ヘタレ陰陽師、悪霊を祓う!
第14話 出ちゃった
「おおう、おおう。悔しや、悔しや」
おおんおおんと、人の頭を持つ龍は泣いている。一体何が悔しいのだろうか。泣いてはいるけれど、涙の雫は、地面に落ちる前に、じゅわ、と消える。
髷を結っていることからも、とりあえず、かなり昔の人なんだろう、ということくらいはわかるものの、歴史が苦手なあたしには、それが何時代の人なのかさっぱりわからない。ただ、時代劇で見るような、やたらと額が広い感じのヘアスタイルではない。あれ、でも待てよ、こういう感じの人、こないだ見た陰陽師の映画に出てきたような……。
てことは、平安時代の人?
ということがわかったところで、という話ではある。さすがにあたしだって「へー、この遊園地、平安時代からあるんだー!」なんてレベルの馬鹿ではない。この遊園地が出来るずっとずっと前、この辺りに住んでいた人なんだろう。
その平安時代の人と思しき彼は、とにかく悔しい悔しいと繰り返している。うねうね、ぐねぐねと身を捩らせて、おおんおおんと泣きながら。
「ちかこ殿、ちかこ殿……。あな悔しや。口惜しや」
おっ、悔しい以外のワードが出てきたぞ。『チカコ殿』かぁ。さては彼女に振られたんだな。
そんなぐねぐねの悪霊は、地上にいるあたし達に気付いているのかいないのか、特に何かを仕掛けてくる様子はない。もしかしたら、口に咥えた御札のお陰だったりするのかな?
そしてこの隙に、と慶次郎さんは何やら地面に模様を描いている。手に持っているのは、真っ白い御札と筆。御札はわかるけど、その筆はどこに収納されていたんだろう。陰陽師七不思議の一つである。そしてそれは歓太郎さんも同様で、彼は『○子』というのを何やらたくさん書いている。
睦子、
親子、
浮子、
慈子。
これ、何だろ。ていうか、なんて読むんだろう。『むつこ』に『おやこ』、『うきこ』と……『じこ』? いやさすがに『じこ』はないか。
「ちかこ殿、あぁ悔しや。なぜ儂ではなくあんなつまらぬ男を選んだか」
いや、それはあなたに問題があるんじゃない? とは言い切れないのか、この時代は。家同士の何とかとか、そういうのがあったりするんだろう。
「あな悔しや。せっかくあの男を斬ってやったのに、なぜ後を追うたかよ」
いや! こいつに問題がありまくりだ!
斬ってんじゃん! 人殺しじゃん! はぁ? それとも何? 平安時代って殺人オッケーな時代なの!? あっ、斬り捨て御免ってやつ!? その時代の話!?
危うくそうツッコミそうになる。口に
ていうか、こんなにおっそろしい人面龍がいるのに、どうして外の人達はこっちを見ないんだろう。そりゃ遠くの人面龍より近くのもふもふかもしれないけど。
もしかして向こうからは見えないのかな。だとしたらギャラリーが減るのも納得である。
いや、それはそれとして。
これ、いつまでこうしてれば良いんだろう。(たぶん)口に咥えた御札のお陰であいつに見つからないのは良いんだけど。だけどさ、はっきり言っちゃうけど、めちゃくちゃ怖いから! これほんとに見つかってないんだよね!? ってくらい、近くをびゅんびゅんうねうねしてるからね?
「匂う、匂うぞ。女の匂いだ。ちかこ殿か? やはり儂の元に戻ってきたか?」
違います。
「ちかこ殿、どこにいる。私だ。
いや、だから。違うから。
かなり近くまで来ていた『卜部篤永』という名前らしい悪霊が、ひゅ、と鼻先を掠めて、慌てて首を竦める。歓太郎さんは依然として一心不乱に色んな「○子」を量産し、慶次郎さんはというと、描き終えた模様の真ん中に胡座をかいて、今度は御札を作っている。
ひえ、また来た。
ぎゅ、と目をつぶって身を固くしていると、もふもふの手で、ふわふわと頭を撫でられた。おパさんである。くりくりとした丸い目と柔らかな曲線を描く口元が、この緊迫した場にそぐわないほどのんきだ。
葉月、大丈夫だよ。
口の動きだけでたぶんそう言って、もふ、と抱き締めてくれる。
それはそれはもう大変な癒しで、本当に本当に気持ちが良いものだし、ありがたいんだけど――、
毛!
