月影と酒坏を傾けて

賢者ひろ

第1話


それは、とおいとおい

月が欠けることのない国の物語




 伝統ある街並みに囲まれた古城は、見晴らしの利く少し小高い丘に建てられていた。そこからは東に広がる大海原、西に連なる大山脈を一望できる。

 その城の最も高い所に位置する展望室は、朝の太陽が最も早く射し込み、夜の月が最も長く照らし出す場所だ。


「明日でもう、半年になるか」


 溜め息混じりに整えられた鬚髯を撫でる。王は展望室の窓越しに水平線を見つめていたが、強い陽射しに目を細めると街に視線を落とした。

 行き交う荷馬車は、こぼれ落ちそうなほど大量の荷物を東へ西へ運び、噴水の周りで開かれている市場は大勢の買物客を捕まえようと、どれも切磋琢磨している。

 中心街の劇場では華やかな舞台が演じられ、郊外の大きな広場では大道芸の一団が汗を流していた。

 半年前の大騒動が嘘のようだ。


「わしとて手にすることのできないもの、か」


 王は一息吐くと、以前の活気を取り戻した街を尻目に自分の右手を見つめた。



――半年前



 国の平和が乱れたのは、あまりにも突然のことだった。

 突如邪悪なドラゴンが異界から現れ、城下を焼き尽くさんと暴れ出した。街の人々は恐れ慄き逃げ惑った。


 その炎、縦横無尽に家屋を捕らえ

 その角、暗雲操り天の陽光を封じ

 その爪、地を穿いて大陸を震わせ

 その翼、叩めき恐怖を撒き散らす


 この平和な時間で埋め尽された国で、誰が古の伝説にある邪悪なドラゴンの一節を信じていただろうか。誰が記憶していただろうか。いや、誰もいない。王すらも例外ではなかった。形ばかりの街の自警団や城の衛兵が、先代、先々代と、平和な時代を築いてきたことを物語っていた。


「この国を護るには、どうすれば良いのだ」


 王は狼狽えた。どうする力も無い、と。あるのは平和な国と、愛する国民達だけ。しかし今更嘆いても仕方がなかった。今まさに無力を呪っている間にも街は焼け落ちていく。

 王は居ても立ってもいられず、国中の兵士達を一同に城の大広間に集めると深々と頭を垂れて言った。


「わしにはどうすることもできぬ。この中でこの国を救える者は居らぬか。褒美は望むものを何でも与えようぞ」

「……」


 口を開く者は一人もいなかった。皆ドラゴンを臆し、尻込みしていた。

 伝説の一節の通り、邪悪なドラゴンを目の前にしてまともに戦える者などいない……そのはずだった。

 一時の沈黙が続き、王や宰相達が諦めかけたその時、


「俺達がやってみよう。褒美は何でも良いんだろ?」


 立ち上がったのはエリフ、レタウ、フトゥラエ、デュニウという四人の若者だった。

 四人は戦乱の続く諸国で雇われていた兵士達で、長年の戦争を戦い抜いた挙句、疲れ果ててこの国にやって来た。そしてその経歴を活かし自警団に入団したが、無類の酒好きで職務怠慢もザラにあったという。あまりにも素行不良な彼等に頭を抱えていた自警団長は王宮の近衛兵に相談し、住み込みである城の護衛にと配置転換を申し出る程だった。

 異質な経歴と特異な素行である。その噂は家臣を通じ、王の耳にも届いていた。


「む……うむぅ……」


 四人の悪評が王の脳裏を過る。だが国の存亡の危機に何も手を打たない訳にはいかない。王は藁にもすがる思いで四人の手を取った。


「ああ、褒美は何でも用意する。そしてドラゴンを倒した暁には、そなたらを私の側近として城に招こう」


 こうして隊員数四人の討伐隊はドラゴンを倒すべく街へ繰り出した。その背中に到底四人では支えきれないほどの大きな望みを乗せて。しかしその程度の重荷など、四人には在って無いようなものだった。



