芽生えた恋心

車椅子の神様


「はぁ~~~」

「さっきから何度溜息を吐けば気が済むんじゃ、闘王」


 時刻は昼の十二時を回ったところだった。


 闘王はいつものように『招き猫』に居座っていたが、その両手に花はいなければ、酒もない。ただソファーに深く腰をおろしては、両手を組んだ上に額を当てて溜息ばかりをこぼしている。


 この一夜にして一体何があったのか。項垂れるばかりの闘王の様子に首を傾げるぬらりひょんは、帳簿に視線を落としたままそんなことを考えあぐねていた。


「これ、闘王! まぁた昼間っから酒を飲んで……いない、だとぉ?」

「はぁ~~~」

「バカ闘王、聞いてるのか!」

「はぁ~~~」

じじ様、大変だ。闘王がオイラの言葉に怒らない! 闘王がおかしくなった!」


 普段なら黄助の売り言葉にすぐ飛びついて、闘王が持つ全ての罵詈雑言を浴びせてくるのだが、聞こえてくるのは何やら重々しい溜息ばかり。確かにこれはおかしいぞと、ぬらりひょんは帳簿から視線をあげて今日は酷く大人しい闘王を見つめる。だが、ぬらりひょんにとってその答えはすぐに見つかった。


「ノラと何かあったんじゃな」

「ぶ……ッ、なんでッ、俺はッ、別にッ!?」


 頭を垂れる稲穂と同じくらいに沈んでいた闘王の顔が勢いよく持ち上げられ、全力で否定するその絵に描いたような慌てっぷりに、ぬらりひょんは一人ほくそ笑んだ。


 やはり、闘王を一緒に連れて行かせたのは正解だったらしい。小さくても何か収穫があったのだと破顔一笑はがんいっしょうしつつ、そしてすぐに真剣な顔つきに戻し、ぬらりひょんの願いだったものを闘王に託すことに決めたのだ。


「お前さんにはできる気がしてのぉ、闘王」

「あ?」

「どうかノラを鳥籠の中から救い出してやってほしい」


 これはまだ幼く、仲睦まじかった双子の姉妹の物語である。


 その双子の姉妹は孤児だった。


 姉の名前をノラ、妹の名前をエマと言った。


 姉のノラは描いた絵を動かせる異能を、妹のエマは流した涙を宝石に変える異能を授かって生まれてきた。その異能の力は人間に与えられた中でも非常に珍しく、またあいまるように、ノラの風貌は烏の濡れ羽色のような黒い髪に若葉色の双眸そうぼうであり、妹の風貌は降りしきる雪原ように白い髪に群青色の双眸そうぼうそなえ、まさに対照的な容姿をしている姉妹だった。


 やがて二人の少女は養子に迎えられる時が来る。


 両隣に並ぶ屋敷の一つである黒神くろかみ家にノラが、そして白神しろかみ家にエマが引き取られていった。


 二人の異能は各々おのおのの著名人に注目され、中でも大富豪の先駆者せんくしゃである黒神くろかみ家と白神しろかみ家に億単位の身請け値がつけられるほど、稀有けうな存在だった。


 二人が引き取られた先の里親が兄弟で、また屋敷が隣同士ということもあり、ノラとエマは離れ離れになることはなかった。


 しかし、欲に溺れるのが人のさが。二人の異能の力を使って荒稼ぎを始めた兄弟は、己の所有物がいかに優れたものであるかを示すかのように、競い合っていった。そう、二人は兄弟にとってただのものでしかなかったのである。


 やがて二人の異能は闇オークションで瞬く間の内に有名となり、兄弟は二人の異能の力を搾り取るかのようにして、あくる日もあくる日もノラには動く絵を描かせ、エマには宝石になる涙を流すように仕向けた。


 そんな二人の少女に差ができてきたのは必然だったのかもしれない。


 妹エマの身体が急激に衰弱していったのだ。それもそのはずだった。色さえあれば自由自在に動く絵を生み出せるノラと違い、エマは感情を使って涙を流さなければならない。涙が枯れ果て、流せぬ時がきたのだ。


 それを知ったエマを引き取った弟は、沈み行く船を見てこのままでは兄に負けてしまうと焦ったのだろう、とうとう痛みでエマをなぶり始めることにしたのだ。


 骨と皮になったエマは自力で立つこともできず、車椅子に乗ることになっても弟の暴力は雨のように止まることはなかった。


 そして二人の少女が十二歳になる頃、エマは静かに息を引き取った。


「ノラは今でも縛られておる。独りで苦しみ、悶えながら、血を吐くような毎日を生きておる」

「……待てよ、じーさんの話を聞く限り、そうするとなんであいつは車椅子に乗ってんだ?」

「そこじゃよ、闘王」


 先日のおうれんと同じく、まるで教鞭きょうべんるかのようにして年季の入った指先を闘王に向けるぬらりひょんは、意味ありげな表情で見つめていた。


「言葉とは残酷よ。人の心を簡単に殴ったり蹴ったりできるからの」


 人のごうがどんなものかよく知っているぬらりひょんにとって、闘王の言葉は愚問だった。


「二度も言うが、わしにはできぬことをおまえさんならできるような気がしてのぉ、闘王」

「俺は……」 


 昨夜、自分に向けられた拒絶が闘王の足を鈍らせる。目を瞑って思い出すのは、床に広がった小さな水溜まり。その上にへたる一輪の花。


──いいのだろうか、俺で。できるのだろうか、俺に。


 脳裏には花を受け取ってはにかむ笑顔を見せる、ノラの姿がよぎった。

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