NO125/「俺っちの夢の続き日記」

ケンジ1976年昭和51年3月30日(火)雨

さて、私の日記も第六巻。私の頭のサエの方も、いよいよ第六感の効力を大いに発揮してもらいたい時期が来た。そんな大事な時期なのに、この二、三日の生活はシャバラバ、何か今も体中がカッタルイようなボケッーとしているような感じなのだ。

26日の金曜日には立川でクラス会があり、ひさしぶりに旧二Cの連中と会いシャベクッて来た。能ブーは、中央の法科を二年でやめ、東大の法科に改めて一年から入学だという。まさにあいつの根性にも驚く。そして土日と日の出町で食っちゃ寝し、日曜昼にこのアパートに帰ってきた。


ケンジ1976年昭和51年4月5日(月)晴れ

ひさしぶりに晴れた。よかった。昨日は夕方四時半頃ジロー君から急にTELが入り、「おめでとう、今日はおめでたいことがあるからすぐ来てくれ」と呼び出され、駆けつけると、何とジロー君の誕生日なので内輪でパーティーをやるんだとのこと。そんな訳で、ジロー君、コバヤシ君、そして同じアパートの女の子一人を入れた四人で、夜中の四時近くまで話していた。


ケンジ1976年昭和51年4月10日(土)晴れ

昨日から今日にかけてスターアクション本番で奈良まで行って来た。

そこで、オバラから聞いた話なのだが、オバラが新幹線の中で加藤さんと話した私評なのである。「まずあの男はしゃべり方がハッキリしない。抑揚がない。あのままのしゃべりではコントに進むにしても致命的だ」早い話がこうなのだ。実のところ、あれほど発声練習し、カドヤであれほど通る声だと自他共に認められていると自負していた私にとってはショックだった。確かにそういうような注意は前々からよく受けていたことだし、確か『劇団ひまわり」に入った時言われたのも、

音量とアクセントはいいが声がこもるとか何とかだと覚えがある。それ以来、果たして私の欠点は克服されていなかったのか。参った。


ケンジ1976年昭和51年4月16日(金)晴れ

今日は教会で午後0時半から稽古。

途中に来たジロー君らと合同で稽古を見せ合った。やはりいろいろ指摘され、だいぶ勉強になった。ジロー君たちの漫才もまた見せてもらったのだが、相変わらずテンポが良くて面白かった。彼らの漫才の息は、もうプロと比べても決してして劣らないものがある。

それに比べ、私らのコントの息というのはまだまだ混沌としていて定まるところを知らないが、未知な大きなものは確かにあると思う。ジローさんらの漫才は確かにもう即使える。でも決して新しいものではない、既存のものである。私らのコントは必ずしも保証された軌道のものではない。でもそこに、何か一つのものが出来上がった時、私らはいまある自信の上に更に大きな自信を持って、マスコミに挑戦できることを確信する。そしてその日は近いことを!


ケンジ1976年昭和51年 4月19日(月)曇り

今日は久しぶりのリハーサル日で、私も皆も出来はマァーマァーで、まずまず順調な具合であった。ジロー君たちもなかなか活動が活発化して来て、昨日は天理まで行って漫才をやって来たのだという。結果はバカ受けだったとか。そして一昨日はTBSのしろうとコメディアン道場の予選に行き、これもしろうと離れしているという私らの予想していた通りの批評を得て無事通過、彼らは乗りに乗っている。彼らにあれだけやられるとこっちは刺激にもなり、だいぶ血潮が沸き立って来る。いい傾向だ。

しかし、私らはモウリさんの腰痛で、稽古がままならない状況なのだ。


ケンジ1976年昭和51年4月23日(金)曇り

今日のリハーサル後、望月さんにもらったジャズコンサートの券で、芝郵便貯金ホールまで行き、生まれて初めてジャズというものを生で聞いて来た。当然私には何が何だかさっぱりわからず、途中少々眠ってしまったりした。でも一緒に横で聞いていた望月さんに聞いてみると、実に素晴らしいのだそうだ。望月さんは昔からジャズを聞いており、ロックのポップスの何のと言っても、とにかくジャズは最高ですよとのことであった。やはり音楽というものは普段から親しむもので、にわかに好きになろうなんて言っても無理なようだ。望月さんが、ペラペラペラッーと二、三のジャズマンの名前を私も当然知ってるが如くに上げたが、私は全然チンプンカンプンのプン。イヤッー無知というものは恐ろしいものだ。私などはようやくロックが何とかフィーリングをつかめるようになり、さて一つ、

コントに取り入れるために熱心に聞いてみようか、てな風に思い始めたところなのだ。私ももう少し音楽という環境に恵まれて育ちたかった。私のまわりにいい音楽が無さ過ぎた。日本の歌謡曲しか聞いてこないとこうなるのよ。せいぜいこれからロックぐらいは親しめるようにしよう。何せコントで一花咲かせようなどと思っている者が、そのくらいのフィーリングが無いとどォーしようもないからだ。


ヒロト2022年令和4年7月26日(火)

始まります!

『70歳 俺っちの夢の続き日記』その1

ほぼ20年近く続いた塩干物販売の仕事。役者をやめ、小さな店で休みもあまり取れない状態で働き続けてきた。それも今月で終わり。営業不振で、はっきり言ってクビ。

幸い、仕事はすぐ見つかった。大きな魚屋、休みも週2日、きちんと取れる。

そんなある時、何の脈絡もなく、頭にポンと浮かんだ。またやりたい。どんな小さなものでもいい、あの緊張感、現場の空気を吸いたい、役者をまたやりたいと思った。

仕事を探して募集広告を見ている時、エキストラ事務所の広告があったのも影響しているかも知れない。俺っちは昔所属していた事務所を検索してみた。10年以上所属していたが、塩干物販売を始め出し、自分からやめていったところだ。

あった。俺っちより一つ年下の女性代表、変わらずに活動しているようだ。懐かしさと嬉しさがこみ上げて来た。

でもすぐにこちらから連絡を取るのは、ためらいがあった。何せこっちが勝手にやめていった経緯もある。いまだに怒っているかも知れない。いや、そうだとしても何かシャレの効いたコンタクトの取り方はないだろうか。

事務所の概要、所属タレントなどを見ていくと、最後に応募申し込みの欄がある。これだ!と思った。

まず名前、所属していた時の芸名、まさき博人と入れる。メールアドレスを入れる。志望動機は、「また、現場の空気を吸いたくなりました。何でもやりますよ。」

これを読めば一発でわかる筈だ。

果たして目に止まるか?

止まっても無視されるか?

さあ、俺っち、どうなる。


結果は出ているのだけれど、

『70歳 俺っちの夢の続き日記』としてまとめてみようかと思っています。

ケンジ、こっちの方も付き合ってくれ。

ちょっと、今思い付いたことがある。この夢日記短くまとめて、ツイッターに載せてみたらどうかな?先のわからない連載ってことで面白いかも。こっちも読んでね。

「おとうさん」というなまえで出してます。

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