 四人はまず、先の戦場で使っていた自分の得物を取り出した。それはいずれも選ばれし者のみが受け継いできた、精霊の加護が宿った強力な武器であった。


 エリフは槍

 レタウは鎚

 フトゥラエは斧

 デュニウは弓


 それぞれの武器が四人を飲んだくれから生粋の戦士へと変貌させる。ほどなく各々の手に吸い付くように自然に収まるとそれは一心同体となった。戦場で肌身離さず揮っていた感覚が身体を駆け抜けていく。とめどなく魔力が湧き出ると、瞬く間に全身が精霊の御心に包まれた。

 そして四人は邪悪なドラゴンと対峙しても臆することなく、一斉に魔力を解き放った。


 炎の槍、喉元を貫いて黒煙を晴し

 氷の鎚、頭角を砕いて晴天を開き

 地の斧、爪牙を裂いて平穏を導き

 嵐の弓、両翼を破いて安寧を齎す


 古の伝説にはそれが未来に伝わる為の続きが記されていた。ドラゴンを倒す四人の勇者の一節。それは忘却の彼方に追いやられていようとも、伝説に呼応するように必然として具現した。

 四つの精霊の力は一つの光の剣を成し、邪悪なドラゴンを倒した。

 四人がこの国の平和を城に持ち帰るのに、そう多くの時間は掛からなかった。



 溢れ出た光の波動は国全体を優しく包み込み、人々の心の暗闇を解放した。雲間から陽光が広がると一人、また一人と笑顔を取り戻していった。


「勇者達よ、よくぞドラゴンの危機からこの国を救ってくれた。本当に……言葉もない」


 四人が城に凱旋すると、王、宰相、衛兵、自警団、そして国中の民が抱き合って喜びを分ち合った。四人は歓声に応えるように周囲に手を振り、ゆっくりと王の前に歩み寄ると、不慣れなのか、少しぎこちなく跪いた。


「本当に見事な活躍であった。さぁ何でも好きな褒美を取らせようぞ。いや、祝いの席が先じゃな。わっはっは」


 王は上機嫌で宴の手配を促した。そしてその晩は城を中心に、国のあちらこちらで盛大に祝宴が開かれた。

 人々は時を忘れ勇者達に感謝し、平和を祝福した。

 ぽつぽつと酒場の明かりが消える頃には、既に月は傾き出していた。


「さて四人の勇者よ。もう褒美の心積もりは決まっておるか。酒か? 聞くところによると無類の酒好きらしいではないか。酒が望みなら一生不自由はさせんぞ」


 王は宴酣になった頃合を見て四人を別室へ呼んだ。その顔は満面の笑みを湛え、珍しくほろ酔い気分を満喫していた。

 四人はそれぞれの顔を見渡すと、同じ面持ちで強く頷き、口を開いた。


「酒は金を出せば何時でも手に入る。俺達の欲しいものは……」

「な、なんじゃと!?」


 それを聞いた王は驚きのあまり目を大きく見開いて呆然としてしまった。四人が褒美に望んだものは、誰も予想し得なかったものだった。


「この世界では手に入らないものが、褒美として欲しい」



――半年後



「陛下、もうそろそろ休まれた方が」

「わかっておる。……わかって、おる……」


 月が少し傾き出した頃、宰相の一人は王の寝室に灯る小さな明かりに気付きドアを叩いた。王は窓際にある飾り気の無い椅子にゆっくりと腰掛けると、小さな溜め息を吐いた。

 四人の褒美をすぐに用意できないことは、誰でも容易に予想できた。そして時間をかけたところで用意できないことも予想できた筈である。だが王は断わることができない立場にあり、その時できたことと言えば半年という時間的猶予を稼ぐことだけだった。

