届かなかった花束 パート5

それからは無駄話に花を咲かせたり、お客の様子を観察したりしながら、ギターを弾きまくったよ。暑いなかよくやったもんだ。


「お兄さん、指先に深い傷ができてますよ。痛かないんすか」

「何ともないね。皮膚が硬くなっちまったところさ」

「タコみたいなもんすか」

「ああ。俺ぁ昔はFコードが苦手でね。変な風に糸を押さえてたら、皮膚が傷みたいにへこんじまった」

「へぇ。あんたにも苦手なコードがあったんすね」

「ギター買ったばかりのガキの頃の話だがね。上手く弾こうと必死だったが、楽しかった」

「いいことじゃないっすか。てかなんで音楽やろうと思ったんすか」

「聴かせたい歌があったからよ……おっと。足音がするぜ。お客さんだ」

「せわしない歩き方ですな。よほど切羽詰まってるように見える。やりましょう」


 そうして、俺たちの不思議な夜は更けていった。雑談のさなか視線を落とすたびに、花弁は開き、色にも鮮やかさが少しずつ戻っているのが分かった。

 それから……十一人目の客が席を立つころだったかな。


「おかげさまで、私も気が楽になりましたよ。音楽も、飾った花束も素敵だった。ありがとう、占い師さん」


 客が丁寧に例を言った。俺は軽くお辞儀して、顔を上げると、すっかり様子を変えた花束が目に入ったよ。店先にならんだばかりのような姿を取り戻していたんだ。しゃんと伸びた茎と、瑞々しく開いた葉、そして鮮やかな色は、単に「光の加減」や「目の錯覚」で片付けられるものじゃあなかった。


「よし、ここまで下がりゃあ、確実に安心だ」


 占い師が手をかざしてみて、うなずく。それから素手で花束を取ると、俺の手に握らせてみせた。あいつのつかんでいた辺りだけに、わずかな温もりが残っていた。


◆◆◆


 不思議なやつのところには、不思議なものが集まるもんなんだろうな。癖がすごくて、並の人間じゃ扱えないもんなら、なおのこと惹かれ合うんだ。

 あの花束も例外じゃなかったよ。『熱』が下がったところで、占い師に引き取られたのさ。奥さんに見せたいんだと。俺ぁてっきりお祓いにでも使うもんかと思っていたがなぁ。


「単に、飾ってやるだけっすよ。ちょうどいい花瓶もあるんでね。捨てられた花束も喜びまさぁ」


 占い師はバカでかいリュックをかついで飄々と言ったよ。中身は占いの道具がたくさんと、コインケースだ。黄金色のコインやお札がぎっしり詰まって、よく耳を済ますと、鞄の奥でじゃらじゃらと音を立ててたな。なにしろ俺に「手伝ってくれたお礼っす」って一割をくれて、なお余りある量だった。


「優しいな、占い師さん。花束ってのはさ、誰かを想って作る物だろう、あんたの占いと同じで。相手に届かなかったもんは意味ないんじゃないのか」

「救いにもなるでしょう。お兄さんがギター片手に、誰にともなく歌うラブソングのように」


 占い師が花束を抱き上げた。赤ん坊のほっぺたを撫でるように、包装紙の汚れをそうっと拭いた。


「お兄さん、お忘れのようですが、なかなか良い選曲センスでしたぜ。今日の売り上げはほぼあんたのおかげと言ってもいい」

「ずいぶん持ち上げるじゃないか。こっちはただいつもどおり、思い出した曲を弾いただけさ」

「それっすよ。あんたレパートリーは何曲ある?」

「楽譜なしで弾けるやつだけで十五曲、楽譜があれば、もう十曲。あとは練習しなけりゃダメだ」

「立派なことでさぁ。そこからお客さんにぴったりなやつを選びとるって、なかなか難しい芸当ですぜ」

「なに、俺ぁ単に自分の思うがままを、星座よろしくあれこれ言葉でつないでるだけだがね……それがたまたまお客さんにゃ、白鳥や金の羊に見えたってだけのこと」


 あのときは世辞で言ったのかと思ったが……あいつの足運びは軽やかで、兎の首飾りも胸の上で、ぴょこぴょことスキップしてたのを覚えてる。悪い気はしないもんだ。

 しかも、その後の一言だよ。


「そのおかげで『熱』も早く下がりましたからな! いやあ良かった良かった」


 そう簡単に明かせるタネでも、なんて言っていた割にゃあ、不意打ち気味にヒントを寄越すもんだ。きみも謎のままだと思っていたろう?

