NO88/一人芝居
ケンジ1974年昭和49年9月26日(木)
さて、いよいよ明後日はスターアクション本番である。例の剣道のコントをやるのは確実なのである。何かドキがムネムネする。しかしもうやるしかない、私らがどんなにやったって、今の私ら以上にはできないのだ。結局おもいっきりやる以上ない。ヤッタルデェー!明日は松本まで行くのだ。そして明後日が本番なのだ。明日は新宿出発が午後3時だから、その前にちょこっと稽古をしていきたい。しかし面白くなりそうだぞ!そして今夜は、例によって金曜パックで勉強、ねッ!
あっー落ち着かない!今度の舞台でこのコントが受ければ、私らの前途はより一層明るくなる。失敗を恐れていてもしゃーないヨォー、だって私らはまだコンビを組んで五ヶ月、21歳の若輩であるのだから、そう焦ることもないし、つまづいても、また長い目でやり直せる。とにかく、一年にも満たない私らであるから、おもいっきりやってみよう!
ケンジ1974年昭和49年9月30日(月)
久し振りにこのアパートの一室に帰ってきた。この数日間いろいろあった。過大過ぎるほど胸を膨らませたこともあった。しかし、そういう期待に胸を膨らませた時ほど、えてしてその結果は大した反響もなく、成功とも失敗ともつかぬ形で現れるものだ。
そういう訳で、28日の松本でのスターアクション本番におけるコントも思っていた程の反響も呼ばず、ただ秋風の如く終わった。決して失敗した訳ではない。それはジローが枕を投げるのを忘れたり、私が袴を引っかけて飛べなかったりしたことはあった。しかし、受けるところでは絶対的に受けたと思うし、そのちょっとしたトチリだって、場をシラケさすという程のものではなかった。しかし、私の心には秋風が流れる。というのは何か。コントを終わってから緑川先生に批評を受けた。曰く、「君たちのは、まだ上手いとか下手とかいう段階ではない。とにかく言っていることが全くわからないのだ。怒鳴り過ぎて声がこもって聞こえない」というのである。勿論、この言葉には私らを全く見損なったような節はどこにも見当たらない、むしろ私らから見れば、イヤ、私から見れば、「惜しいところまでいってる、だが、、、」という風に感じられる好意的な言葉であった。
しかし、だからと言って私は決して甘える訳にはいかない。私は今ここで、再び原点に戻った感じがする。今までの稽古を返り見ると、ただ大きな声を出せばいいということで、むしろ怒鳴りの稽古とでも言った方が妥当であるかのような発声練習。ここに大きな恐ろしい、ただ考えも無しに声を出す稽古をするといった、折れ曲がったからくりがあったのである。
明日からは、今度はむしろ冷静な声でハッキリ発音するよう心掛けよう。
ところで、それとは別に私は大きな収穫を得たのだ。というのは、 27日の晩から28日のその本番の時にかけては、私の体のコンディションは最悪の状態にあったのだ。下痢をしており、吐き気もあり、腹が痛いといった状態だったのである。こういうと、プロを目指しているものが本番で体調を崩すなどというのは最低である、と非難を受けるかも知れない。しかし私には、この経験は大きいものであった。とにかく何か気だるく頭のボワッーとする、腹に力の入らない状態をもってあれだけ動き回り怒鳴れたのである。よって声を大きくするためには怒鳴らざるを得なかったかも知れないし、無意識のうちに必死に声を出してしまったのかも知れない。
あれだけ具合の悪い中でも私はやったのである。これからである。まだ稽古する余地は、いや、全てが稽古から始まると信ずる私にとって、これから稽古をやれば良方へ向かうところは未曾有にある。ありすぎるほどある。私がどれだけ伸びる、、それは私の根気がどこまで不屈なものであるか、頑丈なものであるかによるであろう。
ヒロト2022年令和4年5月28日(日)
昨夜のホタルは不発でした。でも、今日は昼間30度以上、夜も蒸し暑そう、だんだん条件は揃ってきた。また今夜、寄ってみるね。
それはさておき、俺が一番のダメ出しを食らった話をしようかな。
20代後半は学校廻りの劇団にいたわけだけど、学校相手の芝居は解りやすいものをやる反動か、夏休みなどには、渋谷区代官山にあった稽古場兼小劇場で、小難しい芝居の公演をやった。主宰者の演出家が東大出身で、やりたかったんだろうね。
その時の演目は、「船の挨拶」三島由紀夫作初めての一人芝居、ホントに難しい芝居だった。戦前の話だね。ある灯台にひとりの若い海上保安庁職員がいる。毎日通りすぎる船をチェックしている。船はそれぞれ信号旗を掲げ、彼もやはり船に向け、灯台の庭に信号旗を掲げている。彼はその船からの信号旗による挨拶に飽き果てていた。
ある日、怪しげな密航船が現れ、銃撃を受ける。が、彼は待ち望んだ熱い火みたいな挨拶を受けたと感謝して死ぬ。
というお話を一人芝居でやるのです。どう?訳わかんないでしょ。
時間はあったので台詞は覚えられる。毎日船を見飽きている感覚を知りたくて、休みの日に竹芝桟橋で朝から一日船を見ていたりした。演出は東大出の劇団主宰者ではなく、その公演では特別に東宝の演出家、中村哮夫さん。主宰者が一時東宝にいた関係で実現したらしい。この人がすごい方なんだ。あとから知ったんだけどね。
フランキー堺さんじゃないけど、慶應義塾大学文学部で、久保田万太郎に演劇を学び、東宝に入って黒澤明の助手をやり、菊田一夫に舞台演出を学び、「ラ、マンチャの男」や「王様と私」の演出をして、日本にミュージカルを根付かせた。小劇場の演出も好きで、渋谷ジャンジャンでの「ファンタスティックス」は自分も見たことがあったけど、わくわくするぐらい良かったなぁ。
そんなすごい人に演出してもらったんだ。でもその頃はそのすごさ、有り難さがよくわかってないんだねこれが。
話を「船の挨拶」に戻すよ。最後の死ぬ場面、これが一番のクライマックス、でも演出は、静かに微笑みを浮かべて死んでいく。というシンプルなものにまとまった。
そして千秋楽、やりたがりの俺は、一度死んでから甦り、両手を広げて殺人者に感謝したような感じでもう一度死んだ。
中村さん、怒ったねぇ、まだ客が帰りきっていない小さな劇場内、響き渡るような、少しエキセントリックな感じで、「君みたいな人とは一緒に仕事は出来ません!!!」!マーク3つじゃ足りないくらい。
考えてみると、そりゃそうだよね。演劇は総合芸術、稽古を重ね、照明、音響を合わせていく。照明さん、焦ったろうね、男死んでゆっくり暗転、、、の筈が男よみがえっちゃったんだから。その時の照明さん、劇団員だけど上手く合わせてくれた、ありがとうございました。
俺は小さな控え室にこもって、暫く立ち直れなかった。
芝居はねぇ、一人芝居であっても、一人でやってんじゃないのよ!って教えてくれたんですね。中村哮夫先生、ありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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