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文月八千代
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死に場所を探していた。昼間とは雰囲気が違う、夜の住宅地を歩きながら。半分の月が照らす夜道は、ひどく静か。底がだいぶ薄くなったスニーカーで歩く私の足音だけが、ヒタヒタ、ヒタヒタ、虚しく響いている。
さあ、これからどこへ行こうか……。信号のない十字路で足を止め、考えた。
これまでの人生は二十数年。思えば昔から、報われない道を歩いてきた。
人を好きになれば相談した友達に横取りされて、自分なりに頑張った受験も失敗。挙げたらキリがない日常生活での出来事でも、小さな掛け違いが重なって、レールからだいぶ外れた人生を進むことになってしまった。
「努力が足りない」と言われればそれまでだ。振り返ってみると、まだ頑張れる場面はいくつもあった。でも頑張れなかった。頑張りたくても、結果を出せるまで頑張ることはできなかった。
だから自然と、「私はそこまでの人間なんだ」と理解した。今日はそんな人生にピリオドを打とうと、さまよい歩いている。
直進は市境の川。
右折は繁華街。
左折は国道。
振り返れば家に戻る。
十字路の内訳はこうだった。
もっとも振り返る選択肢はなかったから、進むべき道は直進、右、左。どの方向もLEDの街灯が青白い光で夜道を照らしている。
「どこへ行っても、たぶん同じ」
そして、諦めのため息をつく。いままでの人生で学んだことだ。
「ど、れ、に、し、よ、う、か、」
一音ごとランダムに、人差し指で夜道をさす。
「な」
最後の一音。人差し指は国道へ向かう道をさして止まっていた。
住宅地を抜けると、すぐに国道が走っている。ポケットからスマホを取り出してホーム画面を見てみると、時間は午前二時を過ぎていた。そのため国道とはいえ車の量も少なくて、「ライトに照らされないからいいな」なんて思っていた。
ロードサイドには深夜とは思えない、ギラギラ明るい飲食店が立ち並んでいる。牛丼、ラーメン、ファミレス、それにハンバーガー。いつもならそのどれかにフラリと吸い込まれてしまうけれど、今日は違う。
私のお腹は数時間前、フレンチのフルコースを飲み込んでいる。でも消化が進んで、少しだけお腹が減っている。そっと撫でてみると「クゥ」と悲しい音が聞こえてきた。
「最後の晩餐、しちゃったし」
自分に言い聞かせるように呟いて、早足で飲食店の前を通り過ぎる。換気扇から漏れる料理の匂いが、私のお腹をクゥクゥ鳴らした。
なんとなく立ち寄ったコンビニで見た時計は、午前二時半を示していた。昨夜はたっぷり眠ったので、全然眠くない。しかし、国道を歩き始めてから約三十分。まだ死に場所は見つからなかった。
仕方がないので店内をウロウロしていると、ワンオペ中の店員がいぶかしげな視線でこちらを見ている。
なんとなく居づらくなって、外に出た。
駐車場には、白いアクアが一台停まっているだけだった。車内に運転手の気配はないけれど、エンジンはかかったままだ。きっと店内にいるんだろう。
ふと「この車を乗っていってしまおうか」という思いが頭をよぎる。でも頭を左右にブルブル振るって、打ち消す。まず車の免許なんて持ってないし、誰かを巻き込みそうで……それだけは避けたかった。
車のほうに向けた足を反対方向に運び、車止めのブロックにすとんと腰を下ろす。目の前の国道には車が一台、二台……昼間ならありえない間隔で通り過ぎていく。私はそれをぼんやりとした目で見送り、迎える。
あの人たちはいったいどこへ行くんだろう、と考えながら。
「ねえ、きみ」
ぼんやりしていると真横から声がして、全身がビクリと跳ねる。もしかしたら店員が「邪魔だ」と言いにきたのかもしれない。立ち上がった私は、おそるおそる声のしたほうを向いて言った。
「す、すみません。もう、どきますから……」
視線を合わせないように告げると、また声がする。
「えっ、ちょっと! こんな時間に? ひとりで?」