 あいつが言うには、確かこういうものの『熱』は他人の心にある悩みや思いへぶつけることで、吹き祓えるんだと。ギターの音は、目的のところまで誘導するための『レール』の役目を果たすらしいんだ。俺にゃ今でもさっぱり分からんがね。


「あの最初に来た女性を覚えてますか」

「ああ、家族の心配をしていた人だろう」

「ほめてましたよ、お兄さんの歌を。あとはあの花束も……燃えるような色と、素敵な音楽に勇気をもらったって」


 占い師はいくらか客の感想を話してくれたよ。俺は暑さのせいであまり覚えちゃいなかったが、あいつが身振り手振り交えて伝えてくれた——最後の客だけじゃないどいつもこいつも、あの花束と歌を褒めていたってさ。特に客のひとりの看護師、来たときにはワンワン男泣きに泣いてたのに、帰るときにゃあいい顔してたんだとよ。占いだけじゃなくて、素敵なBGMと花束を楽しめたおかげで、心が温まったらしい。


「あの枯れた花が美しかったって? きみの占い道具じゃなくてか?」

「『熱』が伝わると何でもよく見えるもんっすよ。ところでお兄さん、あの『熱』、伝わるときにどうなると思います?」

「どうって——」

「空気の中を伝わるんすよ。一曲やるたんびに、トンネルん中がムワッと暑くなったでしょう。覚えてないんすか?」


 にやぁ、と、占い師がこちらへ身を乗り出した。兎の脚が、手招きするように前後に揺れた。


◆◆◆


 それぞれの後片付けが済んでから、俺たちは二人並んで話しながら、駅まで一緒に戻ったよ。俺は宿を駅の近くに取ってたし、占い師の家もそう遠くはなかったが、一人で帰るにゃ暗すぎたんでね。


「つまり何かね、きみがやろうとしたのは、音のエネルギーを使って熱のエネルギーを変質させる……みたいなことかい」

「あー、そうなんすけど、ちょっと違うんすよ。『熱』を逃がしてやりつつ、そのベクトルを変えるってだけで……そもそも『熱』には花全体に行き渡らせて、活力としてやる分もありましたし」

「そう簡単にゃいかんか。そもそも音ってのは振動のエネルギーだろう」

「てか『熱』は科学でいうとこのエネルギーとは違うんすよ……あぁそうだ。熱いスープを食べるときはフーフー吹いて冷ますでしょう」

「なるほどなぁ。仕組みを聞かされれば一応納得はいくがね」

「そんじゃ、もうヒントは出しつくしたんで、大体そゆことで。あんまり深く考えすぎない方が楽なこともあるんすよ」


 占い師は機嫌よく、抱きかかえた花束を揺らした。トンネルの灯りに近づくと、黄色とオレンジの花びらは、いっそう濃く見えた。

 ……結局俺には『熱』の正体がなんなのか分からなかった。だが、一つ確かなことがあるんだ……俺の歌も、花束も、あるかどうか分からん『熱』も、みんなたどり着くべきところに届いたってことよ。

 あそこに輝く星が見えるかい? そう、あのオレンジ色の星さ。誰が作ったわけでもないってのに、立派に咲いてるもんだろう。

 あのときもそんなふうさ。俺の歌は、当然あの客を思って作ったものじゃない。捨てられた花束もだ。だが、あれは確かに客の力になっていたんだよ。

 ……なに、キザったらしいことを言うってかい。いいじゃねぇか。詩人の男ってのは総じてキザなもんさ。ほら、もう一杯呑もうや。グラスが空いてるぜ。まだまだ夜は長いんだから。


〈おわり〉

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酔いどれ詩人の世界旅行 沙猫対流 @Snas66on6

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