届かなかった花束 パート4
「あんた、ちょっとギター弾いてくれませんか。そこ座ったままでいいんで。突貫工事ですが、『熱』下げてやらなきゃ」
「は、なんだって、ぶつける? 熱?」
「だから、僕これから占いやるんで、隣でギターの伴奏しててほしいんすよ。曲なんでもいいっすから」
「いやそれは構わないが、熱ってのは」
「あぁ、ちょうどお客が来るようですぜ。説明は後だ。このままちょいと『熱』を下げてやりましょう」
占い師はしおれた花束を、俺の足元に立てかけると、やってきた女に椅子を勧めた。女は濡れた髪をハンカチで拭いていたが、軽く会釈し、椅子に浅く腰掛けた。
俺は首の筋をよく伸ばすと、最初に脳裏をかすめたメロディを奏ではじめた。水曜日の夜に一番ぴったりなやつから始めようと思ってな。占い師も片眉を上げ、兎の脚を握ると、指先で優しく撫ではじめた。
「ふーむ、お姉さんともめたんすか。彼女が家の金庫からお金を持ち出したって」
「ううん、今日は何とか思いとどまってもらったわ。でも過去にもそうしたんじゃないかって……。恋人の手術代の足しにって言ってたのよ」
「恋人が、ねぇ。なんかそいつ臭いますな。お嬢さん自身はどうお思いで?」
「少なくとも姉と絶縁はしたくないわ。恋人ができる前の姉は、礼節を重んじる真面目な人だった。今からでも遅くないはずよ」
「じゃ、前向きな方策を考えますか……ここに並べたカードから、一枚選んでくれますか。そいつがお嬢さんにぴったりな策ですぜ」
姉妹の仲に悩む女のためには、包み込むようなバラードを選んだ。
「……おお、『騎手』のカードか。旦那、今が実行のときのようですな。ビストロ開業の軍資金は?」
「たまってはいますよ、占い師さん。しかし怖いのです、家族が路頭に迷うかもしれないと思うと……」
「あんた、三つ星レストランのシェフですもんね。そりゃあんな老舗の名店なんだから、辞めるのも惜しいでしょうよ」
「おっしゃるとおり。しかし、自分はもういい歳なんだから、ここを逃すと一生独立なんか……」
「その先はよしましょう、夢が逃げますぜ」
飲食店を開業したい三つ星料理人には、力強いブルースを奏でた。
「おぉ、またいらっしゃいましたか。二ヶ月ぶりですな。その後の運勢は?」
「サイッコーです! 仕事も趣味も楽しめてる。ゴミ出しのときだってスキップしちゃうくらい。アドバイスのおかげです、ありがとうございます!」
「そりゃようござんすなぁ。しかし、今晩うちに来たのは……別のお悩みで?」
「はい、占い師さん。実は給与アップ目指して資格取ろうと思ってて、どれ取るか悩んでるんですよね」
「へぇ、そりゃまた。候補と理由は決まってるんすか?」
前途有望そうなリピーターの会社員には、軽やかに弦をはじいた。この上機嫌のお客が席を立つとき、最後の一押しとばかりに、イカしたフレーズを鳴らしてやったよ。
それでだいたい一時間くらい経ったんだったか。ちょうど客が切れたってとこもあるんだろうが、ギター弾き終わったら、気が抜けてさ。蒸し暑くて体がほてっちまった。
緩めたシャツで胸元をあおいでいると、ふとあの花束が目に留まって、なんとなしにのぞき込んだ。
そうしたら、いいか、驚くなよ。
しおれた花が、首をもたげていたんだ。色もいくらか濃くなったように見えた……ほら、写真だってあるぜ。こういうときのために撮っておいた。もちろん細工じゃない。タイムスタンプがあるだろう。こっちが先で、こっちが後だ。両方見ると色合いも違うだろう。
「……『熱』が下がったってわけかい」
「おっしゃるとおり。その分だけ、力が戻って元気ハツラツってね」
兎の脚を持って、ヤッホーと手を振るように動かす占い師。一方の俺ぁ、驚いてギター落っことす寸前だった。花ってのは時間が経つとしなびていくもんだろう。それが、たった一時間でこの有様だ。
