日本にとって核共有が必要ない理由

 2022年のロシア軍によるウクライナ侵攻によって急に注目を浴びるようになった意見の一つが「核共有」です。英語では「ニュークリア・シェアリング【Nuclear Sharing】」と言います。

 「核共有」とは、核兵器を複数の国によって共有する‥‥‥ということであり、核を保有していない国でも元々核を保有していた国の既存の核兵器を利用させてもらえるようになり、NPT核不拡散条約に違反することなく核武装することが可能となります。2022年時点では核保有国のうちではアメリカだけが対応しており、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコがアメリカと核共有をしています。「日本も核共有すべし」「日本も核共有すべきでは?」と意見を述べている人は、日本もアメリカと核を共有することで核抑止力を高め、国防力を高めるべきだと考えているようです。


 結論から言うと、馬鹿げています。


 議論すること自体を否定するつもりはありませんが、現状で「核共有すべし」と主張する人たちと議論を進めることに意味があるとは思えません。「日本は被爆国だから」とか「非核三原則があるから」とかいう道義的な理由はこの際置いとくとして、まず「核共有」に前向きな意見を言っている人は「核共有」について勘違いしているとしか思えないのです。そして勘違いを基に議論を始めたところで、まともな結論が得られるわけはありません。

 もし本気で「核共有」について議論を進めたいのなら、まずもってその勘違いを是正し、正しい認識を基にして議論を進めるべきでしょう。


 私個人としては純軍事的理由から、日本には「核共有」は必要無いと考えます。


 第一に「核共有」では核抑止力は高まりません。

 核抑止力とは、「相手は核兵器を持っているのだから、こちらから下手なちょっかいを出すと核兵器で報復され、甚大な被害を被ってしまうかもしれない」と相手に考えさせることで、自国への攻撃を未然に思いとどまらせる機能を言います。「核共有」に前向きな人たちは、どうやら「日本も核共有すれば、日本の核を恐れて攻撃しようとは思われなくなる」と考えているようです。ですが、「核共有」をいくらしたところで、核兵器による報復攻撃能力が得られるわけではありません。「核共有」に参加している非核保有国を攻撃したところで、その国から核兵器による報復攻撃を受ける可能性はまずありません。よって、核抑止力も高まることはありません。


 「核共有」とはどういうことかと言うと、核保有国が核兵器(核弾頭)を提供し、それを運搬する手段(つまり爆撃機等の航空機やミサイル)を参加国が提供することで共同運用することを言います。核弾頭は核保有国の管理下に置かれ、参加国が自由に使えるようになるわけではありません。管理体制については常に参加国間で協議され、実際に運用するためには核保有国の同意が……つまりアメリカ合衆国議会の過半数での議決が必要となります。

 まずアメリカ合衆国(「核共有」に対応している核保有国はアメリカ合衆国のみなので)の国益に沿っており、なおかつアメリカ合衆国が必要と認めなければ、「核共有」をしていても核兵器を使用できません。それこそ世界大戦のような状況で、アメリカも参加国も同じ国を相手に戦っていて、なおかつ核兵器による報復が必要であり、同時にアメリカ合衆国に核兵器を運用する運搬手段(航空機やミサイル)が無い場合でもなければ、核兵器による報復攻撃を実施することはできないでしょう。


 Wikipediaの日本語版と英語版を見ると、フランチェスコ・コッシガ元イタリア大統領が、冷戦期のイタリア軍がハンガリーやチェコスロバキアに核攻撃を加える報復攻撃計画があったと発言している記事が載っていますが、おそらく何らかの間違いだと思っています。

 イタリアが共有化している核は当時も今も「B-61」という航空機投下型核爆弾で、航空機によって目標上空まで運んで投下しなければならない戦術核爆弾です。もし、それで報復攻撃を行うとすれば敵の防空網を突破して敵国上空に侵入せねばならず、しかも核兵器搭載の爆撃機は最優先で迎撃されるので、当時も今も「そもそも敵地への攻撃成功率は低い」と考えられていました。

 アメリカ合衆国が「B-61」のような航空機投下型核爆弾を「核共有」の対象としているのは、共有国がアメリカを偽って攻撃目標を勝手に変更して報復攻撃をしようとしても、それで核攻撃を成功させることが困難だからに他なりません。敵防空網の影響を受けない国内でしか、現実的に使用できない代物なのです。

