NO90/長嶋茂雄選手
ケンジ1974年昭和49年10月14日(月)
今日は見事に晴れた秋空のもとで、午後二時頃まで稽古(運動主体)、その後昼食をとり、演芸場へ見学に。ところが今日の演芸場は、いつものメンバーとちと訳が違うのだ。とにかく私の目から見ても、知らず知らずのうちに引き込まれて見てしまう。というふうなつわもの芸人揃いなのだ。とにかく今日の演芸場は、抜群に勉強になったと思う。本当の芸人の芸を垣間見た気がする。
さて、それと同時に今日は、巨人の最終戦があり、巨人軍の長嶋選手の引退試合でもあった訳だ。テレビでもラジオでも演芸場でも新聞でも、たいそう長嶋選手の話題で賑わっていた。私はこれまで、スポーツ選手でこれほどの引退騒ぎを見たことはない。それほど彼、ミスタージャイアンツ長嶋は大選手だったのだろう。私も、長嶋選手の顔も野球も好きだった。長嶋選手の栄光に改めて祝福の辞を述べさせていただこう。「よくやったね!」
ヒロト2022年令和4年5月31日(火)
演芸場、誰が出てたのかなぁ?
今度教えてね、ジローさんでもいいから。
じゃ、俺の話。
コン!相手打者の打球は三遊間のボテボテのゴロだ。町の少年野球大会、小学6年生の俺はサードの定位置から思いっきりスタート、打球のバウンドなど気にせずに走りながらグラブを差し出す。ボールがグラブに入ってくれた。そのまま走りながらすかさず右手に持ち変え、ファーストに向かって横手で投げる、右腕はしばらく伸ばしたまま、まだ走ってる。
どう?長嶋選手そのままでしょ。とにかく大好きで完コピしてたね。どんな打球でもとにかく突っ込む、ショートゴロまで捕ろうとする。だからエラーも多かった。ごめんなさい監督。
ケンジの日記にある1974年10月14日月曜日、不良公務員の俺は、朝からなんだか落ち着かなかった。昼休み、巨人対中日ダブルヘッダーの第一戦をトランジスタラジオをイヤホンで聴いていると、長嶋選手今シーズン第16号ホームラン、通算444本、引退しなくてもいいんじゃないの。
第二戦今季最終戦は午後二時四十五分開始、後楽園球場だ。行ったって球場内には入れないかも知れない。それでもいい、そばに行きたい。もう居ても立っても居られない!俺は、納税係の小林係長に早退を申し出た。係長が大の巨人ファンであることも計算にあった。すでに帰り支度をしている俺を見て係長は、「今日は特別の日だね、行ってらっしゃい。」いい人だ。
バスで立川駅に行くのも、バスのスピードがものすごく遅く感じる。立川駅から中央線東京行き、中野で乗り換えて水道橋、後楽園球場に着いた。やっぱり入場券はどこも売り切れ、当たり前だよね、わかってはいたのです。試合はそろそろ終盤、球場の周りをうろうろ。でも、歴史的な場面のそばにいるということだけで結構幸せだった。俺だけじゃない、周りにも同じような人がいっぱいいる。
試合が終わったみたい。球場内の照明が消えた。バックスクリーンの一部がこの球場の外からも見える。
そこには、
ミスターG
栄光の背番号 3
と、あった。
涙が出た、、、
ここで終われば、余韻があっていいのかも知れないけれど、どうしても書きたいことがあるんだ。知っている人は知っているかも知れないけれど、知らない人は知らないかも知れないから、ケンジは知っているかも知れないけれど、書かせてもらいます。
長嶋選手の最終打席、8回裏1死1、3塁、1球目3塁側ファール、あろうことか主審が中日の捕手金山に声をかけた。
「わかっているよね。」
金山は、打たせろ、ということなのだとすぐにわかった。バッターボックスに立っている長嶋選手に聞いた。
「次、カーブでいいですか?」
甘いカーブは打ちやすいのだ。
長嶋選手はこう応えた。
「真っ直ぐでいいよ」
中日投手佐藤、金山のサインを見た。ど真ん中のストレート、その意味は佐藤もわかっている。
佐藤、2球目を投げた。緊張のためか、ストレートのつもりが最後ボールから指が離れる瞬間、微妙に滑った。
長嶋選手、鋭いスイング、が、ボールはバットに当たる直前に微妙に変化、バットの芯を外れ打球はショート前へ、6―4―3のダブルプレー、スリーアウトチェンジ。
これが、プロ17年目、長嶋茂雄選手、最後の打席、、、
だ、そうです。
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