これは店員じゃない。それに気付いた私は、声の主を足元から静かに見上げていく。黒いスラックスに白いワイシャツ、分け目がよく見えない真ん中分けの髪。私より少し年上に見える男性は、心配そうな顔でこちらを見つめている。
理由はわからないけれど、その表情がやけにイラつく。
「べつに、ひとりでどこへ行ったっていいじゃないですか」
隠しきれない感情を込めながら、男性に言葉をぶつける。
「どこへって……女の子がこんな時間に……あ、危ないじゃ……」
「ここまでひとりで歩いてきましたけど、なにもなかったですから」
食い気味に言うと、男性は「まいったな」という顔で頭を掻く。ここでさっさと立ち去ればよかったものの、私はまた口を開いた。
「それともアレですか。『どこか連れてって』って言えば、車にでも乗せてくれるんですか?」
語尾は強めで。息継ぎなしで喋ったせいで、ハァハァと息を吸ってしまう。すると男性は「いいよ、どこでも連れてってあげる」と言って車に向かう。私はその姿を戸惑いながら見ていたけれど
「乗るの? 乗らないの? どっち?」
と言われ、慌てて車に近づいた。そうしなきゃいけないような……そんな気がして。
助手席に座って見えたコンビニの店内から、やっぱりいぶかしげな目の店員がこちらをじっと見ていた。
「それで、どこに行きたいの?」
なめらかに駐車場を出た車は、静かに国道を走る。ハンドルを握る男性は横顔でそう尋ねてきた。
ああ、困った。イラだちと勢いに任せて言ってしまったものの、行きたい場所なんてない。いや、本当はあるけれど「死に場所を探してるんです」なんて言えるはずがない。答えるほうも困るはずだ。
「えっと……」
言葉に詰まる。なにか言おうと思っても、「え」と「と」を繰り返すだけしかできない。
すると男性は「んー」と唸ったあと、口を開く。
「なにもないなら、家まで送るけど?」
「それは……っ」
絶対に嫌だ。足元の空間を見つめていた私は、車窓の外を見た。
国道はロードサイド店舗が並ぶエリアを外れ、闇が増している。灯りは広い間隔で設置された街灯と、赤や白、それに青い自動販売機だけ。適当な場所で降ろしてほしいと言っても、たぶん男性は聞き入れてくれないだろう。
どうしようか悩んでいると少し向こうに看板を見つけ、指をさす。
「あそこ。行きたいのは、あそこ、です」
どんなお店でもいいから車から降りたい、という気持ちで言うと男性は「えっ」と小声を漏らす。戸惑いの声で。
しかしそれは表面的なものだったようで、カチカチとターンランプの鳴る音が車内に響き、車は静かに曲がり始めた。
その最中、とんでもないことに気付いて「しまった!」という言葉が出そうになった。でもいまさら撤回するのもおかしくて……気付けば私たちは、建物のなかに入っていた。
「『どこでも連れてってあげる』とは言ったけど、まさかラブホなんてね」
男性は呆れた声で笑っている。
「そ、それは……」
私だって同じだ、と言いかけ口をつぐむ。でもすぐ、「べつに構わない」と思ったのだ。
フレンチのフルコースで食欲を、前日の睡眠で睡眠欲を満たしているいま、行きずりの相手と性欲を満たすのも、死ぬ前の選択として面白い。勢いに、流れに身を任せてみよう、と。
そうなればさっそく実行。
私は室内を観察していた男性の手を取り、ベッドまでズンズンと進んでいく。そして胸のあたりを軽く突いて押し倒し、ズイと体にのしかかった。
「後悔したって、遅いんですから」
どうして出てきたのかわからないセリフを吐く。両手は顔の横まで上げさせた男性の手首をそれぞれ握って。脅すように睨むと、男性の口がゆっくり動いた。
「ずっと泣きそうな顔してるくせに。なに強がってんの?」
妙に気安いけれど、見透かすような言葉。私はハッとすると同時に、涙が溢れて、溢れて止まらなくなった。涙を我慢していたわけじゃなかったのに……。
「なにがあったか知らないけど、話してみれば? 吐き出すと楽になること、あるからさ」
そう言われ「なるほど」と思った。
たしかにいままで「死にたい」とか「辛い」という気持ちを、誰かに話したことはなかった。止められるのが関の山。そもそも、こういう話をできる相手もいない。
