届かなかった花束 パート3

「やべえブツ……ってのは、なんだ。俺のギターか? 正規店で買ったヴィンテージの一点ものだぜ。保証書だってある」

「いんや。僕が言いてえのは、膝の上のそいつっすよ」


 鋭い視線がフードの奥で、膝の上の花束を捉えた。


「そいつ、僕が今日店開ける前から、ずっとそこに落ちてたんすよ。お兄さん、それ取りに来たんすか?」

「俺ぁ雨宿りに来ただけだよ。たまたまトンネルの奥で、燃えるように輝くこいつを見つけたのさ。かわいそうで拾って――」


 刹那、ぱん、と脚を叩かれる感覚があった。


「早く下ろして。手ぇただれますよ」


 占い師が花束を奪い取った……いや、「叩き落とした」と言った方が近かったろう。俺たち二人の間に下ろされた花束は、はずみで数度回転して、おもむろに動きを止めた。ワンテンポ遅れて、腿の皮膚がじりじりと痛むことに気づいた。黒いズボン越しに、余熱がじりじりと腿をあぶっていたらしい。

 占い師は身を乗り出して、ふぅむ、と花束をにらんだ。ランプシェード越しに照らされた顔は、わずかに眉根を寄せていたのを覚えてる。


「誰かが捨てたんでしょうかね。参ったなぁ、客が来ないのはこいつの『熱』のせいかな。空気がムシムシするや」


 俺ひとりじゃなかった。占い師はにわか雨にでも降られたみたいに言ったんだ、「熱」ってさ。あの熱気はきっと、あいつの白い顔も撫でていたんだろう。そうだ……そういや、あいつ確か手に白いハンカチを巻いてたな。やけどを防ぐ苦肉の策だったのかもしれない。何せ手に水ぶくれができたらカードも上手く切れなくなるからな。

――なんだ、ただの花束にそんな力あんのかよ、ってかい。あっちゃ駄目なんてこたぁないだろう。あいつは占いで確かめてくれたんだぜ、あの不思議な棒も使ってな。メインに他の方法も使うし、よほど危険な代物なら、勉強中でもすぐ分かるからってさ。棒の束をじゃらじゃらと混ぜて、分けて……ときどき兎の脚に触れたり、「ちょっと失礼」なんつって俺の手相も見たりして、帳面に何か書き付けてたよ。

 やがて、あいつが棒の束を筒に戻して、こう言った。


「あぁ、確かに『熱』っすね。しかも相手がちゃんといるときたもんだ――下手に扱っちゃいけないな」

「なんだい、含みのある言い方だな」

「情念っすよ。強い気持ちが相当くすぶってる。お兄さん、拾わなくてよかったすね。あんた最悪ギター弾けなくなるとこでしたよ」


 なぁ、情念だぜ情念。詩作の題材としちゃなじみ深いネタだが、こんなにぴりぴりした口調で言われたことは初めてだ。しかも音楽家生命を危うくするほどのものだなんてよ。

 俺は声が震えないよう、おもむろに尋ねたよ、詳しく聞かせてくれないかって――怖さは確かにあったが、詳しく知りたい気持ちの方が強かった。怪談話じゃ、そういうのを根掘り葉掘り聞き出すと祟られるんだろうが、不思議と「あいつなら大丈夫」という安心感があったね。


「そっすね、例えば……お兄さん、花言葉って信じますか」

「もちろん知っているさ。詩人の基礎教養だ」


 知ってのとおり、花言葉ってのは単純だが役立つもんだぜ。詩作のネタになるし、出会ったいい女に贈る花を選ぶにもぴったりだ……今もそらんじることができる。いくつか例を挙げてみせようか? 例えば、あのときトンネルで見た黄色いバラなら、友情、嫉妬、薄らぐ愛。女へ贈るには向かない花かもしれないな。オレンジのガーベラなら、神秘だ。他にもあったかもしれないが、あまり覚えちゃいないな。……ん、今「かっこつけのすけこまし」って言ったかい。ははは、返す言葉もないね。詩人の男ってのは総じて女を口説くのが好きなもんさ。

