NO163/40年振り2題

ヒロト2023年令和5年3月16日(木)

役者復帰後、初のCM撮影が一昨日あったよ。CMといっても政府広報のもの、4月からテレ東で流される。今月13日から、マスク着用が緩和されて、その着用の仕方を厚生労働省の指導のもと、3世代家族が出演して説明するもの。自分は不本意ながら、その3世代家族のおじいちゃんなんだ。当たり前か。

出演者控え室、小会議室という感じ、3世代家族ということで満員盛況、お菓子食べたいと騒いでいる出演する幼児、付き添いのお姉ちゃんと母親兼母親役、その夫役、出演する小学生の女の子と付き添いのお母さん、そして誰の子なのか女子高生と男子高生が一人ずつ、祖父役の自分とその妻役、最初のうちは騒いでいる幼児に関する他愛ない言葉ぐらいだったが、待ち時間が長くなるにつれてだんだん会話が弾む。俺は日大の芸術学部に進みたいという付属高校で演劇部所属の男子高生と話し始めた。。今度演劇部の発表会が俳優座劇場であるんですよとなった所で、それまで難しい顔つきで本を読んでいた俺の妻役の人が、話に食いついてきた。

「あなた、なかなか俳優座劇場の舞台に立てることなんてないわよ、一度立ったらもうクセになっちゃうわよ。」なんか、みんなと距離をおいている感じがしたけれど結構しゃべる人なんだ。そこから俺ともいろんな劇場の話などで弾みはじめた。ウン?そのちょっと気の強そうな話し方、口元、目元は意外と可愛らしかったであろうその面影、記憶のどこかに引っかかってくる。

「ところでどちらの劇団にいらしたんですか?」俺は聞いたよ。

「ドラマスタジオ」と来たもんだ。

ハァッ?その劇団、俺、創立メンバーだよ!「アァ、やっぱり!」ふたり同時に言葉が出た。

自分たちは2年足らずでその劇団をたたんだのだけれど、後輩の彼女たちが第二次ドラマスタジオを結成して長く活動した。

俺は最初の解散後しばらくしてから、池袋シアターグリーン公演、別役実作「天神さまのほそみち」という芝居に客演として呼ばれ、彼女は主演、とてもいい芝居だったし、稽古から楽しく、出演者みんなとも仲良くやった記憶がよみがえってきた。そして千秋楽、打ち上げが盛り上がり、みんなベロベロ、それ以来の40年余りの再会だったのだ。

撮影が終わり、立ち会っていた10人以上の厚生労働省の役人たちに俺は、このお仕事のおかげで40年前に舞台共演した彼女と今日は妻役として再会できました、ありがとうございました、と言うと、笑いと共に拍手をもらったよ。いい撮影だった。

帰りがけに彼女から、毎月一回自宅に仲間が集まる飲み会があるんだけどよかったら来ない?と誘われた。懐かしい人にも会えるかしれない、行ってみようかな。


ヒロト2023年令和5年3月21日(月)

夕べ、行って来たよ。ちょっと遅くなってもうみんな結構飲んでるみたいだ。部屋に入って見渡すと10人くらいいる。でもみんな知らない顔、一瞬場違いな感じがしたけれどすぐ彼女が紹介してくれ、みんなも40年振りというエピソードにウケてくれて、すんなり溶け込むことにできた。

役者、彼女のファン、映画監督、息子さんがアイドル活躍中で自身は画家というきれいなご婦人、役者らしい酔っぱらっているたぶん俺と同年代のおっちゃん、それから60歳ぐらいで自分は親父が72歳の時の子だって言うおっちゃん、えっ!72歳?ってお父さん明治何年生まれだ?失敗したのはお母さんがいくつなのか、聞けばよかった。もう一人、もうだいぶ前に亡くなった東野英心という役者さんの奥様で、結婚前は服部まり子という名前で女優さんだった82歳の可愛いらしいおばあちゃんがいた。この人なんと40年振りに舞台復帰して現役だって!上には上がいるもんだ。

俺の隣には小児麻痺の障害がある女性がいるのだけれど、この人が実に明るい。みんなからさんちゃんと呼ばれている。名前に三が付くの?って聞いたら、がッハッハと笑いながら、「ホラ、アタシ、デッパでしょ。だからさんちゃん。自分でさんちゃんって言ってんの!がッハッハ」だって。

