NO76/コンビ始動
ケンジ1974年昭和49年5月1日(水)
いよいよジローと二人の活動が始まった。
その第一日目の今日は、正午に浅草演芸場に置いてきた荷物を取りに行きがてら、一通り演芸を見て、三時過ぎに近くの喫茶店で打ち合わせ、即稽古場と、ジローと私の距離を近くするためのバイクの確保へと行動に移り、
稽古場は上野の天理教の教会の講堂、バイクは丁度手頃な90CCの二万五千円というヤツを買い入れ、まず出足はトントンと運んだ。
明日はいよいよNTVの仕事の稽古日、頑張らなくっちゃ。
何か心が弾む。こんな調子で上手く行けば、苦労知らずで一生暮らせるのだろうが、次の壁はもう眼前だ。とにかくこの一年間は試練と行動の一年だ。私の全能力を結集させて大いに頑張らねば!
ケンジ1974年昭和49年5月3日(金)
今日は祝日、昨日から今日にかけて、久方ぶりに日の出村へ帰ってきた。ジローを実家へ招待した。日の出村へは昨夜11時ちょっと前に着き、久方ぶりの草の匂いを嗅ぎながら、小机坂をジローと二人で歩いた。
私がこっちの方、すなわち都内の方で知り合った友人のうち、実家へ連れて行ったのはジローが初めてである。そんな訳で非常に忙しかった。
いよいよ明日から本格的にジローと二人の稽古に入る訳だ。
ケンジ1974年昭和49年5月4日(土)
さて、いよいよ今日から天理教の教会講堂を借りての、ジローとのコントの稽古に入った。まだまだ二人の息の合わないところが多いが、これから毎日毎日の稽古によって、その厚い壁を一枚一枚コツコツとぶち破っていかねばならないのだ。それまでは二人の努力と根気しかないのだ。とにかく何が何でもこの一年は出来る限りの努力をしようじゃないか。そうすれば、もしこのコンビの息がどうしても合わずに終わった時でも、やるだけのことはやったのだという満足感があると思うから。私は特に飽きっぽいのだから人一倍気を張ってやらなくちゃ!それと健康。やはり体の調子が悪くては、納得のいく演技も出来まい。私としては、何か一つでも「絶対に」という自信の持てるコントのレパートリーを作りたい。
ヒロト2022年令和4年5月17日(火)
ジローさんも、五日市駅から日の出のケンジの家まで、20分あまりの道を歩いたんだね。自分も見舞いやら葬式で何回か歩いた。はるか48年前とはいえ、東京の田舎の同じ道を歩いたと思うと考え深いものがあります。西多摩の山が迫った道、当時も今もそんなには変わっていないんじゃないかな。
ところで自分は、特定の宗教に入信したことはないし、これからもないと思う。でも、天理教は小さい頃からわりと身近にあった。
父親が、小笠原諸島の母島出身。小笠原の人たちは、第2次世界大戦敗戦でアメリカの統治になったので、いわゆる本土に移らされた。
みんな苦労したんだ。そんな中で、多くの島の人たちは天理教の教会に身を寄せ合い、親睦を深めていたみたい。俺の父親は信者ではなかったけど、教会には招かれていたようで、太鼓を叩いている写真を見たことがある。戦後の厳しい暮らしの中を、みんなで乗り切って来たんだね。
数年前、やはり島出身の親戚が亡くなって、東京の高尾にある教会で行われた一年祭に参加した時がある。
印象的だったのは、野菜、果物等の供物をそれぞれ20あまりの盆に乗せ、式の中でひとつひとつ、厳かにお供えをする。そのことに一番の時間をかけていた。そして、式が終わったあと、そのお供えの人参やらトマトやらイチゴやら、何種類も少しずつ入った袋をいただいた。その時は、その意味がよく解らなかったけれど、あとでふと、戦後困っている時にもらった人たちは、ずいぶんと助かったんだろうな、と思った。
高尾の教会は住宅地の一角にあったけれど、室内は広々としていて、太鼓を叩いても大丈夫なくらいだったから、上野の教会でのコントの稽古も思いっきり出来そうだね。ありがたいね。
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