Rainy Shiny Blossom

shygeekey

Rainy Shiny Blossom

自分の周囲の見え方は人の立場によって違う。


上の立場の人間は自分の立場の周囲しか見えないが、


下の立場の人間は自分の立場の周囲の他に、自分より上の立場の人間の位置が見えてしまう。


だから下の立場の人間は、そこを避けるように過ごすしかない。


そうしないとイライラ棒のようにバーンと罰を受けるからね。


ボクは小学生の時も、中学生に入ってからも、自分が下の立場の人間だと気が付かなかった。


上の立場の人間と友達になろうとして近づいても、裏切られてきた。


ずっと馬鹿にされ続けたボクはやっと悟った。


最底辺で、上の立場の人間を地面から見上げて避けていく方がよっぽど楽だってことに。


とある中学三年生のクラス。ボクはいつも教室の光の当たらない場所を探している。


呼ばれているあだ名はカタツムリだという。


いつも殻に閉じこもっているボクにお似合いだ。


でもそう言ってるヤツは、自分がそう呼ばれた時の気持ちを考えて呼んでるのだろうか?



◇ ◇ ◇



学校の授業には興味がないが、道徳の授業は明確に嫌いだ。


この教科は人を救うための授業だというのに、どれだけの人を救えているのだろうか。


クラスの担任はある道徳の授業でこう言った。


「誰もが人生で花を咲かせるんですよ」


へー。そうなんだ。


そうだな。例えば一番前の席に座っているあの子はサクラかな。


クラスのマドンナ的存在で、頭も良くて、将来はアナウンサーを目指しているとか。


それからその左隣のあいつはヒマワリかな。


クラスのリーダー的存在で、サッカー部の主将で、将来はモデルを目指しているとか。


それじゃあ、ボクはいったい何の花が咲く。


クラスで存在感もなく、頭も良くなければ、容姿も良くない。部活もやっていないし、夢もない。


光が当たらないから、光合成もできないから、成長もできない。


つまりボクは咲かない。咲くはずがない。学校の先生が嘘を教えていいのかよ。


無観客なボクの心の中でツッコミを入れた後、窓を眺めながらボクは悟った。


でもそうか。あなたも学校の先生になるってことは、なりたいって思ったってことは、


ボクらの年の頃に、それなりに学校で良い思いをしてきたからだよね。


つまり上の立場の人間だったんだよね。


そうか。嘘はついていないのかもしれない。


本当に見えていないだけなんだ。仕方ないよね。それなら。



◇ ◇ ◇



6月の終わり。曇天の放課後。騒がしいグラウンド。賑やかな体育館。


防音壁となる校舎のおかげで、比較的静かな環境を手に入れている中庭。


ボクはそこで、独り黙々とスコップを片手にしゃがみ込みながら汗を流していた。


この学校は全員が部活動に入る必要はないが、委員会には所属しないといけないことになっている。


ボクは園芸委員に所属していた。


園芸委員の仕事は、昼休みと放課後に花壇の管理をすることだ。


これは他の委員会活動に比べて、遥かに労働コストが低かった。


園芸委員になりたい人の目的はただ一つしかない。


それはサボれるということだ。


園芸委員の仕事は各クラスで決められた園芸委員が、持ち回りで行うことになっている。


つまり理論上業務は週に一度あるかないかくらいなのだ。


でもそれはあくまで理論上の話だ。


ボクの出番は週に一度どころか、五度もある。


園芸委員長という名ばかり管理職を押し付けられているボクは、残業手当もなく他の委員の労働時間をゼロにしている。


もちろん園芸委員長の仕事は月に一度の会議に参加することであって、みんなの仕事を肩代わりすることではない。


こういった状態に陥ったら、普通の人間なら抵抗するだろう。


例えば委員たちに是正を要求したり、担当の先生に状況報告をしたりするはずだ。


でもボク以外の委員は皆、ボクより上の立場の人間だった。


最底辺のボクは、地面から空を眺める方がまだ楽だということを知っていた。


