第126話(最終話)

 十一月。

 三十四歳の嬉野咲幸は、自動車を運転していた。


 法務局での用事と夕飯の買い物を終え、そのまま帰宅するはずだった。

 ふと思い立ってそこに寄ったのは、ただの気まぐれだった。


 街外れの森に入り、さらに薄暗い私道を進んだ先に、大きな館があった。

 咲幸は、両開きの門の前で自動車から下り――夕陽に照らされた厳格な佇まいを見上げた。

 建築から何年が経つのかも、補修工事を行っているのかも、分からない。しかし、まるで時間が止まったかのように、館からは老朽化を感じなかった。門から建物の玄関へと続く道も、それを囲う庭も、綺麗に整えられていた。

 インターホンの電源ランプは点いていない。電気が通っていない可能性が高い。


 咲幸は、二階の隅にある部屋を眺めた。カーテンの隙間から『彼女』が覗いているような気がしたが、確かめる術は無かった。

 数年前、同じく気まぐれでここの登記情報を確かめた際、土地も建物も所有者名義は彼女のままだった。

 海外の有名ファッションブランドの社長である彼女の母親を、テレビや雑誌で過去より何度も見ている。側に彼女も居るはずだが――あらゆる媒体への露出は無かった。まるで影のようだと、咲幸は感じていた。


 現在は、どこで何をしているのだろうか。

 自分は、少しでも近づけただろうか。


 そのように思いながら――咲幸は風に吹かれた髪を手で抑え、森の揺れる音を聞いた。



   終章

   魔女は黄昏に笑う



 咲幸は十二年前に嬉野倖枝と和解後、HF不動産販売で司法書士として働いていた。

 勤務体系は従業員で唯一、世間のカレンダーに合わせている。水曜日である今日も、ひとりだけ仕事だった。融通の利く、働きやすい環境だった。

 店の業績は着々と伸び、現在の従業員は咲幸も含め十四名だった。店舗も広い所へと移転していた。月城住建との取引と須藤工務店との業務提携は、現在も続いていた。

 不動産絡みの案件だけで、咲幸は手一杯だった。店は司法書士事務所を兼ねているわけではないが、不動産以外の案件も舞い込んでいた。仕事の方は、至って順調だった。


 咲幸は十年前、ある男性と結婚した。八年前には娘も授かった。

 しかし、五年前には夫の不倫が原因で離婚した。

 この結末を、咲幸以上に倖枝が嘆いた。

 咲幸は――結局は、母親と同じく自身も片親となった。その結果に、片親の環境下で育った人生との因果関係は無いと思っていた。


 母が居て、娘が居て。大切な三人で居られるなら、それだけで咲幸は幸せだった。

 かつての夫から慰謝料を取らなかった。その代わりではないが、今後一切『自分たち三人』に近づくことを禁じた。


 咲幸は自動車で、館から自宅へと帰宅した。

 八軒の家が立ち並ぶ住宅地だ。全て月城住建の家屋なので、高級感が漂っていた。その中で、かつてモデルハウスだった『倖枝の家』も引けを取っていなかった。


「ただいまー」


 玄関には、小さな靴が二足あった。

 咲幸は騒がしさを感じながら、リビングへと向かった。


「おかえり、ママ!」

「帰ったよ、さっちゃん。良い子にしてたかな?」

「うん!」


 リビングに入るや否や、癖毛気味である八歳の娘――咲幸にとっての『さっちゃん』である祥子さちこに抱きつかれた。


「おかえりなさい、咲幸。無事に片付いた?」

「うん、お陰さまで。ありがとうね、母さん……休日やすみなのに」

「いいわよ。これぐらい全然」


 キッチンでは、上機嫌な倖枝が夕飯の支度に取り掛かっていた。火曜日と水曜日は、小学校から帰宅した祥子の世話を任せている。

 咲幸は、倖枝から頼まれて購入してきた食材を、キッチンカウンターに置いた。


「それで……あの子は?」

「さっちゃんと同じクラスのお友達よ。もうちょっとしたら、親御さんが迎えに来るみたい」


 リビングでは、祥子ともうひとり――幼い少女が遊んでいるようだった。

 少女に目を向け、咲幸は息を飲んだ。

 艶のある長い黒髪と整った顔立ちは、まるで人形のようだった。


「祥子ちゃんのお母さん、はじめまして」


 幼いにも関わらず、行儀よく頭を下げられた。

 上品で淑やかな雰囲気は、咲幸がかつて姉妹のように愛した女性を彷彿とさせた。


「わたしの名前は――」


 そこから先、咲幸の耳には届かなかった。

 自分の内から衝動が込み上げた。かつて、一度は母親に抱いたものと同じだった。

 咲幸は、恍惚に表情が歪むのを抑えることで精一杯だった。


 魔女を倒した兄妹は帰宅すると、母親が死んでいた。

 しかし、母親の影は滅んでいなかった。

 影は娘の身体へと乗り移ったのだ――周囲も、娘本人すらも気づかぬほど、そっと。


「へぇ。可愛いね」


 夕陽に照らされ、魔女は口元に笑みを浮かべた。



   魔女は暁に笑う

   Der Apfel fällt nicht weit vom Stamm.


   完



あとがき

https://note.com/htjdmtr/n/n198e667779a1


次回作『こんな私にも理解のある彼女ちゃんがいます』

2022年12月12日 連載開始予定

(詳しくは11月27日に近況ノートでお知らせします)

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魔女は暁に笑う 未田@『アナタは』特別編の準備中 @htjdmtr

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