常夏の花

 部屋に広がる甘く香ばしい匂いに、知らず笑みがこぼれる。

 普段は薪をたくさん使う、という理由であまり出番のないオーブンから天板に乗って次々に出て来るのは、飾り気のない焼き菓子達だ。

 お菓子を作りたくなる時は、大抵客人が来る。なぜだか分からないが、そういうことが多い。

 木皿に並んだ焼き菓子を見て赤茶色の大きな瞳を嬉しげに細めた少年は、作業の邪魔だからと結い上げていた髪をほどいた。瞳とよく似た赤茶のまっすぐな髪は胸元で揺れていたが少年の意識はすでに髪にはなく、お茶を何にするかで悩んでいる。

 誰かが来るだろうとは思うのだが、誰が来るのかはわからない。相手の好みに合わせてお茶は決めるのだから、誰か来るまで待とうと少年は椅子に座った。


 ぼんやり眺めた焼き菓子からは湯気が立ち上っているのが見える。まだ暖炉はいらないが寒くなってきているのだなと少年は実感した。

 考え事の隙間にノックの音が響く。

「はい!」

 緩やかに思考の海に入ろうとしていた少年は返事をすると、慌てて立ち上がった。外で少年を呼ぶにぎやかな声には聞き覚えがある。顔も名前も思い出せるが、数年前に町を離れたのではなかっただろうか?

「こんにちは、ティオ。久しぶり」

 開いたドアから覗いた顔は想像通りだが、年を重ねた分少し落ち着いたようにも見える。

「お久しぶりです、アルテさん」

 迎え入れた少年、ティオは変わらない笑顔で応えた。アルテも笑顔は昔と同じ無邪気さに彩られていて、過ぎた月日を感じさせない。高い位置で結われた煉瓦色は真っ直ぐで、毛先は肩口で遊んでいる。先ほどまで同じような髪型をしていたティオは、やはり動きやすさを考えるとこうなるのだなと一人納得する。

「これ、お土産ね」

「ありがとうございます」

 手渡されたのは顔が隠れるかどうか、というくらいの大きさの缶。振るとカサカサと乾いた音がする。

「なんですか、これ?」

 不思議そうなティオを見て、赤銅色を細めて嬉しそうにするアルテ。いたずらが成功したのを喜ぶ子供のようだと、ティオは内心ため息を吐く。

「お茶よ。花と果物の皮を乾燥させたものを混ぜた向こうの国のお茶」

「へえ、随分香りが良さそうですね」

 説明を聞いて興味が湧いてきたティオは、アルテに椅子を勧める。

「いつ帰って来たんですか?」

「ん? 昨日よ」

 話しながら薬缶に水を入れ火にかけて、ティーポットとカップを棚から出す。湯が沸くまでまだ時間がかかるので、ティオは座って待つことにした。

「お仕事はどうしたんです?」

 話しかけながら焼き菓子を勧めれば、アルテは嬉しそうに一つ摘まみ口に入れる。

「大きい仕事が終わったから、少し長めの休暇をもらったのよ」

 ……アルテの仕事は傭兵だ。魔獣と呼ばれる人を襲う生物を退治する依頼が多いが、護衛だとか捜索だとかも請け負ってくれる、何でも屋なのだと聞いたことがある。戦争にも参加したりするらしい。

 ティオは傭兵のことはよく知らなかったのだが、アルテが傭兵になったと手紙を寄越したのだと彼女の母が話しに来たことがあり、その時に傭兵についても話していった。女の子なのにそんな危険な仕事に就くなんてと嘆いていたので良く覚えている。

「いつまでいるんです?」

「んー三日くらいかなぁ」

 湯が沸いたので話しながらティーポットとカップに注ぎ、このお茶の適量はどのくらいだろうかとティオは首をかしげた。

「随分短いですね」

「……だって、この島遠いじゃない。移動に何日もかかるのよ」

 湯を捨て少し多めに茶葉を入れる。花の香りだろうか、缶を開けただけで、すでに甘い香りが鼻をくすぐりティオは思わずにんまりと笑う。熱湯は熱すぎるかもと思ったが、適温もわからないのでそのまま湯を注いで蓋をして少し待つ。

「そうですね、船から下りてくる人達はみんな疲れた顔をしていますしね」

 ティオはこの島から出たことがない。赤ん坊の時に母に連れられて来て、それっきり船に乗ったこともないから、この島が他の島や大陸からどのくらい離れているのかも良くわかっていないのだ。

 だけど島を訪れる人達のことはよく見ている。自分が動けない分、他所からの情報を仕入れるためには外から来る人と交流を持つのが一番だからだ。

 アルテが住んでいるのは常夏の国などと呼ばれるくらいの暖かい地域にある国だ。夏がよくわからないティオでも、少し動いただけで汗が流れるくらいの気温だと言われれば、この島からは遠そうだと思う。この島は常にほんの少し暖かいかほんの少し寒いかで、極端に暑くも寒くもならないから。

「わあ、すごい綺麗な色!」

 蒸らしたお茶をカップに注げば、華やかな紅い色が白い器の中で踊る。

 普段のお茶はティオの髪によく似た赤茶色をしているが、このお茶はもっと黄色味の少ない紅色だ。お茶ではなくて別の飲み物だと言われても疑問を持たないだろう見た目と香りに、ティオは頬を紅潮させ興奮している。

「えへへ、喜んでくれて嬉しいわ」

 ティオの興奮ぶりに気を良くしたアルテも、目の前に置かれたカップを持ち、香りを楽しむ。

 一口飲んで顔が綻ぶ、やっぱりティオの淹れるお茶は美味しい。向こうのお店で出てくるものと比べても遜色ないどころか、ティオの淹れてくれたお茶の方が美味しい気がするなとアルテは口元が緩む。