 しかし、その猶予も今日で終りを告げる。

 この半年の間、会議に会議を重ねたが何も答えは出なかった。この世の中のものは富や力があれば大抵は全て手に入ってしまう。

 四人が望む『この世界では手に入らないもの』というのは、そういう富や力では手に入らないもの。超越した何かのことであるのは王も悟っていた。


「付き合わなくとも良い、もう休め」


 宰相が口を開こうとするのを片手を上げて制止すると、宰相は言葉を飲み、軽く頭を下げると寝室を離れた。

 王は一人窓際に立つと、夜空を見上げた。

 雲一つ無い晴れ渡る夜空に、まん丸い月が浮かんでいる。そしてそれを支えるように多くの星が群れを成し、夜の帳を演出していた。


「月よ、応えて欲しい。私は王として、この国を救ってくれた彼等に、何も恩返しができないのだろうか」

『…』


 しばしの沈黙。答えは無かった。

 海からの夜風が王の頬を撫でると、胸に熱いものが込み上げ思わず目頭を押さえた。自らの無力さに震え、心の底から嘆いた。


「彼等の望むものは、この世には……」

『……ります』

「!?」


 音。

 鼓膜を震わすことなく、頭に響く声。

 決して近くなく、それでいて遠くない。

 何処か彼方から直接耳打ちされるような、不思議な感覚。

 王は戸惑いながら顔を上げて、思わず部屋の中を見渡した。

 誰の姿も無い。

 ゆっくりと瞳を閉じると、もう一度耳を欹てた。


『あります』


 声。

 風に運ばれるくらい、微かに響く音。

 

「……精霊、まさか月の精霊」


 王は直感的に精霊の存在を感じ取ると、自らが質問を投げかけた相手を思い出し窓から天を見上げた。

 刹那、応えるように月は瞬いた。



 王は眼を疑った。月が瞬くなど聞いたことがない。しかし、そんなことを考える暇もなく世界は暗転した。


「こ、これは一体……何があったというのだ」


 真っ暗な闇。

 窓も、城も、海も、星も。

 突然全てが闇に包まれ存在を確認することができなくなった。そんな中で唯一上方に浮かぶ月の姿があった。


『あります』


 三度。今度は、はっきりと聞こえた。


「月の、精霊」


 王は半信半疑で訪ねると、月は再度瞬いた。


「そうか、この世界も……」


 この暗転した世界は月の精霊の創り上げたものだった。

 邪悪な力の仕業でないと判ると、王は一息吐いて胸を撫で下ろしたが、すぐさま神妙な面持ちに戻ると月の精霊に訪ねた。


「月の精霊よ、教えて欲しい。何があると言うのか」

『国を想うあなたの心。それは何ものにも代え難く、彼等の望むものに最も近いでしょう』


 月の精霊は即答したが、その答えを予期していたかのように王は頭を横に振った。


「私の心を私から取り出すことは、できません。もし仮にできたとしても、国を想う心は民を慕う心。和平を願う心。王として彼等だけに、この心を与える訳にはいきません」

『…』


 暗闇の中しばしの沈黙。光が失われた世界に、野鳥の鳴声と木々のざわめきだけがあった。

 王にとって、眼を開けているのに閉じているような状態は、殊にストレスを感じさせた。緊張の糸に冷や汗が伝う。聴覚を研ぎ澄ます以外に、他の存在を感じることはできない。ほんの一寸の間が、長く、長く感じられた。


『あなたが望むなら、その純真な心を私が受け取ります。代わりに私の影を差し上げましょう』

「月の影を……私の心と引換に」


 この応えは全く王の予期できないものだった。

 確かに月の影は王の心と同様、富や力で手に入る代物ではない。四人が望むものの条件を満たしている。だが心と引換とは、どういうことなのか見当もつかない。王が疑問を浮かべると、口に出す前に月の精霊は見透かしたように答えた。