これは遺書だ。遺言だ。
私はドロドロとした胸のうちを、男性に吐き出すことにした。
ラブホテルには窓もわかりやすい時計もないから、どれくらい時間が経ったかわからない。でも目が腫れている感覚があったから、それなりに時が過ぎていたんだと思う。
「で、だ。なにもかも報われないから『死にたい』と?」
ベッドの上に向かい合って座る男性は首をかしげ、こちらを見る。私はコクリと頷いた。
「疲れちゃったんですよ。自分なりに頑張ってるのに結果が出なくて。たぶん、これ以上頑張っても同じかな、って。ふふっ」
描いた未来をあざ笑うように鼻で笑った私は、ベッドに倒れ込んで大の字を作る。
「だから、いいですよ。せっかくここまで来たんだから、好きにして。べつに『はじめて』ってわけでもないですから」
「おいで」と誘うように両手を広げて言うと、男性は静かに近づいてきて、私に覆いかぶさってきた。やっぱりね、男なんてこんなものだ。
そして顔が近づいてきて、耳元で囁く声がする。
「だったら、頑張らなくていいんじゃない? 辛いだけだよ」
耳たぶにかかる、優しく、甘い吐息。なぜか背筋がゾクリと震えて、自問自答で何度も否定した言葉に納得してしまう。
「それに、頑張れない? 死のうと思ってこんな大胆になれてるのに?」
ふぅ、と耳に息が吹きかけられて、さらにひと呼吸。柔らかな唇が耳たぶに触れたあと、カチリと歯が立てられた。それから湿り気のある舌が首筋を這い、鎖骨にまで移動する。
「や……!」
のしかかる体をはねのけると、男性はクスリと笑った。
「そういうところが『まだ生きたい』って気持ちだと思うけどね、オレは。強がらなくても、生きていられるんだよ」
初対面なのに、どうしてこんなことを言うんだろう。
死にたがっている相手に、どうしてこんなことを言うんだろう。
ふたつの「だろう」が脳内を行き来する。たぶん、感情の線に触れながら。さっきより涙が溢れてきた私はわんわん泣いて、どさくさまぎれに男性に抱きついてさらに泣いた。そして少しだけ眠った。
「あの……すみませんでした。一方的に、私の感情をぶちまけて」
ラブホテルに滞在したのは、休憩利用の三時間だけだった。外はぼんやりと明るくて、男性に送ってもらった十字路は数時間前とは雰囲気が違う。
「いや、オレのほうこそ。声かけたときは『絶対怪しまれるよな』と思ったけど……でも、ほんとうによかった」
その言葉に、私は笑顔で返した。
「あ、そうだ。ちょっと待って」
男性はそう言うと助手席のほうを向いて、なにやらガサゴソと動いているようだ。なにをしているのか見えないけれど、言われたとおり待ってみる。
「はい、これ。じゃあ、また」
小さな物体を手渡してきた男性は、慌ただしくその場から走り去った。窓から出した手をヒラヒラと振りながら。
「変な人」
ラブホテルでの出来事を思い出し、顔がカァと熱くなる。
「いやいや、もう会うことないだろうし。それに、まだ死なないって決めたわけじゃないし……」
ブツブツと呟きながら、手渡された物体を見た。
それはメモ用紙で折られた封筒で、それなりの重さがある。軽く振ってみると、ちゃりんと金属のぶつかる音がした。
「なんだろう?」
おそるおそる中身を見てみると、そこにはお札が一枚と小銭がいち、に……九百八十円――ラブホテル代のきっちり半額、が収められていた。
「うわ……りちぎー。ん?」
封筒の内側に、ボールペンでなぐり書きされた文字を見つけた。
――まずはイーブンな関係から始めませんか?
その下には名前と、LINE IDが雑な字で添えられていた。
なんだかおかしくて、でも嬉しくて、クスリと笑いが漏れる。
「また報われないかもしれないけど、始めてみようか」
言い聞かせるように呟いた私は、朝焼けに染まった十字路に一歩を踏み出す。そしていちど立ち止まったあと、また一歩を踏み出した。
死に場所を探していた私にピリオドを打って、新しい私を歩めるように。虚しく響いていた足音は、もう聞こえなかった。
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