NO162/旅の話の続きの続き

ケンジ1986年昭和61年8月12日(火)

さて、

彼女との第一日目の夜、その可愛らしい所作に思わず抱きしめたくなるような幸福感を覚え、私が旅行に先立っていろいろ思い巡らして夢が現実になったことに、この上ない喜びに浸ったものだ。

しかし彼女は、前戯というものをあまり好ましくないようであった。私としては直接的な行為よりも、そんな彼女を一晩中でも抱いて居たかった。そこが、私と彼女の言葉が思うように通じないということによって発生した最大の不一致点であり、何かもの足りなさを残す元になった原因であった。

2日目は彼女に方々の店に案内してもらい、食事やショーなどを楽しんだ。しかしベッドに入ると、彼女の一刻も早く終わらせたいと思う心が露骨に表れ、私のいつまでも横で抱きしめていたいという願望とが完全に噛み合わなくなり、ずいぶん味気ないものであった。

そして、今回最大の失敗。何と彼女と遊び過ぎて、絶対に足りると思っていた旅費が、これから買うおみやげなどを考え合わせると見事に足りなくなりそうになった。仕方なく彼女に三日目の夜はキャンセルしておみやげ代にすることを相談しなければならず、そんな私の金欠が彼女に同情を買ってしまい、かえって二人の仲が白けてしまった。

それはそうだ。彼女としても、お客さんの懐が心配では思うように羽根を伸ばして甘えたりもできないだろう。私としても、私の持ち金を心配して三日目はキャンセルしておみやげ代にしなさいなどと彼女に言われては、我ながら情けなくなり、つい気持ちも消沈してしまった。

とは言うものの彼女との二日間は、現在でもこんなに長い日記を書かせるぐらい強烈な思い出となって残っているのだ。悪い女性ではなかった。彼女の歌った長良川演歌は、その情感が込もっていた印象が生々しく残っているし、その時私はつくづく思った。「これはたまんねェーなー」と。

さて、三日目の夜、私一人、右も左もわからないままでは台北に来た土産話にもならぬと一大奮起、何と台北駅でタクシーを降り、夜の台北市内を南へ北へ思うままに歩き回った。私の方向感覚と駅の近くで買った地図だけが頼り、前々から見たいと思っていた中華商場、円環、南京西路、寧夏路、林森北路等、この足と目でカメラ片手に確認するようにして見て廻った。いろいろな露店等を見て、カセット等を買ったり、自動販売機で台湾元を使ってジュースも飲んだ。セブンイレブンのような店で買い物もした。デパートに入って本を買い、今台湾で一番ヒットしているという流行歌のカセットも買った。

一人で歩いてみると、前日までチョンミンに引っ張り回されて右も左もわからなかった台北の街が、改めて実感となって脳裏に刻み込まれた。私には以前にも言ったように、地図さえ頭に入れば、たとえ初めて歩く街でも生まれて初めて見る都市でも、決して方向音痴などにならずに歩けるという自信がある。これは甲州名産、静岡銘茶で行商して以来の大いなる自信である。

そうやって歩いてみると、「ハハー、チョンミンが買い物をしたのはこの辺だったのか」とか、「彼女の生活圏はこの辺を中心に営まれて営まれているのか」などということがつぶさに解ってくる。これは非常に楽しいことであった。私の今回の台湾旅行で最も旅行らしかったのはこの三日目の夜、彼女に突き放され、たった一人で街を見て歩かざる得なくなったこの夜ではなかったろうか。

その挙げ句、最後に面白い友人ができた。その名を呉明輝君。私が最後夜中の12時過ぎ、そろそろ中泰賓館に向かって引き揚げるべく歩を進めていたところ、ふと呼び止められ、日本語で「今何時ですか?」と話しかけられた青年であった。と言っても、私とて、海外の旅先で見知らぬ人から日本語で話しかけられたら、ろくな者ではないからくれぐれも用心しろ、というようなことは友人からさんざん言われたことであり、話しかけられてハイそうですかと簡単に応じた訳ではない。実につっけんどんに、猜疑心に満ちた態度でボソボソと話した。彼は旅行社の案内人テイさんよりもむしろ日本語が理解できるようであった。日本の池袋に日本語の勉強のため行っており、今夏休みでこっちに帰っているのだというような、いかにもウソくさい自己紹介から彼の話は始まった。それも夜道を二人肩並べながらである。私としても別に何か売りつけてくる様子もないし、どっかの客引のようでもないようなので、徐々に気を許して話に弾みがついた。

私はその時までの私の気持ち、台湾旅行のなんとなく物足りないというような心境を打ち明けた。彼は私の話を驚くほど理解した。私もますます調子に乗り、彼の、嘘はつかない嘘は嫌いだという信条も、疑いながらも半分は信じられるように思い、彼を私のホテルの433号室に招じ入れた。そこで何と、彼はオカマの気があることがわかった。私としてもこの年になってオカマを嫌がるほどウブではなし、面白半分に話し相手になってくれれば私の気持ちも紛れるだろうぐらいの気持ちで、彼と二人で裸になって自慰行為ごっこをしてやった。その後、彼がどうしても最後の夜だから二人でカラオケスナックに行こうというので、私の残り少ない旅費を話して割り勘で出かけることにした。

こうして、私の三日目の夜もとうとう夜更けまでカラオケスナックで騒ぐことに相成った。それまでには、ひょっとしたら彼はカラオケスナックの客引ではないかとも考えたが、とにかくタクシー代は彼持ち、カラオケ代は台湾元で千二百円づつというので客引ではないらしい。

最後には、俺の気持ちを受け取ってくれと言って、知り合いの烏龍茶屋へ夜中にシャッターを開けてもらってまでして、気持ちの良さそうな若夫婦のいるその店で烏龍茶をご馳走になり、おみやげに高級烏龍茶の筒入りを二本も持たせて寄越したのだ。もちろん私はそんなにされては悪いからと一度は断ったものの、これは俺の気持ちだから黙って受け取ってくれ、ただ今度また台湾に来た時、または友人が来るような時には、この店で烏龍茶を買ってやってくれと若夫婦に紹介されて、それではと心良く受け取った。

今考えてもちょっとおかしな話なのだが、これが実際の何の嘘偽りない事実なのである。

ということで、三日目も、彼女には見放されたものの、呉明輝君というオカマの青年と知り合いになり、最後まで充実した旅行を味わえたのは何よりのことであった。

これから、チョンミンや呉君に手紙‥も書こう。そして出来ればもう一度行って、私のおぼつかなかった今回の旅行の名誉挽回といきたいところなのだ。

そしてもう一つ、私が一番今回の台湾の人たちを見て感じたこと。それはまるで台湾人全部が親しい知り合いででもあるかのように、

チョンミンも呉君も、誰とでもペラペラと対等にしゃべっているということが、内気な旅行者である私の最も見習うべき点であると痛感したことである。以上。


ヒロト2023年令和5年3月12日(日)

ケンジ、台北での三日目の夜は旅の宝物だね。やっぱり旅の醍醐味は、自分の足で、自分の目で味わうものなんだね。オカマさんとの交流もさることながら、損得なしの本当の人と人との心のふれあいがあった。素晴らしい旅だったね。


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