NO122/小林アトムさん 俺再び
ヒロト2022年令和4年7月21日(木)
ケンジ、令和のジローさんの日記だよ。
『ジローの日記』
2022年令和4年7月20日 21:25
ケンちゃん、パチンコにハマっていたんだね。小銭を持った時にはそんな時期もあるよね。
日記にジローがたまに登場するね。この頃、
ジローは「小林アトム」とのステージを終え東京に帰り、マツモトという先輩の世話で、露店のバイトをしていたよ。
その先輩の紹介で花小金井の夏祭りの手伝いもしたな。のちの二代目・引田天功になる、
朝風まりというマジシャンが出演していたのを思い出す。
くじ引きもあって、賞品の中に「ピンクレディ」と「小林旭」のサイン色紙があったのだが、先輩がせっせと書いた物だった。
2022年令和4年7月21日 11:06
「マツモトさんの無断欠勤・・・」
あら、出て来たね、マツモトさん。
ジローも何かにつけ、お世話になった、ちょっと無責任なマツモトさん。
今、どうしているのだろう。
ケンジのまわりにはユニークな人だらけだけど、マツモトさんもその一人みたいだね。
ところで、「小林アトム」さんは、ケンジが天理で料理人をしている人って言ってたよね。ジローさんが、ケンジの後にコンビを組んだ人だ。ちょっと調べてみたよ。
小林アトムさんは、1954.10.20生まれ、兵庫県出身の俳優。本名 小林昭博
1976年、まさにケンジの日記の現在進行形と重なる時に上京、俳優活動を開始する。
1995年から2005年まで劇団四季に所属。
ライオンキングでは、シンバの心強い味方、イボイノシシのプンバア役。
他に、ピーターパン、ミスサイゴン、レ・ミゼラブル等々、退団後も舞台中心にテレビ、映画にも出演。ワークショップの運営や「声を出せば人生が変わる―自分らしさの演出する方法」という本を書き、出版した。
でも残念ながら、2011年2月28日、56歳の若さで、肝臓癌のため亡くなった。
ジローさんは、元相方が二人とも癌で先に亡くなったということになるわけだね。
アトムさん、ケンジ、ジローさんは二人の分まで、今、「姫路のじろりん」として楽しんで、頑張ってますよ。
ケンジ1976年昭和51年1月23日(金)
私は今日で、いみじくも満二十三歳を迎えた。私もこの世に生を受けてもう二十三年も経った訳だ。いろいろあった。これからの方がもっといろいろあるだろうが、果たして私の人生は平凡で終わるか、それとも非凡に生きることができるのか。それは天のみぞ知る。
さて、その誕生日の今日は昨日、一昨日を凌ぐ極寒極冷風の中を、マツモトさんのアルバイトでスカーフをたったの三枚売った。とにかく10分と立っていられない程、東京が氷河期に入った日のことを思わせるぐらいの、それはそれはたいそう冷たい一日であった。
客なんてスカーフ買うどころの騒ぎではない。とにかく肩をすぼめてより早く暖かな屋内に行こう、これしか頭の中にないようであった。こんな日に露天でネッカチーフなんか売ろうっていう方が無理だヨ!
まァーその分7時半から10時頃まで久しぶりにやったパチンコで、100円で3700円勝ったのだ。これが私の誕生日におけるせめてもの贈り物だったのだろう。
ケンジ1976年昭和51年3月3日(水)
今日も朝からのパチンコは駄目で午後1時でやめ、3時までギターの稽古、その後教会へ行き掃除をしているところに、あっと驚く、何とジロー君が来たのだ。何でも今日マツモトさんと一緒に日テレへ行き、マツモトさんの代わりに再びスターアクションのメンバーに入るのだとか。これでまた何か刺激が起こるだろう。それが吉と出るか凶と出るか。とにかくスターアクションでの私はあくまでもマイペースでいこう。
さて、今日のモウリさんとの稽古はそんな訳で、ジロー君に見てもらってやったのだ。そこで大変、昨日までのコントとはガラッと違ってしまったのだ。より一層面白くなるだろう。今夜はそれをまとめなくっちゃ!ジロー君に見てもらって良かった良かった。
ケンジ1976年昭和51年3月5日(金)
今日はジロー君が再加入して初のスターアクションリハーサルであった。やはりジロー君の勘は鋭い。改めて感じた。私がやったパントマイムで今までなかなか答えが出なかったものが、ジロー君だと答えてくれる。やはりパントマイムをいくら一生懸命やっても、勘の鋭い人、私の発想と似通ったものを持つ人がいないと答えは出ないものだ。
そして本日のビッグニュース。何と今度新しく入った女の子のうちで最も私好みの子であるシゲムラマコさんとデートができたのだ。というのは、作家の望月さんから行けなくなった試写会のキップ二枚をもらい、駄目で元々で誘ったら、何と「行きたいわ」と来た。この返事には私も我と我が耳を疑ったというかちょっと信じられなかった。からかわれているのかと思ったぐらい。でも現実に、正真正銘だったのだ。うれしくなったもんねェー!
映画は「ラッキーレディー」という、ロバートレイノルズ、ジーンハックマン、ライザミネリ主演による、ロマンススペクタクルなのだ。非常に面白かった。よかったね。
ケンジ1976年昭和51年3月8日(月)
今日のモウリさんとの稽古でだいたい固まった。あとはもういつどこに出るか、その段取りの段階に入って来た訳だ。さてこの調子でいくと4月には完全にデビュー出来そうだ。またうれしからずやである。でも一体どこに出られるかと言えば決してその確信はない。ただ何でもやり、どこへでも行き、何事も当たって砕けろでやるだけなのだ。ここまで来たんだもの。どんなことをやったってデビュー出来るさ。コント自体まとまれば怖いものはないやね。
さて、今日は不動産屋に行ってこの部屋の更新は、一体どうなるのかを聞いて来た。その結果、家賃が八千円から九千円に上がり、二万五千円の権利金と四千五百円の手数料をふんだくられる羽目になった。そして敷金も千円上積みで取られることになり、トータル三万五百円払うことになったのだ。
しかしまァ―不動産屋なんてェーのは適当なもんだね。てめェーの物品なんてェーのは一つも無くて、他人のふんどしで金儲けするんだから。それに今日の不動産屋のババァがまァ―ふてぶてしい態度。前歯を金歯でキラキラさせて、もう金の亡者という雰囲気丸出し。参ったよ。
ヒロト2022年令和4年7月22日(金)
モウリさんとのコント、デビューが楽しみだね。どんなことをしてもやってやるぞ!という意気込みに俺も触発されたよ。
〈俺っちの就活日記〉で言っていた夢、前に進めようと思った。その夢、それは、また役者をやりたいということ。何でもいいんだ。通販のコマーシャルで膝を痛がっている人でも、ドラマで飲み屋かなんかで客の一人でもいいんだ。あのカメラの前での緊張感、現場の空気を吸いたい、って思いが膨らんじゃったんだ。
10年以上所属した事務所を検索してみたら、まぁ大手にはなっていないけど活動しているようで、当時、同志のように舞台公演をやったり、仕事の無い時は自宅兼事務所の部屋で将来を語ったりした、一つ年下の女性の代表は今も代表のままのようだ。
そのサイトから、名前、メアド、用件を書き込んで送れるようになっていたので、所属していた時の芸名、まさき博人、メアド、また現場の空気を吸いたくなりました、と送ってみた。まだ返事はないけど、さてどうなるか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます