届かなかった花束 パート1

 雨や涙は昔から好きだ。俺が、花が好きだからかもしれないが。雨上がり、花びらに水滴がついたまま、陽を浴びてキラキラと輝く花が。だが、雨の中うち捨てられた花束ほど、涙を誘う花も無いもんだ。そうだろう?

 俺ぁ旅のギター弾きやってんだがね、一ヶ月ほど前に訪れた街で、路上ライブをやったことがある。次のライブの宣伝も兼ねてさ。そのとき見た花はなんていうか、そう、まさしく燃えるようだったよ、文字どおり。

 ——いや、本当さ。メルヘンでもファンタジーでもない。世の中にゃ、一言で説明しにくいこともあるんだ。そうだな、どこから話すか……

 そうだ、あの日はどっしりした雲のかかった水曜だった。人ばかりドヤドヤと多くてドブ臭い街だった――嫌じゃなかったかって? いや、こういう街は意外と実入りが良いんだ。疲れた顔のビジネスマンが気まぐれに足を止めるからね。投げ銭をくれたり、円盤を買ってくれることも多いんだ。

 芸術に金を絡めるのは惜しいが、目の前に置いたギターケースに、コインがチャリンと投げ込まれると嬉しいもんだぜ。それ以上に満足するのは、そこで偶然出会っただけの人の心に、俺の歌が響いたってこと。

 想像してみろよ、きみ。気持ちよく歌いまくって、じゃじゃあん、とフィニッシュを決める。すると小さく小さく手を叩く音。見渡せば、顔も名前も知らない人間が、点々と俺を囲んでるってわけ。これで「素敵な歌をありがとう」なんて言ってもらえりゃあ、俺ぁそれだけでたまらなくなっちまうのさ。


◆◆◆


 だがあの水曜のストリートライブは、今思い出しても碌な日じゃなかったな。いくらギターをかき鳴らしても、誰の心にも響いたように見えなかった。


♪最終列車に飛び乗って

夜と朝の境目を見に行きたい

酔った頭で出ていくのさ

バーボンかっさらって♪


 きっと敗因は俺のミスだ。それも三つも。

 まず時間と曜日だ。あんまり歌詞に合わなかったみたいだ。演奏を始めたときはまだ日が落ちたばっかりで、最終列車を待つ間に映画が数本見られただろう――「酔った頭」も冷めちまうかもしれないな。それにあの日は水曜だった。一週間の忙しい真ん中。肩の力を抜くにはまだ早いはずだ。金曜だったら、お客さんもすっかり心置きなく聴けたかも――ま、うだうだ考えたってどうにもならないがね。

 俺はそんなことも頭から抜け落ちたまま、必死にギターを弾きまくってた。お客はいたかって? ほとんど誰も立ち止まったりはしなかったよ。濁った目の通行人がごくごくまれに、通り過ぎざまにポイと小銭を投げ入れるくらい。その額も、せいぜいガムでも買ったら終わりってとこだ。


♪バーボンかっさらって

俺はここを出ていくのさ

酒と夜は俺のため 俺は……♪


 ガダンガダンと地響きに似た音が、枯れかけた声をかき消した。一瞬遅れて、突風が駆け抜ける。帽子と髪がふわっと浮いた。

(なんだ、急行列車か)

 手を伸ばして中折れ帽を捕まえ、乱れた髪も反対の手でさっと整えた。これが二つ目の失敗さ。このガタゴトいう音だよ。この駅は古いし、列車の出入りが激しいから、線路が激しく揺れる。気が散るし、ギターの音が届かなくなるから好きじゃない。……あぁ、分かってるよ。半分は俺の修行不足さ。流しのギター弾きにはいい稼ぎ口のはずなんだが、俺に関しちゃ、多少人通りの少ない駅でやった方が良かったかもしれねぇな。で、それからとどめの三つ目が何だったかっていうと……。

 ……ぱた、ぱたとギターのボディが軽く音を立てる。次いで、手に、首に、ひやりとした水の感触。雨が降ってきたことが分かった。あぁ、そうさ、これが三つ目だ。天気予報を聞いてなかったんだ。この日は寝坊しちまって、ラジオつけるのを忘れちまってたからだ。

 この一曲で終わりにしよう。雨は好きだが、これ以上土砂降りのなかで演奏したら、風邪を引いちまう。それにさっき、警官らしい青い制服が、目の端を通った気がした。どのみち退散するまで時間はない。動揺を悟られないよう、息をそっと吸い、吐き、指先に神経を集中させる。曲が進むにつれ、勢いの激しくなった雨水がいくつも手を打ったが、ペースを崩すわけにはいかなかった。

