第6話 機械トラブルじゃないの?

 変な天気、というか。

 園のちょうど中央にある広場の上の空に、ぽっかりと丸い雲が浮かんでいるのである。雨雲といった雰囲気ではない。慶次郎さんも、「あれは雨雲ではありませんね」と言っていたし、仮に雨が降るとしても、さっきも言ったように、広場の上空のみなのである。雲はそこにしかないのだから、振るなら局所的である。避ければ良い。


 ということで気にせず観覧車に乗ったあたし達である。


 まぁ、当初の予定としては、だ。

 当初の予定というか、一般的なデートだったりすると、ここでかなり良い雰囲気になって、隣に座ったり、手を繋いだり、キスしたり、なんていう胸キュン展開になるところなんだけど――、


 まぁなるわけがないよね。


 まさかここでも「はっちゃん、高いですぅ」なんてことになったりするのかな、と身構えたけど、慶次郎さんは別に高いところが苦手とかそういうのはないらしく、「良い眺めですねぇ」なんてのんきに風景を楽しんでいる。


 まぁこれはこれで良いか、と思い始めた時である。


 がたん、とゴンドラが大きく揺れた。


「え、ちょ、何? 地震? じゃないか。あれ? でも何か止まってない?」

「止まって……ますね」


 嘘でしょ、何、機械トラブル?! いやいや、もうほぼほぼてっぺんよ、ここ! どうすんのよ!


 と一人パニクるあたしとは対照的に慶次郎さんは冷静だ。まぁまぁはっちゃん落ち着いて、大丈夫ですよ、と向かいに座るあたしの手を取って、にこりと笑う。


「いや、落ち着いてって言われてもね? どうすんのよ、このゴンドラが落っこちたりでもしたら! そういやここ、結構昔からある遊園地だからね? たまにあるじゃん、昔からある遊園地のアトラクションで事故が――みたいなニュースがさぁ!」

「大丈夫、僕がついてます」

「それはそうなんだけどね? 慶次郎さんはいるけどね? あなた陰陽師でしょ? こんなアトラクションの機械トラブルなんてどうしようもないでしょ?」


 別にあたしは高所恐怖症でも閉所恐怖症でもない。だけれども、それは安全が確保された場所での話だ。こうなってくると、自分が地上から十数メートルも高いところにいることや、狭いゴンドラの中にいることが途端に恐ろしくなる。


「まぁ、機械のトラブルはどうしようもないんですけど――」


 そう言って、慶次郎さんは立ち上がった。ちょ、駄目よ。こういう時は下手に刺激を与えない方が良いんじゃないの? そんなあたしの声にも応えず、出入り口に手をかける。ただ、もちろん内側からは開かない。だって中にいる人がほいほい開けたりしたら大変じゃん? けれどもこの人は陰陽師なのだ。その辺りのことはどうとでもなるらしい。どういうことなの。


 外にある鍵が、がちゃん、と外れる音がする。


「ちょ、ちょっと待って慶次郎さん。何する気? まさかここから出る、とか?」

「はい」

「はい、じゃないんだよ! 何する気よ!」

「この観覧車をちゃんと動くようにしてきます」

「はぁ? そんな技術あんの? 機械のトラブルでしょ?」


 何となく、大声を出しただけでも何らかの刺激になる気がして、かなりヴォリュームを押さえつつ尋ねる。何、この人そういう系の資格でも持ってんの? でも専門学校行ったとかって話は聞いてないし……あっ、高校が工業系だったとか? いや、だとしても観覧車を治せるような資格って高校生でも取れるの?


 が、慶次郎さんは涼しい顔で言うのだ。


「機械のトラブルではありませんよ」と。


 そして、「はっちゃんには見えないと思いますが」と窓の外を指差す。それにつられて恐る恐る首を伸ばして外を見てみたけど、遥か数メートル先の広場に変な雲が見えるだけで、それ以外におかしなところはない。