『自らの心を失えば王として国に居ることはできません。それでも彼等に褒美を望みますか』

「是非も無い。彼等に褒美を取らせられないのでは、同じこと。最後に王としての責務を果たすまで」

『解りました』


 王は月の問い掛けに即答し、月の精霊は少し寂しげに、語尾を小さくして囁いた。月の光が一瞬雲掛かったように淡くなったのは、王の気のせいではなかった。

 そして月の精霊は『最後に』と続けた。


『私の影は常に私自身で照らし消すもの。この城には常に私の光が届きます。褒美を与えた四人を、城の外に出してはなりません』


 王が短く頷くと一瞬にして辺りの闇が払われた。暗転していた世界に光が戻った。

 飾り気の無い椅子、窓からの景色、晴れ渡る夜空。まるで今までの時間が止まっていたかのように、何事もなくその続きを刻み出した。

 王は暫く呆然と立ち尽くしていた。


「夢であったのか……いや、違う」


 王は自らの心身に考えられない程の強い精霊の存在を感じ取ると、傾きを増した月に向かって一礼した。

 まん丸い月は、いつもと同じ優しい光を王に注いでいた。



「エリフ、レタウ、フトゥラエ、デュニウよ。そなたらに褒美として月の影を与えよう」


 褒美授与式典は、昼間、城の大広間にて四人と王の五人だけで執り行われた。

 王は一人一人の手を握ると、自分の中にある月の精霊の存在、『月の影』を等しく分け与えた。四人は興奮を抑え切れず歓喜の声を上げ、酔いしれた。


「凄い、凄いぞ! これが俺達の望んだものだ! やった!」


 まるで火が着いたようにはしゃぐエリフ。

 王は苦笑いした。王でいられなくなる瞬間が、刻一刻と近づいている。


「我々は、一生陛下に仕える所存です」


 込み上げるものを内包し、穏やかな水面を装うレタウ。

 王は一度瞳を閉じると、窓の外へ視線をさまよわせた。


「わしは、旅に出ようと思う」

「是非、我等をお供に」


 落ち着いた面持ちで大地のように雄大に振舞うフトゥラエ。

 王はゆっくりと首を横に振ると四人に向き直った。


「そなたらはこの城から絶えず離れずにいるのだ。わしが帰るその日まで、この城を護って欲しい」

「王がそう言うのであれば」


 その時々の流れに従う風任せのデュニウ。

 王は微笑を湛えると、歴代受け継がれてきた王冠を外し、玉座に置いた。


「わしは月を通じて何時でも見ておるぞ。そなたらも月を見て、わしを思い出すがよかろう」


 四人は大広間を出て行く王を、何も言わずに、ただただ頭を下げて見送った。

 その後、王は誰にも気付かれることなくひっそりと城を抜け出すと、城に通じる扉を自らの手で閉ざした。

 その心とともに……



 王の失踪から数カ月が経ったころ、突然月が欠け始めた。

 欠け始めた当初は、やれ悪夢の前兆だとか、やれ危機の前触れだとか騒がれていたが――

 

 実際、多少欠けていても月光の明るさや量に著しく変化があるわけではなかったし、雲の厚い日のことを考えれば特にこれと言って困ることは何もなかった。

 そして数年が過ぎると、月が欠けるのが当り前のこととなり、誰もそのことを疑問に思わなくなっていた。


「ありがとうございましたーっ!」


 入口に無作法に吊るされたカウベルを打ち消す様に、ウエイトレスの甲高い声が夜の街に響いた。

 浮浪人が一人、酒瓶を片手にふらふらと千鳥足で出てくる。


「うぃ、ひっく。酒場で飲む酒は、何故にこんなに旨いかのぉ」


 ぼさぼさに伸びた髭を酒に塗れた手で整えながら酒瓶を口に運んだ。ふと夜空に目をやると、月が半分ほど欠けた状態で浮かんでいた。


「ふぉふぉふぉ、奴等また城を抜け出して飲みに行っておるな? まったく、けしからん。まあ旨い酒の為じゃ。分からんでもないがのぉ」


 浮浪人は残った酒を一気に煽ると、残念そうに空になった酒瓶を投げ捨てた。そしてその目は次の酒場の明かりを求めて、うろうろと街並に向けられた。


「月よ……わしも、あの四人も。この世に居る限り、この世の娯楽以上に満足できるものは無いということじゃ」


 浮浪人は夜空に一言呟くと夜の街へ消えて行った。

 欠けた月は、昔と同じ優しい光を古城に注いでいた。



 そして今日。


 四人のうち二人が街に酒を飲みに城を抜け出すと、月は半分ほど自分の影を照らすことができなくなり、半分欠けたように見える。

 これが半月と呼ばれるようになった。


 四人のうち三人が街に酒を飲みに城を抜け出すと、月はほとんど自分の影を照らすことができなくなり、大分欠けたように見える。

 これが三日月と呼ばれるようになった。


 四人のうち全員が街に酒を飲みに城を抜け出すと、月は全く自分の影を照らすことができなくなり、見えなくなる。

 これが新月と呼ばれるようになった。


 そして四人は一ヶ月に一度、欠けた月を見て思い出す。

 先代の王と交した言葉を。

 自分達の素行を反省し、全員城に閉じこもった。そんな日には、昔と同じまん丸い月がポッカリと空に浮かび上がった。


 満月となった月は、王に、四人に、世界に。

 時代を超えて優しい光を注いでいた。

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