第3話 あのTシャツは必須アイテム
さて、そんなこんなで、飲食店の店長に休みを取らせてのお出掛けである。いや、休みを取らせて――という表現は語弊がある。あたしが休ませたわけじゃない。彼が休みを取ったのだ。これめっちゃ大事なポイントだから。
話は三日ほど前に遡る。
やはりみかどに顔を出していたあたしに、慶次郎さんが言ったのだ。
「はっちゃん、遊園地に行きませんか」と。
「遊園地? 何で?」
何でじゃねぇよ、あの時のあたし。
ついついそう聞き返してしまったのは、『遊園地』なんて言葉が慶次郎さんの口から出るとは思わなかったからだ。
「何で、と言われますと……その……、一応、デートの、お誘いだっ、たん、ですけどぉ……」
しゃべるたびにどんどんと背中は丸くなり、語尾は消えそうに細くなる。やっべ! やっちゃった! と慌ててその丸まった背中をとんとんと叩く。
「い、行こう! 行きたいなぁー遊園地! いつ行く?! もう明日とか行っちゃう?! 善は急げってね! アハハ! あっ、でもあたし授業あるんだった」
「あっ、明日はさすがに僕も……」
すみません、と顔を上げた慶次郎さんの目がうるうるしている。卑怯! イケメンの涙はマジで卑怯だから!
で。
「明日は神事絡みの用がありますし」
「明後日は慶次郎が買い出し当番になってるからー」
「その次の日で良いんじゃね?」
と割って入ったケモ耳達のフォローにより、晴れて遊園地デートと相成ったわけである。しかもその日は運よくあたしの大学の休校日だった。
「でも、慶次郎さんが遊園地に誘うとはなぁ」
駅までの道を並んで歩きつつ、そんなことを口にする。
「ちょっと意外だった」
「そうですか?」
「うん。まず外に誘うのが意外だったし、それに、出るとしてももっとこう屋外のイメージっていうかさ」
美術館とか、水族館とか、映画館とか、と連ねると、彼は、実は……と言いながら、斜めがけにしたボディバッグのポケットから、チケットを二枚取り出してみせた。
「歓太郎がこれをくれたんです。これではっちゃんを誘え、って」
「げぇ、
それはそれでちょっと悔しい。けど、そんなきっかけでもなければ、彼は行動に移せなかったかもしれないので、グッジョブとも言える。
ついでにいえば、だ。
今日の慶次郎さんはいつもよりかなりマシな恰好をしているのである。
細身の黒スキニーとスニーカーまでは良いとして、問題はそう、トップス。この人、仕事着は濃茶色の着流しでそれはそれは呉服屋の若旦那系イケメンなんだけど、私服となるとクッソダサいネタTシャツを着るのである。用意しているのはその兄だ。
だけど彼が自分で選ぶと高校時代の指定ジャージになるため、それを着させるしかない。何で高校ジャージとクソダサTの二択なのよ。
が。
今日は、襟付きのシャツを着ているのである。薄いストライプの入った、シンプルなやつだ。その下にはいつものクソダサTシャツを着てるっぽいんだけど、途中までボタン締めてるから全然大丈夫! ダサい部分が見えてない!
いやー、良かった良かった。
これでこの人も晴れて普通のイケメンだわ。ほらもう、どこから見ても完璧だもん。完璧、完璧に――……
いや、完璧に恰好良すぎるんだが?!
直視出来んのだが?!
「あの、はっちゃん? どうしました?」
けれど彼の方では、まさか自分がそこまでイケメン度が上がっているなんて思っていないわけだから、いつもと同じ距離感で迫ってくるのである。ずいずいと、遠慮なしに顔を覗き込んでくるのだ。もしかして具合でも悪いんですか? とそれはもう心配気に眉を寄せて、その顔面偏差値七十越えの顔を近付けて来るのである。
「だ、だだだだだ大丈夫! 大丈夫でしゅけど!?」
「はっちゃん呂律が回ってませんよ?!」
「いや、マジでマジで大丈夫なの。大丈夫なんだけど。えっと、その……ごめん、ちょっと変なお願いするんだけどさ」
「何でしょう。僕に出来ることなら」
「……その、上脱がない?」
「脱……ぎませんけど?」
「いや、脱がない、って聞き方がおかしいか。えっと、もし良ければ、脱いでくれない?」
「ど、どうしました!? 何か変でしたか?!」
「変じゃないの! むしろ全然変じゃない! 変じゃないんだけど、なんか落ち着かないっていうか」
「そういうことなら……」
もういっそ、そのシンプルなストライプが米粒くらいの字で書かれた般若心経とかだったら良かったのかもだけど、全然普通のやつだし! 誰だよ選んだやつ! 最高か!
いそいそとシャツを脱ぎ、それを丁寧に畳んでバッグにしまう。これでどうでしょう、と両手を広げて見せた慶次郎さんはイケメン度五十パーセントダウンのクソダサネタTシャツ姿である。今日は『ねこ2個半』と描かれたやつだ。大さじみたいなスプーンの上に可愛いのか可愛くないのかが絶妙なラインの猫の顔が乗っていて、『2個半』だからか、三匹目の猫の顔には真ん中に縦線が入っている。えっ、これどういう状態? そもそも猫を二個半って何?! あっ、もしかして『猫に小判』のもじりとか?! まぁかなり無理があるけど、これならイケる! 安定のダサさ!
「あぁ、良かった。いつもの慶次郎さんだ」
「僕はいつでもいつもの僕のつもりで生きてるんですけど」
「いいのいいのこっちの話」
あんなに嫌がっていたクソダサTシャツの効果を思い知らされたあたしは、これならもう全然緊張しないわ、と思いながら「そんじゃ、いざ遊園地だ!」と拳を振り上げた。
けれどまさかそんなウキウキの遊園地デートであんなことが起こるなんて、この時のあたしは予想もしていなかったのである。
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