NO86/キタキツネ 台風16号

ケンジ1974年昭和49年8月25日(日)

今日は日の出町の我が家でこの日記を書いている。ここしばらく日記とご無沙汰であった理由は、北海道旅行やら何やらでずっと夜落ち着けなかったからである。北海道は支笏湖と登別温泉を回って来たのだが、登別温泉は温泉もさることながら、ユースホステルに泊まることができたなどということから、非常に落ち着けて、クマ牧場だとかアイヌの里などを見物できたので快適であった。あと、北海道大学のポプラ並木なども非常に印象強く残っている。それに、広ーい畑の向こうに連なる山々の上に、煌々と照っていた月と星も忘れ得ぬものだ。


ヒロト2022年令和4年5月27日(金)

俺の北海道での一番の思い出を書こうかな。

学校廻りの劇団にいた頃の話。

十勝岳にある国民宿舎に泊まった時のこと。

その日は公演はなく移動だけで、総勢6人、大道具、小道具、衣装照明機材、音響機材など、私物も勿論、一切合切詰め込んだキャラバンは、まだ明るいうちにその宿舎に着いた。雄大な大自然に抱かれた、気持ちもゆったりとするような素晴らしいロケーションだ。

と、その時、その大自然の一角でスッと動くものがあった。距離にして10メートルあまり、結構近いぞ。なんと!キタキツネだ!

こっちをうかがっているようだ。

なんか痩せてる、お腹空いてるのかな?

そうだ!お昼の残りの食パンがあった筈、あまり音をたてないようにパンを取り出した。そこまで6人みんな声を出さずに身振り手振りでやって、キタキツネを脅かさないようにした。

そして、他の5人は車の陰に隠れ、俺が代表してパンをちぎって思いっきりキタキツネの方に投げた。「北の国から」の純や蛍みたいに、小さい声でルールルルとやってみた。

すると、そのキタキツネ、そろそろと近づいて来て匂いを嗅いだと思ったら、バクッとパンを食べてくれたのだ!やったぁ!大感動!

よし、今度は5メートルぐらいのところに投げてみよう。少し大きな声で、ルールルル。

おっ!ゆっくりパンに近づいてくる。やっ、また食べた!よおし、3メートルだ。よおし、食べたじゃん!

えい、2メートル、食べたよ食べた。1メートルではどうよ、ひゃあ食べるんだ。もう、すぐそばにいる。

俺はパンを摘まむように持ち、しゃがみこんでパンを差し出した。キタキツネは首を傾げるようにして動かない。俺だって動かない。目は見ないようにした。と、ちょっと間があったあと、キタキツネがついにパンを食べた!俺の手から、直接食べたのだ!俺は興奮した、思わず万歳した!それにビックリしたのかキタキツネ、サッと逃げた!と思ったらすぐ止まり、首だけ回してこっちを見てる。俺は、一枚だけ残っているパンを投げた。キタキツネは、それを咥えるとあまり急ぐ様子もなく、ト、ト、トと振り返りもせず、茂みの中へ消えて行った。


興奮醒めやらず、宿舎の玄関に入った。出迎えの宿の人に、挨拶もそこそこ、俺は言った。「キ、キタキツネいました!そこに!

パン、ボクの手から、直接食べました!」

あれ?宿の人の表情が変わらない、いや、むしろ険しくなった。

「ああ、あのキツネ、あれ、毎日のように来るんです。ゴミあさって困るんですよ。エサ、与えないで下さいね、クセになりますから。あっ、それと、触ったりなんて絶対にしないでください、エキノコックス症にかかったら大変ですよ。」だって。

(エキノコックス症□日本では主に北海道のキタキツネの寄生虫の卵が引き起こす。体内に入るとゆっくり増殖し、10年以上経ってから死に至る場合がある。)

もう、何十年も経ってるから大丈夫だと思うけど、、、。


ケンジ1974年昭和49年9月2日(月)

今日も雨が降ったり止んだりの蒸し暑い天気であった。そんな中をいつものように教会の講堂と屋上を使って稽古。喉が渇いてカラカラになって、アイス食ったり、ソーダを飲んだりしながら夕方6時まで稽古をした。

新聞を読むと、昨日は台風16号の影響で東京の西部の方は、記録的な大雨が降ったということで、あれだけ石ころだらけで余裕のありそうに見えた多摩川が、大水で堤防が決壊し、民家が四戸流されたとのことだった。さぞ、私の実家の方も大雨が降ったことだろう。当然五日市線は運転休止と書いてあった。こんな雨は、おそらく何十年ぶりではないだろうか。


ヒロト2022年令和4年5月27日(金)その2

1974年の台風16号の被害、すごかった。雨台風だね。8月31日から9月1日にかけて関東地方は激しい雨に見舞われる。多摩川が増水して狛江市で堤防が決壊、19戸の民家が濁流に飲まれた。ケンジ、結局19戸も流されたんだよ。

多摩川は、昔から暴れ川と言われていたらしい。河川延長は138Kmと短いわりに、水源の標高が1953mと高いので急流になりやすい。古くから洪水の度に流れが変わり、沿岸の村が分断され、堤防の再整備の時に、それぞれ別の市町村に組み込まれてしまったという。その名残の地名が、多摩川の両側にある。東京都大田区に下丸子、川崎市中原区に中丸子、両方に等々力がある。

世田谷区に野毛、上野毛、川崎市高津区には下野毛、両方に宇奈根、瀬田がある。

中和泉、元和泉、東和泉が世田谷区、和泉が川崎市多摩区、押立町が府中市と稲城市、石田は国立市と日野市にある。東京ローカルのお話でした。

忘れてならないのは、テレビドラマ「岸辺のアルバム」。狛江市の住宅流失被害者が、住宅は勿論だけどアルバムが無くなったことがショックとの話を聞いて、脚本家の山田太一さんが書いたドラマだ。テレビ史に残る名ドラマになったね。



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