 それから、あの花束に入ってたひまわりだが、あれはなかなかどうして衝撃的だったぜ。


「あと一つ、ひまわりは……」

「あなただけを見つめる」


 俺が思い出す前に、占い師がそう言った。同時に、トンネルに響く、天井から落ちた水滴のはじける音。振動に当てられてか、かすかにひまわりの花びらがそよいだ。


「……見つめるどころか、じろじろ見られてるような気がするがね」

「そこなんすよ。こいつの花言葉、なぁんか意味深でしてね……特にこのガーベラとひまわりが厄介っすね。言ったでしょう、さっきの花言葉」


 兎の脚を持ったまま、くすんだ花弁を指さし「あちちっ」とすぐ引っ込めた。焚いたばかりの暖炉の熱気で焼かれたように。

 花言葉と照らし合わせてみると「熱」の所以が俺にも分かる気がしたよ。ただでさえボリュームのある花でビジュアルも目立つってのに、「神秘」とか「あなただけ」とか、相手を過剰に崇拝するのが、どうも重苦しかったのかもしれない。もっとも、考えすぎと言われたらそれまでだがな。


「あぁ、『考えすぎ』ってお思いですか、お兄さん。言っときますがね、ぼかぁ花言葉だけで判断したんじゃありませんよ。小物も大事な手掛かりっす」


 占い師は絹のハンカチを二つ折りにして、慎重に、根本に近い茎の部分を包装紙ごと持った。そいつを差し込んだのは、落ちてたからっぽのジャムの瓶。くすんだバラやガーベラがぐにゃりとうなだれた。フィルムがなけりゃ、頭の重さに負けて、茎がちぎれちまいそうに見えたよ。


「この花束、しおれてはいますが、花そのものの形はいい……南側にある街一番の花屋だろう。あんたも評判を聞いたことあるでしょう」

「評判どころか昨日散歩してきた辺りだ。駅からは二十分近く歩くが、静かで緑も多い、花もくつろげそうな場所だったぜ」

「そこがポイントっすよ。駅にだって花屋はあるが、わざわざ遠出してまでここを選ぶんですぜ……おまけにこの包装紙、てらてら光りもせず、薄い色で目立たないようにしてある。リボンも上質なサテンだ。あの花屋でこのラッピングを選ぶには、一番高い追加料金を払わなきゃならない……」


 もうお分かりだろう、きみも。そうさ。あの花束は、よほど大事な相手に宛てられたものだ。そいつをこんなところに捨てるとしたら……


「なるほどな。贈り主は報われなかった想いと共に、贈り物を捨てるしかなかった。その拍子で、異常な愛情か崇拝か、とにかくこもった心が『熱』に転じたってわけか」


 へへへ、と占い師は頭をかいた。


「僕のいい加減な推論でさぁ。プロの占い師からすりゃ穴だらけなとこもありますぜ」

「いや、推理小説にするには十分さ。最近の占いってのは、探偵に似ているもんだな」


 実を言うと俺は不思議だったんだ。どうしてあの棒だけでここまで分かったのかって。だってあの棒占い、将来というか、未来を見るものだと言ったろう。今のことまで詳しく分かるのは、なんだか妙だと思ってな。そうしたら、何て言ったと思う?


「僕がメインで使うって言ったの、占いじゃないっすよ。特徴を目視で確認して、できそうなとこはある程度推理して、落とし主の特徴を考えました。んで、棒の方は、細かい特徴がそれぞれ何を意味するか、僕らがどうすべきかの補助にしました」


 ……だそうだ。だがまぁ、あいつはあの棒だけ使うと言ってはいなかったし、嘘はついちゃいなかったんだよな。

 しかし、これだけで問題が解決したってわけじゃない。その『熱』をどうにかしなけりゃならなかった。せっかく占い師さんに穴場を貸してもらえたってのに、ギターが弾けなくなるほどの代物があっちゃ、ろくに商売もできやしない。おまけに、誰かが恋破れた果てに捨てた花束の前で、ラブソングなんか歌えないだろう。

 俺は聞いたよ、どうすりゃいいのかって。


「情念には情念をぶつけて打ち消すしかありませんよ」


 占い師の微笑みが、ランプに照らされ、怪しさを増して見えた。


〈つづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る