「なぁ占い師さん、これは……」
「いやぁどうなることかと思いましたが、とりあえず成功っすな!」
占い師は、手を叩いてダハハハと大笑い。空気が波みたいに揺れて、トンネルの中を震わした。ひとしきり笑うと、はたと仕事の顔に戻って、カードを切りながらまたおしゃべりをはじめた。
「しかしお兄さん、今の格好良かったですなあ、あれ何ていう歌っすか」
「『愉快な馬車屋』っていうのさ。チェロで弾く方ならご存知かもしれないが、こいつはギター用にアレンジしたものだ。ところでこりゃどういう」
「へぇーお兄さんがご自身で? それとも楽譜かなんかあったんすか?」
「耳で覚えただけだよ。生まれつき音感は良い方でね。だが、」
「そりゃ大したもんだすげぇっすよ! 僕なんかねぇ、ほらあのラジオの音楽真似ようとしたってね、どうもうまくいかないんすから……」
占い師はやけに興奮した様子に見えたよ。手はすごい速さでカードを切りながら、矢継ぎ早に話しかけてきた。だが、どこかひっかかるものがあってね。
「ギターってのは奥が深いもんですないやはや……」
「なあ占い師さん」
「ああ失礼、お呼びとは気づきませんで」
「あんた何か隠してないか」
カードを切る手がぴたりと止まった。図星だったんだろうな。
そもそも占いってのはさ、統計学とか心理学によるもんのはずなんだよ、きみも分かっていると思うがね。だがこの結果は、今考えたって、神秘の魔術に片足突っ込んでるような気がしたのさ。
「ははは、ずいぶん勘のいいお兄さんですなぁ」
占い師の愛想笑いがトンネルに響いた。
「興味があってね、あの『熱』ってやつに」
「そりゃ勉強熱心なこって」
「萎れた花と新鮮な花をすり替えたとも思えない。手品にしちゃできすぎた仕掛けだが……」
「話すと長いっすよ」
にやけた口からドスの効いた声だ。俺は息を呑んだ。
「そう簡単に明かせるタネでもござぁせんが……手品や隠し芸と一緒にしてほしかぁない。あんたは見たところ親切な方のようだが……」
風もないのに、兎のペンダントの毛がぞくぞくと逆立つのが見えた。つぐんだ口にも、つい力がこもったのを覚えてる。呼吸しただけで、あいつを取り巻く『熱』が飛び込むような気がしてさ。
「……ああ、すいません。ついムキになっちまいましたよ。僕もまだまだ子どもですなあ。さあさあ、ひとつ切り替えて続けましょうや」
占い師が大きく手を二度叩いた。傍らで黒い瓶を開け、小さなヘラで軟膏をひとすくい。
「指は痛んでませんかい。これ塗ると楽になりまさぁ」
にやりと笑って、軟膏を俺の手のひらに乗せると、オレンジの香りがふわっと立ち上った。俺は礼を言ってよく手に擦り込んだ。血が出るほどじゃないが、だいぶ指先が摩擦で痺れてきてたとこだった。
「お兄さん、あれ、からくりが気になるなら後で話しますよ。これ、今のうちに塗っとくといいっす。飲み屋帰りや残業帰りの連中がどっと来ますから」
軟膏を塗りこむ片隅で、あれこれ妄想したもんだよ。あれはどういう仕組みだったのかって。栄養剤を入れていたか、あの瓶を使って空気の振動をエネルギーに変えたのか……彼の国には、そういう技術があるのかもしれないが。まぁ、軟膏が溶けきるころにはすっかり忘れちまったがね。思い出さなきゃいけない曲もあったし、第一トンネルの中がむわっとして、考えごとにゃ向かなかったんだ。……きみは何だったと思うかね。へぇ、あのランプに秘密があるんじゃないかって。まさか。直した俺から言わせてもらうと、何の変哲もないランプだったぜ。俺が使ってたものと変わりない。第一そんな効果があったなら、もっと広く噂になっていたはずだろう。
まぁ、とにかく俺は頭を切り替えて、チューニングに取りかかったってわけさ。
〈つづく〉
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