天ヶ原生存クラブ

マルヤ六世

天ヶ原生存クラブ

 赤信号にクラクションが鳴る車道を横切り、ガードレールにもたれかかるようにして僕は歩道に転がり出た。

 自分の身体など開いて見てみたことなどないというのに、実感として骨が内臓を突き破っていることがわかっている。そう長くないこれからの人生についてなど考える意味も最早ないので、どうでもいいことだ。

 道行く人々が好き勝手に悲鳴をあげたり電話をしたりする真ん中で立ち上がり、申し訳程度に脇腹を抑える。ケーキ屋の前っていうのは良くなかった。これから素敵なお祝い事に立ち会うはずだった木苺のタルトが、僕の前に転がっている。色といい、無様さといい、僕といい勝負だ。そのタルトの持ち主だったらしい女性が吐き戻しそうになっているところ大変申し訳ないが、こっちは血液と一緒に腹部から大腸がこぼれ落ちそうで構っていられない。

 止めようとする人間を振り払って路地裏に身を隠す。制服のブレザーにはエンブレムがついているから、学校に連絡が行くかもしれない。まったく、失敗した。おあつらえ向きの室外機に殆ど寝そべるように腰かけて、屋内のテレビかラジオの音を探した。ここが古臭い建物の裏手で良かった。壁越しに報道を聞く限り、天ヶ原中学校の生徒が二人、心中未遂をしたということになっているらしい。こういう時のことも考えておくべきだった。。

 多分、今頃持田のやつが回収されているのだろう。今回は少し派手にやりすぎた。


 僕と持田は「天ヶ原生存クラブ」という二人きりの無認可クラブのメンバーだ。申請書類も出していないような存在しない部活動だが、それでも時間を問わず精力的に活動している。主な活動内容は、生存のためのスキルを学ぶこと。どうしてそんなことを学ぶかというと、授業では手の届かない分野だからだ。教師の数は生徒の数に対してあまりにも少ない。一人一人に合わせて、すべての悩みに寄り添うことはできない。最低限度の生きる指標は教えてもらえるが、痒いところに手が届くかと言うと、それは望みすぎだ。

 だから、僕たちの生存クラブでは自分たちで生きるために必要なことを学んでいる。僕たちは日々の人生をこなすために、学校中のどの生徒よりも真剣に考えて生きて来た。生存は大変だ。実際に持田は死んでしまったし、僕ももう長くない。

 僕たちは生きている実感を得るために、これからもつらく険しい人生を生きていくために、様々な方法で自分たちを成長させて来た。孤立していじめの標的になってみたり、テストの答えを間違えて教師や親に叱られてみたり、近所でデマを流されて肩身が狭くなってみたり、した。どれも大人になるためには貴重な経験で、子供のうちに負っておかなければならない傷だ。これらの傷は、大人になってから初めて受けると、とてもじゃないが生きていかれないほどの痛みだと言う。だから、僕と持田は率先して傷ついた。

 僕たちの活動は僕たちが生きる難しさを学ぶのにとても手っ取り早かったし、苦しみの中にいる奴らにとっては救世主みたいだったらしい。去年まで隣のクラスでは村上さんがずっといじめられていたけれど、持田が代わりになったおかげで今では楽しそうに学生生活を謳歌している。僕なんて小学校の頃からいじめの肩代わりをしているから、その腕前はプロ級だ。

 けれど、中学生の生存スキルアップには限界がある。これからの人生で襲いくるであろう死にたくなるかもしれない出来事に備えるには、なかなかに難しいところに来ていた。だから、僕たちはもっと上の段階に進むにはどうしたらいいか相談した。二人で、もっと生きることの難しさを勉強しておこうと思った。

 なにせ来年からは高校受験、その先には就職、成人、など様々な苦しいイベントが待ち構えている。僕たちはまだアルバイトもできないし、独り暮らしの大変さを知ることや職場での残業も、もしかしたらするかもしれない結婚も子育ても、いずれくる老いや介護も、まだ経験できない。

 初めての経験というのはいつでも失敗がついてくる。けれど、そういう大きなイベントでの失敗は決して許されない。浪人すれば就職が遠のく、就職に失敗すれば親に迷惑をかけてしまう。もしも誰か気の合う相手と住むことができなければ、病気になっても誰も救急車を呼んでくれないし、初めての子育てなのでうっかり目を離してしまった、なんて言い訳は通用しない。そういう時にどうすればいいかは自分で調べるしかないし、考えるしかない。