毛がね!
そのもっふもふの毛がね!
鼻!
鼻に!
「……へぁ」
駄目だ駄目だ。
堪えるんだあたし!
ぐっと全身に力を込めてくしゃみを我慢していると、それもまた恐怖で震えているのだと勘違いしたおパさんが、大丈夫大丈夫とでも言うように、赤ちゃんをあやすみたいな動きをした。
それがまずかった。
「――へぁっぷしょ! やばっ!」
出ちゃった……(くしゃみが)。
出ちゃった……(口から御札も)。
「おったな」
ばちり、と目が合った。
足の上に落ちた御札を拾おうとした中途半端な姿勢で、身体が固まる。息もうまく吸えない。
「はっちゃん!」
その声が聞こえて、金縛りが解けた。浅い呼吸を繰り返して必死に酸素を取り込む。
ちょっと待って。
声が聞こえたということは、慶次郎さんの御札は――?
「はっちゃん、これを!」
「――むごぉ!?」
何やら小難しいことが描かれた円の中にいたはずの慶次郎さんが、いつの間にやら目の前にいた。この人の瞬発力どうなってんだ、なんてことを考えているうちに、口の中に無理やり紙を突っ込まれる。たぶん、御札なんだろう。まさかと思うけど、これ慶次郎さんが咥えてたやつとかじゃないよね? えーと、あなたが咥えてたやつはいまどこにあるのかしら?
そう尋ねたかったけど、そんな場合ではない。
とん、と額に指を置かれ、「動かないでくださいね。絶対に大丈夫ですから」と優しく言い、ちらり、と歓太郎さんを見る。彼もまた焦っているのだろう、せっかくの美人が台無しの鬼のような顔で鼻息荒く「○子」を量産している。
「僕が時間を稼ぐから、頼んだ」
その言葉に強く頷いて、何だかもうこんな漢字存在するの? みたいな「○子」さんも書いている。これは本当に何なんだろう。○子さんの軍隊でも作る気?
「おや、女が消えた。儂の女はどこだ。おのれ、隠したか」
「女はいない。お前のものじゃない」
すっくと立ち、どす黒い空に浮かぶ巨大な人面龍に一切怯むこともなく、慶次郎さんは言った。怖くないんだろうか。さっきは散々作り物のお化けに悲鳴を上げていたくせに。
「貴様……まだ生きておったか、晴明よ」
「僕は晴明殿ではない」
「……ほう。だが、その顔、憎き陰陽師によく似ておる。この儂を、この地に縛り付けた忌々しき安倍晴明になぁ」
くわ、と真っ黒い目を見開いた龍が、まっすぐに慶次郎さんへと下降する。めりめり、めきめきと音がして、首のすぐ下から腕が生えた。その腕を歪に伸ばし、彼を捕えようとしている。
慶次郎さんはそれをひょい、と交わし、走り出した。あたし達から距離を取ろうとしているのだろう。けれど、仮に慶次郎さんがオリンピック代表レベルの脚力を持っていたとしても、どう考えたって逃げ切れる相手ではない。
あっという間に追いつかれ、追い抜き様に、とん、と肩を掠っていく。恐らく、あっちの方では遊んでいるつもりなのかもしれないが、たったそれだけのことで、慶次郎さんの身体はいともたやすくふっ飛ばされてしまうのだ。地面をごろごろと転がり、真っ白な狩衣が汚れる。なのに彼は、痛いとも、苦しいとも何も言わず、黙って立ち上がり、尚も走り出す。どこを目指しているのか、勝算は本当にあるのか。何度も転がされては立ち上がり、あちこちを走り回っている。
「はははははは。逃げるしか出来ぬか。晴明でないのなら、陰陽師とてただの人よ。そうれ、逃げろ逃げろ。はははははは」
ぎり、という音が聞こえた。
何だ、どこからだ、と辺りを見回すと――、
歓太郎さんだった。
唇に挟んでいたはずの御札を歯でがっちりと噛み、こめかみに血管を浮き上がらせて、一心不乱に書いている。慶次郎さんの方を見ることもなく。
けれども、弟のことが心配なのだろう。悔しいのだろう。それだけはもうビンビンに伝わってくる。相変わらずの横座りで、そこだけはしなやかな美女なのに、首から上は完全に男だった。
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