 したがって、これを使った報復攻撃計画があったという話も「一応、可能性を研究してみた」とか「計画はあったけど実施される可能性のないペーパープランだった」とかいう類の一種のか、あるいは元大統領自身が何らかの勘違いで発言しているだけの様な気がします。


 とまれ、世界大戦のようにアメリカと参加国が同一の敵国に対して同時に戦争をしていると言う状況自体がまず考えにくくなった今現在、核報復が必要なのにアメリカに運搬手段が無く、なおかつ参加国には運搬手段が遺されているという状況自体が果たしてあり得るのか?というと、まず無いと言っていいでしょう。

 アメリカ合衆国は大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機、空母機動部隊、原子力潜水艦を保有し、その気になれば地球上のどこにでも24時間以内に核弾頭を投下できる能力を持っているんですよ?そのアメリカが核を投入できず、しかも核を投下できる能力をアメリカよりもはるかに軍事力の劣った第三国が確保し続けているってどういう状況ですか?


 では「核共有」は何を目的としているのでしょうか?


 「核共有」によって共有化された核兵器は、共有国の国内において使用されます。ドイツの場合はドイツ国内、オランダの場合はオランダ国内、ベルギーの場合はベルギー国内、イタリアの場合はイタリア国内、トルコの場合はトルコ国内で使用される核兵器を共有しているのです。これはどういうことでしょうか?


 これは「核共有」が始まった頃の国際情勢が背景にあります。当時は冷戦真っただ中で、ドイツもイタリアもトルコも、強大無比な陸軍を保有するソヴィエトを中心とするワルシャワ条約機構の脅威にさらされていました。ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコはそれぞれ自国領内にワルシャワ条約機構軍が大挙して侵攻して来る脅威を、当時は切実に感じていたのです。

 地を埋め尽くすような大軍相手に通常兵器で立ち向かっていてはらちが明かない。多勢に無勢で対抗できない。そこで、自国領内に侵入してきた敵の大部隊を核兵器で一掃しようという発想が生まれます。これは当時としてはごく当たり前な発想でした。


 ですが、自国内で核兵器を使えば当然ですが無傷では済みません。せっかく敵を追い払っても残されるのは放射能汚染され、荒廃した自国領土だけです。そのような身を切るような防衛方法も真面目に考えねばならないほど切迫していたわけですが、だからといって自国領内でポイポイと核兵器を使われたらたまったもんじゃないわけです。ましてや、自国防衛のためとは言え外国(米国)の意思で外国人(米国人)の手で核兵器をジャンジャン使われるなんて、当事者としたら冗談じゃないわけです。

 また、米国にしても強大なワルシャワ条約機構軍を相手に核兵器を使わずに通常戦力だけで当たって無駄な出血を強いられるのはごめん被りたい。核兵器で一掃できるなら核兵器を使った方が自国の被害は少なくて済む。だけど、下手に核を使えばその国の国民から恨みを買ってしまうことは避けられない。


 じゃあ、どうする?


 そこで生まれたのが「核共有」という考え方であり、制度です。


 核弾頭はあくまでも核保有国(米国)が管理しますが、運用に必要な運搬手段(爆撃機)は共有国が管理します。つまり、共有国に自国に侵入した敵への核攻撃をさせることで、米国は同盟国から逆恨みをされずに済みます。そして、共有国は米国の勝手な思惑と判断だけで自国内で核兵器をバンバン使われてしまう事態を避けることができるわけです。


 つまり、「核共有」される核弾頭は、使なのです。したがって「核共有」で共有化された核弾頭は使。よって、「


 「核共有」とは核保有国(米国)が核を使っても使用した国に恨まれないための制度であり、核兵器で自国を守ってもらう国が使われ過ぎないようにブレーキを掛けるための制度なのです。(厳密には米国は共有国の意思に関係なく核兵器を使用することが可能であり、ブレーキの効果は限定的でしかありません。)

 また、予め共有国に共有化した核弾頭を置いておくことで、アメリカは確かに同盟国を核の傘で守っていると保障するための制度でもあります。


 では日本にとって「核共有」が果たして必要になるでしょうか?