「! 酸っぱい……!?」

 しかし、お茶を淹れた本人は予想外の味に驚いていた。見た目からも香りからも予想出来なかっただろう味。ティオは目をまん丸くして、未知の味と対峙していた。

「味も香りも主張がすごいですけど、このお茶美味しいですね!」

 目を輝かせてお茶の感想を述べたティオは、アルテに微笑みかけ、もう一口飲む。

「気に入ってくれて良かったわ、結構好みが分かれるお茶なのよ。……ティオは好きそうだと思ったから持ってきたけど」

 安堵の表情をしたアルテも一口飲み、ついでに焼き菓子も摘まむ。ティオの出してくれる物は何でも美味しい、これも精霊の影響なのだろうかなどと考えて、まさかねとアルテは笑う。

 少しの間、二人は無言でお茶と焼き菓子を堪能した。



「それで、アルテさんは僕に何か話があって来たのでしょう?」

 一息ついてティオが口を開く。対照的にアルテは口を閉じる。

 彼女の性格からすると、ただ世間話をしに来ただけという可能性もないではないのだが、今回は違うとティオは確信していた。

 ティオの顔を睨むように見詰めてみたり、視線をあちこちにさ迷わせてみたりとアルテは落ち着きがない。話はあるのだが、どう切り出したらいいかわからない、といったところだろうか。

「話したくない、というのなら無理にとは言いませんが……」

 あまりにも困った様子のアルテにティオは助け船を出す。無理に話しをしたところで、楽しいことにはならないだろうから。

 それを突き放されたように感じたのか、慌ててアルテは口火を切る。

「あの、ね……団長に、その……告、白されたの」

 俯いて赤くなるアルテを見て、ティオは一つ瞬きをした。

「はい。返事はされたのですか?」

 恐らく返事をしていないのだと気付いていながらティオは尋ねる。何らかの返事をしているのなら、結果をあっけらかんと言ってしまう、彼女はそういう性格をしていた。

 案の定アルテは小さく首を横に振る。

「返事はしてない……少し、考えさせて下さいって言って、帰って来ちゃったの」

 ……団長さんには拷問のような時間だなとティオは苦笑した。だけどすぐに答えを出してしまわないアルテが、彼の告白を真剣に考えているのだとわかり少し安堵もする。

「アルテさんは、団長さんのことお嫌いですか?」

「嫌いじゃない! 嫌いじゃないけど……同じ好きかはわからない。すっごく尊敬してるし、信頼してる。隣に立ちたいとか……背中を守りたいとかは思ったことあるけど、好きとか……考えたことなくて」

 ティオの問いに、確認するように思っていることを並べ立てていたアルテは、最後には小声になり口を尖らせた。

「慕ってはいるのですね」

「もちろん! でも、私……どうしたらいいかわからなくて」

 ティオが確認のために発した問いに、アルテは即答するが続く言葉は尻すぼみになっていく。小さくため息を吐いたティオは困ったように笑いかける。

「僕も、その手の話にはあまり良い助言ができないのですが……」

「でも私、ティオがいいの、ティオのくれる言葉ならきっと納得できる」

 なんと言っても、ティオは外見にそぐわない長さの人生経験に対して恋愛経験が極端に少ない。だからアルテの相談に適切な助言は出来ないだろうと断りを入れたのだが、当のアルテはそんなことは意に介さないどころかティオの言葉なら何でもいいような口振りだ。

 彼女が町に住んでいた時にそんなに助言などしたことはなかったと思うのだが、どうしてこんな慕われ方をしているのだろう?

 アルテの態度にため息を吐きそうになったティオは慌てて深呼吸を一つする。

 吐いて、吸って。


「では、一つ」

「うん」

 前置きをしたティオにアルテは真剣な表情で頷く。

「思っていることを伝えてみてはどうですか? 団長さんに対して思っていること、好きとか嫌いとかの明確な言葉じゃなくて、告白されて考えたことだとか……。最初から完璧な答えじゃなくてもいいのではないでしょうか」

 助言というよりは提案だった。けれど最初に言ったようにティオは恋愛経験が乏しく、正しく助言は出来そうにない。だからアルテの心に寄り添いながら、彼女が一歩でも踏み出せるようにと言葉を送ったのだ。

「でも、……恥ずかしいよ」

 しかしアルテは口を尖らせて文句を言う。

 信頼してくれるのは嬉しいけれど、彼女の心をティオが決めてしまうのは違うだろう。それはアルテもわかっているはずだ。

「恥ずかしくて進めないなら、そこまでの気持ちかもしれません。アルテさん、尊敬や信頼の気持ちも伝えたことがないのではないですか?」

「え、あ……そう、かも」

 兎に角どんなものであれ気持ちを伝えようとしなければ、二人は前にも後ろにも進めないだろう。だからティオは進むための言葉を送る。

「嬉しいでも、嫌だと思うでも、伝えてみるべきです。どんな感情でも団長さんは受け止めてくれると思いますよ」

「……うん」

 僅かでも考える様子を見せたアルテに、少しは効果があっただろうかと思う。

 一人で悩んで答えが出ないなら、二人で悩めばいい。導き出される答えがどんなものでも、きっと納得のいく答えが出るだろう。



 港からアルテの乗った船を見送り、家に帰ってきたティオはお茶を飲む。甘い香りを漂わせる、酸っぱい味の紅い不思議なお茶に自然と笑顔がこぼれた。

 恋は甘いものだとか、甘酸っぱいものだとか言い出したのは誰なのだろうか。……どこかの詩人は恋は花だと言った。



 彼女の恋も、甘く香る南国の花を咲かせたのだろうか。

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時計塔の囚人シリーズ(短編連作) みなぎ @minagi04

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