります」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、マスターは柔らかな笑みを浮かべながら背を向け、ゆっくりと豆を挽きだした。涙と鼻水とでぼろぼろになった視界の中でも、様になっているその姿がよく見えた。
「探偵と言えば、コーヒーに煙草ですよね。そして、コーヒーと煙草と言えば、喫茶店です。豆を挽くかぐわしさと、咥え煙草からゆらめく紫煙。私もそういった時代を生きてきた人間です。時代が移ろおうとも、レトロなその香りにはノスタルジィを感じずにはいられない。これはもう理屈でもなんでもなく、そういうものなんですよ。様式美とでも言いましょうか」
マスターの言葉ひとつひとつが、俺の中に染み入ってくる。すべてを受け止め肯定する様は、まるで海のようだ。
「それを理解できない店員に、腹がたったのですね。気持ちはわかりますが、怒りは体に毒です。それこそ、煙草なんかよりも、ね」
サスペンスドラマの犯人はなぜ岸壁に向かいたがるのか、長年の疑問だった。けれども、今ならわかる。人は追い詰められると、海を目指すのだ。
俺を諭すマスターと、諭され涙を流す俺。
もうこれ、どっちが探偵だかわからんな。
「……俺ァ、探偵です。探偵が喫茶店に来たら、咥え煙草にコーヒーなんです。それはもう理屈なんかじゃなくて、そういうものなんですよ」
「わかります。そういったものに浸れる場所がここ、あだん堂なのです。ぜひこれからも、足を運んでくださいね。さあ、存分に味わってください」
満面の笑みを浮かべるマスターは、俺の目の前にアイスコーヒーをゆっくりと置く。その所作も、実に様になっている。
助手にもよく、『所長の探偵観は昭和で止まっている』と言われたものだ。時代は否応なしに変わってゆくのだから、それに合わせて感性や常識も変えていかねばならない。
それでも、たまにはレトロに浸りたい時もある。
失われた様式美に、身を委ねたくなる時だってある。
時代に取り残された中年を暖かく迎え入れる場所――それがここ、あだん堂。時代が変わろうとも、変わらぬ良さが、ここにはある。
「いやはや、もっと早く常連になるんだったぜ」
俺はグラスに口をつけ、アイスコーヒーを一口だけ啜る。そしておもむろに煙草を懐から取り出して、口の端にそっと置く。
「深見さん」
「なんだい? マスター」
喉を潤した後、煙草で喉を乾かすなんて、なんて無意味なんだろう。
けれどもきっと、その無意味さにこそ価値があるのだ。
「禁煙です」
「そりゃないぜ」
探偵には、コーヒーと煙草がつきものである。
喫茶店には、『いつもの』やり取りがつきものである。
Cafe&BARあだん堂へようこそ 稀山 美波 @mareyama0730
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