 そもそも「核共有」とは前述したように自国内にワルシャワ条約機構軍の大軍が雪崩れ込むことを前提にしたものです。実際、「核共有」している国(ドイツ、イタリア、トルコ、オランダ、ベルギー)はいずれもワルシャワ条約機構所属国とは陸続きであり、もしも第三次世界大戦が起きればワルシャワ条約機構軍が大挙して押し寄せてくる可能性の高い国々でした。

 対して日本はまずロシアと陸続きではありません。冷戦当時、仮にソヴィエト・ロシアが大挙して押し寄せてくるとすれば北海道や新潟・北陸あたりに上陸することが考えられていましたが、今現在のロシアに海を越えて大軍を日本の本州・四国・九州・北海道のどこかへ揚陸させるだけの能力を持っていません。そのような能力を持っているのは世界を見渡してもアメリカ合衆国だけです。

 もしも今現在、アメリカ合衆国以外の外国が日本に侵略を企てて大規模な軍勢を上陸させて来る可能性があるとしたら、せいぜい沖縄諸島ぐらいのものでしょう。


 じゃあ、沖縄諸島に核を使うんですか?


 ロシアと地続きで平坦な土地が広がっていて陸軍が好き勝手に移動できる欧州や中近東ならば、大軍が集結しているところへ核兵器を投入して一挙に殲滅を図ることには意味があります。その価値もあるでしょう。

 ですが、沖縄諸島のような小さな島々に上陸した陸上部隊は、船を使わなければ移動できません。


 離島に上陸した敵を一掃するために核を落とすくらいなら、その島を海上封鎖して兵糧攻めにした方が良くないですか?


 敵の艦船を追い払って海上封鎖してしまえば、離島に上陸した地上部隊はそこから移動できません。大陸ならば自力で好き勝手に動き回られてしまいますが、沖縄諸島のような小さな群島ではそれもできません。その上陸部隊から船を奪ってしまえば、それだけでその上陸部隊は事実上その島に拘束され、同時に遊兵化されてしまうのです。

 どのみち敵の艦船は沈めなければならないのです。敵艦船を沈めてその島の上陸部隊を孤立させたら、その後でわざわざ島に上陸した敵地上部隊を攻撃しなかったとしても、そのまま取り囲んで兵糧攻めにするだけで相手は勝手に飢えて勝手に降伏してくれるんですよ。

 その間、沖縄県民はどうするつもりだ!?って問うてくる人には逆に訊きましょう。核を使う方が県民を守れるとでも?


 もちろん、実際には水陸両用部隊を上陸させて敵上陸部隊を攻撃することにはなるでしょう。でも、核攻撃を行う必要性まではありません。そんなことするぐらいなら兵糧攻めにする方がずっとマシです。


 ね?沖縄みたいなところにわざわざ核兵器を使う必要がどこにあるんですか?


 つまり、日本にはそもそも「核共有」しなければ防衛しきれなくなるかもしれない状況というのは、ゴジラとか使徒とかでも上陸してこない限りあり得ないんです。

 自国内で核を使う必要性が無い国が、わざわざ「核共有」をする必要性はありません。その意味もありません。価値もありません。


 核兵器による報復はどのみち米国の仕事です。「核共有」で共有化した核弾頭が共有国の領土外で使われることはあり得ませんから、「核共有」を実現したとしても核による報復能力は得られませんし出来ません。

 つまり、「核共有」したとしても日本の核抑止力(核報復能力)は、米国に依存している今までの状況と何ら変わらないということです。それでいて「核共有」した場合、自衛隊は使いもしない核を運用するための装備品を調達し、核を運用するための訓練を強いられることになります。


 つまり日本が「核共有」しても(米国も含め)誰も得しないし日本の負担が無駄に増えるだけなんですよ。むしろ核運用のためにリソースを割かれて、通常戦力のためのリソースが削られてしまうかもしれないんです。それでは逆に自衛隊の戦力ダウンにつながりかねません。

 これが私が日本に「核共有」は必要ないと考える第二の理由です。


 「日本も核共有を考えるべきだ」などと尤もらしいことを言っている人は、「核共有」を理解していないとしか思えない……私がそう考えるのは、コレが理由です。真面目に考えたことがある人なら、「日本も核共有して核抑止力を」なんて馬鹿げたことは言えませんし言いません。自衛隊の当事者たちでも、「核共有」すべしと考えている人はほぼいないでしょう。非核三原則とかNPT核不拡散条約とかを抜きにしても、まったく意味が無い(日本の防衛力向上には寄与しない)からです。

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もっと頭のいい人がもっとマシなこと考えていること 乙枯 @NURU_osan

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