NO144/経堂生活始まる

ケンジ1981年昭和56年7月27日(月)

いよいよ明日からは経堂のアパートに引っ越し、一人暮らしを始める。久しぶりの一人暮らし、四畳半という部屋は浅草時代と同じである。部屋代は一ヶ月一万三千円。マァー安い方である。日当たりは悪いけど夜しか帰らないのだからそれでいいのだ。

ところで私の現在の仕事は、経堂のラ‐テラスという喫茶店に勤めているのだ。ラ‐テラスというのは他にも方々にチェーン店があって、小田急系の大きな会社なのである。あと一ヶ月もすれば見習い期間も過ぎ、社会保険なども付いた正社員になれる予定なのだ。


ケンジ1982年昭和57年1月3日(日)

今日から仕事始め、早番で14時上がり、現在陽当たらずの四畳半で静かにこの日記を書いている。

大晦日はヤナギさん、その彼女と飲んで、日の出町の実家には夜中の 0時半、すなわち元旦明けてすぐに帰ったことになる。朝は9時頃妹の子供、イサオ君に起こされて雑煮を食った。

夕方にヨシヒロと立川で会った。今回の話題は嫁さんをもらうのどうのこうのといったもので、いよいよあの晩熟で鳴らしたヨシヒロも嫁さんなどという言葉を切実に考えるようになったのかと、思わず我が年をふりかえる。


ヒロト2022年令和4年10月10日(月)

ケンジ、今日はお前さんのちょっと遅い一周忌で、偲ぶ会で去年も集まった檜原のキャンプ場でやるんだ。俺ももちろん参加する予定だったんだけど、16日にやる短い芝居の稽古とユーチューブの撮影が入っちゃって、今回はそっちを優先させてもらうよ。去年もそうだったけど、泊まることも出来て楽しいんだよなあ。しょうがない、今の俺は役者が一番だからね。ケンジだからこそわかってくれると思う。

ところでまた心配なことがある。お前の大親友、ヨシブーことヨシヒロが今月末にまた手術だって。前と同じ内視鏡手術だし、今回の檜原にも参加すると言っているので大丈夫だとは思うけど、一緒に無事を祈ろう。


ヒロト2022年令和4年10月11日(火)

ジローさんがコメントをくれたよ。

10/11 22:15

1980、1981年は、東京での芸能生活が最も充実していたが、

1981年の4月に父親が亡くなって、全てを捨てて姫路に帰る決心をした。

それよりは、毎年夏に天理で行われる「こどもおぢばがえり」というイベント内の行事の「バラエティーショー」の企画、演出、主演を東京でのノウハウを生かして20年間つとめた。

芸能界の一線を離れて、東京では決して味わえない経験をしたと思っている。

これよりは、ケンちゃんとは会っていない。


今は姫路のじろりんとして活躍しているジローさん、ありがとうございます。

NO83、84でケンジが書いているけど、そのイベント、大規模なんですね。ジローさんとケンジが、8000人、10000人の前でコントをやったなんて物凄いことじゃないですか!とてもじゃないけど、そんな経験はそうそう出来るものじゃありません。

それを毎年20年間も、企画演出主演したなんて、それはもうギネス級ですよ。

じろりんさんの中には、たくさんの経験と思い出やら何やらいっぱい詰まっているんでしょうね。

更に、まだまだ詰め込んでいってください。

もう、ケンジの日記には登場しないということなのかなぁ。

でも、ケンジはまだ28歳。この先も山あり谷ありの人生が続きます。ちょっと谷の割合が多そうですけどね。時々は、この日記でケンジの人生を覗いてみてやってください。

ますますのご活躍、期待しています。


なんて、ジローさんへの挨拶の日記になりました。

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