「そっちじゃなくてですね、この観覧車の中心部分ですね。輪入道のパネルの裏です」

「う、裏がどうしたの?」

「押さえられてます」

「は?」

「あれは……怨霊ですね。生霊やら何やらが集まって、一つの大きな怨霊になってます」

「は、はあぁ?」

「ですから、これは僕の領分です」


 というわけで――と言って、ドアに手をかける。「ちょい待ち!」と思わず立ち上がって声を張り上げた。ゴンドラが、ぐら、と傾く。


「何ですか?」

「大丈夫、なんだよね?」

「大丈夫、と言いますと?」

「だってこんなでっかい観覧車を止めてんだよ? 慶次郎さん負けちゃったりしないよね?」

「しませんよ」

「だって令和の時代には鬼もあやかしもいないんでしょ?」

「いませんね、一応」

「てことは、そういうのと戦ったりとか、したことないんでしょ?」

「ないです。一度も」

「じゃあわかんないじゃん。負けちゃうかもしれないじゃん」

「それはないです」

「何で言い切れんのよ!」


 思わず大声で叫んでしまった。

 だって、何度も聞いているのだ。令和の時代には、鬼もあやかしもいないのだと。いないからこそ、式神を出して云々、なんてとんでもない力を持って生まれた慶次郎さんは、「いまの時代に僕みたいなのがいても」と背中を丸めてしまうのだ。いくら安倍晴明レベルの陰陽師といっても実戦経験がないんだったら、わかんないじゃん。


「はっちゃん、落ち着いてください。鬼やあやかしは確かにいません。だから、戦ったことはありません。ですけど、霊はいます。無害な霊もいますけど、この怨霊のように悪霊に分類される霊も、いるんです。それを祓うのが、神主歓太郎陰陽師の仕事なんです」


 そこまで言うと、彼は、ゆっくりとあたしの方へと移動した。ゴンドラは、少しも傾かなかった。この人、重さとかないんだっけ、とそんなことを考えるあたしを、ぎゅ、と強く抱き締める。


「僕は、神社も継げない駄目陰陽師ですけど、この分野に関してだけは一流なんです。だから大丈夫」


 背中に回された手があったかい。思わずあたしも彼の背中にしがみつく。


「絶対に絶対に大丈夫なのね?」

「絶対に絶対に大丈夫です」

「ババーンって恰好よく悪霊退散! ってやるのね?」

「えっ……と、それはどう、でしょうか」

「違うの?」

「そんなにすごいことはしませんよ?」

「……そうなの?」

「そうですよ、通常は大幣おおぬさを――……、あっ」

「あ? 何? どうしたの?」

「しまった……まさかこんなことになると思わなかったから、大幣を持ってきていません」

「オオヌサって?」

「神主がばさばさって振ってる棒、見たことないですか?」

「ああ、あるある。何、あれオオヌサっていうんだ」


 さすがにバサバサなんて名前なわけないもんな。いやでもちょっとニアピンじゃね?


「えっ、何、それがないと駄目なの?」

「駄目じゃないですけど……、しかもよく考えたら、僕、私服ですね」

「何? 狩衣かりぎぬと長帽子も必要なわけ?! その恰好クソダサネタTだと力が発揮出来ないとか?!」

「はっちゃん、長帽子ではなく、長烏帽子ながえぼしです。まぁ、気持ちの問題ではあるんですけど」

「形から入るタイプか貴様! ええい、とっとと行けえぇ!」


 一気に肩の力が抜け、ばしっ、とその背中を叩く。と、彼は、何だかホッとしたように笑って「いつものはっちゃんですね」と言うのである。その余裕がちょっと腹立たしい。


「では行ってきます」


 と本当に何でもないように言って、慶次郎さんはするりとゴンドラから出た。いやでも待って。どうやって降りるの? これ観覧車だよ? 足場とかないじゃん!

 

 そんな当たり前なことにいまさら気付き、「慶次郎さん!」と慌てて窓の外を見る。ゴンドラは大きく揺れたが、そんなことは気にならなかった。


 ゴンドラの外にいる彼は――、何か普通に歩いていた。


 えっ、いや、空、だよね? 空の上を歩いてるってことで良い、のかな? あっ、そうか、えっと、空を飛べる式神を出して? さらにそれを見えなくして? その上に乗る、んだっけ? なんかそういうのを聞いたことがあるような気がする。気がするけどさ! いや、あたし達以外にもお客さんいるからね? びっくりするからね?!

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