ここに来なかったら、もし外で会ってもすれ違うだけの人たちが、こんなにいろいろな物語を持っているなんて知るよしもない。やっぱり人と触れ合うというのは面白いね。


ヒロト2023年令和5年3月24日(金)

一昨日、世界野球WBCの決勝で我が侍日本が見事に優勝したよ。これはずっと語り継がれるだろう素晴らしい大会だったので、ここで詳しく語るのはやめておくね。

実はまた何十年振りということが待っているんだよ。

俺、今シンガーソングライターなんだ。って

笑っちゃうかもしれないけど、youTubeでやってるのは書いたよね。音大生の子が続かないようなので、誰かギターでも弾いてくれる人がいないかなぁって探していたんだけど、二、三日前にカミさんとそんな話になったその時、バタやんギター上手だったよねってカミさんが言う。俺、ハッとした。

バタやんとは 20代後半に日本全国小中学校演劇公演の旅で一緒だった。バタやんはハタチそこそこだったかな?すごく仲良くなって休みの時も一緒に遊びに行ったりしてた。ギターが上手で、バタやんの伴奏で歌ったり、アルペジオのやり方を教わったりした。俺も結構練習したけれどうまくなれなかった。バタやんごめん。そしてバタやんがその劇団をやめてからだんだん疎遠になってしまった。

なんで今までバタやんのギター、思い付かなかったのだろう。バタやんだったら絶対いいコンビになる。今ギターを続けているかわからないけれど、あれだけ上手かったんだ。大丈夫。とは言っても、これも40年振り。なんか40年振りが多いね。その頃はもちろん携帯電話そのものが影も形もなかったので、連絡先がわからない。

待てよ、最近始めたfacebook、もしやと思い名前で検索してみた。

ヒット!二人出てきた。プロフィール写真、

バタやんだ!!!

早速メッセージ「久し振り、会いたいね!」

翌日返事「ワッー久し振り!話したいこといっぱいあります。会いたいです!」だって!

マジ、涙が滲むほど嬉しい。

今度の月曜日に会うことになった。

楽しみだね。


ヒロト2023年令和5年3月28日(火)

夕べ、会ってきたよ。

バタやんとの待ち合わせ、渋谷のハチ公そばだったんだけど、大変だった。今渋谷、ものすごい人出、ハチ公の周りも人で溢れている。外国人が多くなったね、もう新型コロナのウイルスを恐れる様子はなくなっている。ハチ公と一緒に写真を取ろうと外国人がきちんと並んでいる。日本の美しい文化に倣っているのでしょうか?

感心している場合ではない。早めに着いたので、連絡は取らないでそれらしい人はいないか注意を払った。バタやんも同じだったらしい。時間になってスマホに受信、すぐそばの人混みの中からバタやんが飛び出して来た。

確か60半ばだと思うけど、バタやん変わってないねえ、どう見ても40代、髪フサフサ、真っ黒なのは後で染めているってわかったけど、顔つきも若いから違和感がない。

俺の見た目はともかく、一気にあの頃の20代、一緒に学校公演で全国を回っている頃に戻った。

居酒屋に入り、溢れる話題に3時間くらいあっという間に過ぎてしまった。

当時、高校を出たばかりの妹さんが上京した時、一緒に遊んだ覚えがある。バタやんが妹さんに俺と会うって連絡したら、自分のことのように喜んでいましただって。うれしいね。可愛い妹さんで、当時俺もときめいたもんだった。今は地元の、全国的にも有名なお茶屋さんの社長婦人ということでした。よかったね。

ところでギターの方は、今全然やってないので自信がない、そもそもオリジナル曲は弾いたことがない、との事、無理かなぁ。

曲は録音してある物をイヤホンで聞いてもらって、やたら褒めてくれた。そう言えば、昔も人を乗せるの上手かったからなぁ。

無理やりラインに歌詞と音源送ったけれど、どうかなぁ、バタやん、がんばって!

バタやんの仕事はうれしいことに、とても近い業界で、今まで会わなかったのが不思議なくらい。一緒に仕事をしてもおかしくないほどなので、今後に期待したい。




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