抵抗しないということは、この環境を受け入れているということ。


もしくはこの環境を望んでいるということ。


そう思われても仕方がないボクに、手を差し伸べてくれる人はもういなかった。


自分が蒔いた種だね。園芸だけにね。あはは。



◇ ◇ ◇



それにしても今日は蒸し暑い。


それなのに心は熱くならずに冷え切っている。雲行きの怪しさを嘆いていた時だった。


ポツッ 


ポツッ 




ザァー


追い打ちをかけるように、枯れた茎のように折れ曲がったボクの背中に雨が降り注ぐ。


他称カタツムリだが、雨の日は大嫌いだ。この管理職としての仕事が一気に大変になる。


気候だけでなく心もジメジメしているのに、なぜかボクの根っこには水が通わない。カラカラだ。


そういえば食虫植物は水が通わない場所に生えるから、虫を殺して食うんだっけ。


カラカラだったら。仕方ないよね。それなら。




・・・仕方ないのかな。


目を閉じると浮かぶ数人の友人、将来を期待している両親。おじいちゃんおばあちゃん。


・・・ボクはやっぱり食べられない。



◇ ◇ ◇



この時期の花壇はあまり花が咲いていない。


でも春にはサクラの木に花が、真夏にはヒマワリが咲くだろう。


花だって、いろんな花がある。


同じビニールハウスで包んでいればみんな勝手に育つわけじゃない。


その上この学校というビニールハウスは寒暖差がありすぎる。


ボクだってサクラやヒマワリを咲かせたかったんだ。


でも咲かせられないって悟ってから、ボクはもう花が咲かなくたっていいと思った。


雨は一層強くなる。よく考えたら別にこの花壇の花たちにそこまでする義理なんてない。


見捨てたって構わないはずだ。


でももう君たちを守ることくらいしか、ボクには生きている理由がない。


だから君たちが枯れたら、ボクも枯れてしまおうかな。


身体に降り注ぐ雨、心をこれでもかと冷やしていく。


そして目頭だけが熱くなる。しょっぱい雨も地面に降り注いでいく。


でもおかしいな。


雨音はするのに、外は確かに曇っているはずなのに、


もう身体が冷たくない。


不思議に思ってふと天を見上げると、


広がるのは空ではなく、紫色の世界。生地と骨組みがまるで一輪の花のように広がっていた。


傘が差し伸べられていたのだ。


「き、君は?」


「私ですか? 私は一年A組の園芸委員です」


戸惑うボクに、その傘の持ち主がボクの名前を「さん」付けで呼んだあと、


「あっ、カタツムリ先輩って呼んだ方が良かったんでしたっけ?」


そう屈託のない笑顔で言った。


ボクは部活に入ったことがなかったので、常に同じ学年の人たちとしか交流がなかった。


だから後輩という人種とロクに話したことがなかった。


だがこの後輩の態度が初めて会った人に対して、特に先輩に対してする態度ではないということはわかった。


「ちょっと君、何なの」


「何なのって、今日の放課後が私の当番だったのでここに来ただけですが」


提示されたのは、形骸化したシフトが書かれたプリント。


シフト通りに委員がやってくる。こんな当たり前のことがボクにとっては非日常だった。


「あぁ・・・、そういうこと」


「でも先輩って、よっぽど花が好きなんですね」


「えっ、いや・・・、別に・・・好きなんかじゃ」


ボクはあくまでサボりたいという理由から園芸委員になったし、その仕事もボクの存在意義を求めて実行しているに過ぎない。


「他の委員の人が言ってましたよ。先輩は花が好きすぎるから、自分のシフト以外の時も代わりに作業してるんだって」


それはボクが惨めに見えないような気がするから、広がっていることを黙認していた噂だった。


「先輩は、毎日一人で花壇の管理をしてるんですからね。そんなの好きじゃないとできませんよねー。カタツムリ先輩っ!」


ケラケラと笑う君。それを見てボクは悟った。


君も上の立場の人間ってわけだ。ボクのことを、皮肉を言って馬鹿にしに来たわけだ。