 群れからあぶれた羊のような、僕たち軟弱ものからすると世間は厳しすぎて、予習と復習を繰り返して慣らしておかないと、おそらく生き残れない。


 世間の不特定多数に責められる方法は一体なんだろうか。一番痛いのは、どんな痛みなのだろうか。それらをある程度経験しておかないことには、これから先の人生を歩いていく足取りが、重くなってしまいそうだった。


 だから僕たちは線路に飛び込んだ。


 交通網を遮断すれば、相当数の人間から叱られ、嫌われることを学べる。鉄の塊に吹っ飛ばされれば、今までに感じたことのない痛みを経験できる。

 踏切を乗り越えて、横っ面を叩かれてそれなりに入院も経験するつもりだった。今までも二階建てのビルから飛び降りたり、互いに意識を失うまで首を絞め合ったりした。僕たちは絶対に自殺する気はなかった。人よりも多く訓練をしていたに過ぎなかった。痛みを十段階に分けて記して、交換日記みたいにレポートも作っていた。


「い、今の……十段階でいくつ……?」


 僕がなんとか起き上がって、どのくらいの痛みを感じたか尋ねると、持田は答えなかった。


 持田は頭部がひん曲がったまま、首の皮が伸び切ってしまっていた。頭は半分の大きさになって、頭蓋の部分が捲れて千切られたみたいに頭上に転がっている。それは一見帽子を落としたみたいに見えたし、その楕円系は、輪っかのシルエットにも見えた。

 腕は背中側に降り曲がって鳥の翼みたいになっていて、足はどこにもなくて、白いシャツの裾が風にはためいていた。

 人間を精一杯頑張ろうとした筈の持田は、もう、人間とは呼べない姿になっていて、なにも言わなくて。そして妙に、安らかな顔をしていた。

 その姿を見て、僕は思った。


 ——持田は、天使になったんだ。


 世界のチャンネルが切り替わるみたいに、キャンバスを一回塗りつぶして上から描くみたいに、僕の認識がどこまでも開けていくようだった。

 人間がうまくできない人は、もしかすると天使には向いているのかもしれない。僕たちは生きることに躍起になっていたけれど、心のどこかで自殺した人を理解できなかったり、惜しんだりしていた。でも、それは失礼なことだったのかもしれない。

 彼らは生きることから逃げたわけではなくて、行きたいところに行くために、必死で行動を起こしたのだ。天使になるために苦しい思いをして、天国に行くために人一倍頑張ってきたのだ。そうして、それをやり遂げた人だけが、天国に呼ばれたのかもしれない。

 もしも天国に行くのに大きな傷が必要だったのなら、持田のポケットから出てきた将来に絶望した手紙も。きっと、あれは入場パスかなにかだったのだ。


 僕はどこかの誰かの持ち物である室外機を赤く染めながら、持田の綺麗な最後を思い出していた。そこへ薄汚れた老人が近づいてきて、僕を蹴り転がすとコートを剥いで逃げ去っていく。一層外気の染みる脇腹を押さええていた掌を退かせば、ぽろん、と腸がはみ出て来た。それを見て、笑いがこみ上げてくる。腹筋を動かすと痛くてたまらないのに、どうしても止められなかった。

 だって、まるで豚かネズミの尻尾みたいだ。これじゃあ天使には程遠い。

 間に合ってしまった救急車のサイレンを聞きながら、僕は地面に転がった。まだ僕の番ではなかったらしい。僕は、尻尾を垂らした家畜のまま、生存していかなくてはならない。親友を失うよりも耐え難いことが目白押しの世界で、自分が死ぬまで生きることを続けていかなくてはならない。一人ぼっちの、天ヶ原生存クラブで。

 だから、痛む腹を抱えて、もっとうまく生きる方法を探さなくてはいけない。頑張った分だけ、蔑ろにされた分だけ、虐げられた分だけ、人とうまくやれなかった分だけ、天国に近づけるってことにしないといけない。持田と同じところに拾い上げてもらえると、思わなくてはいけない。そうしてできた傷だけが天国の門への入場パスだって、敬虔に信じなくてはいけない。

 そうしないと、生きていかれないのだから。

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