 フィニッシュまで弾き、俺はポーズを決める。ほぼ同時に、ホイッスルが鋭く鳴り響いた。警察のお出ましだ。


「今日はありがとう、それじゃあな!」


 お別れ代わりにさっと手を上げ、慌てて荷物をまとめ、駆けだした。奴さんに捕まっちゃ面倒だ。傘も差さずに走りながら、俺はさっきの路上ライブを振り返る。


(突然のアクシデントにゃ面食らったが、俺にしちゃよく弾けた方だな。曲の合間に、「週末に北口のバーで演奏する」って宣伝する暇もあったし。自慢の天然パーマが崩れてなきゃあ、ちょっとは様になったはずだ)


 ……なんだ、自画自賛が過ぎるって、言ってくれるじゃねぇか。流しのミュージシャンっていうのは、いつでも自分に自信を持っていなくちゃいけない。でなきゃ楽器一つを共にして旅なんかできないからな。


◆◆◆


 で、良い場所は見つかったのかって。あぁ、ガード下の小汚い歩行者トンネル――アンダーパスって言うんだったか、あそこだよ。駅から線路沿いに、東側に遠ざかったとこだ。俺たちみたいなやつには意外と「穴場」らしくてな、「無断での出店を禁ずる」って張り紙もあったぜ。だが、変なシミだらけのタイル敷きのトンネルなんて、俺はあんまり長居したくないもんだ。ギターケース拭いて、雨止みを待ってから街にくり出すくらいで、十分だ。不機嫌に点滅する電灯と、何かのしずくがまばらに垂れる音も、なんだか気味が悪かった。

 とりあえずハンカチを出そうと思ったんだが……かがんだところで、俺ははたと止まった。なに、怖じ気づいたからってわけじゃない。道すがら、右目の端を、ちり、とまぶしい何かが焼いたようでね。橙色と、レモンよりも濃い黄色との塊だった。

 ほとんど条件反射的に顔をそちらへ向けていた。そうしたら……幽霊の正体見たりなんとやらだな。

 足下に、落ちていたんだよ、花束が。

 あぁ、ひまわりとバラを使った花束だよ。トンネル脇の草むらに、包み紙ごと乱暴に突っ込まれていた。まぶしく感じたのは、電灯の光が包むフィルムに反射したせいだろう。

 色自体の取り合わせはいいもんだった。黄色いバラとひまわりに加えて、もう一種、大きくて形のいいオレンジ色の花を添えてさ……ありゃ多分ガーベラだろうな、そいつもそろえてあって、きれいにまとまってたようだったよ……花びらが暗くくすんでさえいなけりゃな。

 

(もっと目の覚めるような色に見えたと思ったがな。こりゃまるで古本の表紙だ。珍しくて、目立って捉えただけか?)


 俺は無理に自分を納得させた。こう薄汚くて暗い場所なんだから、しおれた花でも不釣り合いに鮮烈な色に見えたんだろう、って。

 しゃがんで花束をしげしげと見た。ここに忘れられてから時間が経ってたようで、花びらのフチは大分しなびている。しおれた葉っぱも茎を離れて、包み紙の上に力なく横たわっていた。


 俺はしゃがんで片手を伸ばして……持ち手をつかんだとき、ひどく「熱かった」のを覚えてるよ。ただの花束だってのに、まるで焚き火に当たってるみたいな熱気だったよ。顔をぐっと近づけると、角膜までひりひりと焼かれるようだったんだ……まばゆい色が視界に飛び込んできたせいで、目がびっくりしたんだろうと思ったがね。

 とはいえ、いくら熱いからってあんなとこに花束を置いとくわけにもいかなかった。それでどうする甲斐もなく、花束を握ったまんま、ぶらぶらトンネルを進んでったってわけさ。


 そうしてしばらく歩いていると、トンネルの奥で、ぼんやりした薄明かりがついたんだ。切れかけの電灯とは違う、柔らかい光。


(誰だ?)


 警察が追ってきたかと目を凝らしていると、しずくの落ちる音がトンネルに響いた。身を引き、花束を恐る恐る抱き寄せた。じんわりと胸が温まるようで、思わず嬉しいため息が漏れたもんさ。包み紙が擦れるだけでも目立つ気さえして、そこからは抜き足差し足……は、泥棒かなんかみたいだって。そう言ってくれるなよ。あのときはまだ悪いことはしちゃいなかった。路上ライブについての条例だってな、うるさく目立つようにしなけりゃオーケーって、グレーな書き方なんだよ。ほんとにお偉いさんの機嫌次第なんだぜ。

 歩けば歩くほど、光の主はシルエットがくっきりしてきて、あと少し歩けばお互いの顔が分かりそうなほどになった。そのとき妙な挨拶が飛んできてね。


「こんにちばんわ」


 抑揚なく、落ち着いた声音――こう薄暗いところだと、何が起きてもぞっとするもんだな。

 身を屈めたまま、ギターケースから懐中電灯を出して、そうっと顔を上げた。


〈つづく〉

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