今までのアイツらとは違って、ボクをコソコソ笑うんじゃなくて、堂々と笑うつもりなんだ。


今までのボクだったら無視していただろう。その方が楽なのだから。


でも君が後輩だったからなのか、それとも何か惹きつけるものがあったからなのか。


「あのね、いいかげんに」


珍しく抵抗をしようと、立ち上がろうとした時だった。


ツルッ ドサッ 


すべって仰向けに倒れてしまう。


制服は土でドロドロになり、お似合いな自分。そしてすぐ横をみれば、葉っぱに這いつくばるカタツムリ。


・・・なんで、余計なことをしちゃったんだろう。


後の祭りのボクは我慢の限界を超え、そして、


「君も・・・、君もヤツらと同じなんだろ!これ以上ボクを馬鹿にしないでくれよ!ボクはどうせ地面を這いつくばるカタツムリなんだから。もうここに来なくていいから!どうせボクなんかに花は咲かないんだよ!」


哀れに言い放った。すると、


「・・・嫌です」


君はボクの瞳を見つめ力強く言った。


「私も花が好きで、園芸委員になったんですから、来ます。それに馬鹿になんかしてないです。この花壇を見れば、あなたがこの花たちを大切に育ててくれたことがわかりますから」


そして地面に横たわり続けるボクに、


「そうですね、あなたは・・・」


そう言って君が指差した先には、


「・・・這いつくばるカタツムリ・・・」


やっぱりカタツムリじゃないか・・・。


無観客なボクの心の中でツッコミを入れようとしたが、


「・・・のいる葉っぱを生やした、どんなに雨に降られても輝いている・・・」


指差した先を良く見ると、そこには雨に濡れても輝いていた紫色の花。


「・・・アジサイの花が咲きますね」


その言葉を聞いた瞬間に、ボクは身体が熱くなるのを感じた。


君がボクの花を示してくれた。


ボクも花を咲かせられるんだって。雨の日に輝くそんな花に。


君だけがそんなことを言ってくれた。


その時ボクの中の葉緑体が初めて光合成を始めたのがわかった。


アジサイのように地面から空を見上げた。この時だけは落ちてくる雨が心地よく思えた。



◇ ◇ ◇



中学を卒業してから12年が経った。


ボクは大学の農学部を卒業したあと、種苗会社に就職し、その後独立して花屋を経営している。花の知識には自信があったから、徐々に信頼を勝ち取り、経営も順調だ。


中学三年生のあの梅雨の日、君と出会わなければ、ボクはこんな充実した毎日を過ごしてはいなかっただろう。


ところがボクはあの日以来、君とほとんど話すことはなかった。


本当だったら二人で話しながら、ワイワイ作業をしたかった。


でもシフトが違ったから、会う理由がなかった。


つまりあれから変わったことは中学三年生の一年間の間だけ、1週間に1度委員の仕事が休みになったこと。


そしてボクが、花が好きだったことに気付いたことだけだった。


でもボクには確かめられていないことがある。


それは、ボクは花を咲かせることができたのかということだ。



◇ ◇ ◇



初夏のある日、ボクは店の前に立っていた。


学校帰りの子供たちと話していると、


「「あっ、雨だ」」


ポツッ 


ポツッ 




ザァー


そんな子供たちの声を合図に、冷たい雨が降り注いできた。


慌てて外に出していた鉢を店の中に入れようとする。


でもおかしいな。


雨音はするのに、外は確かに曇っているはずなのに、


冷たい雨が身体に降り注がない。


不思議に思ってふと天を見上げた時、


「もうすっかり満開ですね」


声を掛けてきた客がいた。そしてその客はボクの名字を「さん」付けで呼んだ後、


「あっ、カタツムリ先輩って呼んだ方が良かったんでしたっけ?」


ボクはその客の無邪気な笑顔を見た瞬間に、


「―なんて、冗談ですよ、・・・アジサイ先輩」


ボクは身体が熱くなっていくのを感じた。

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