NO73/演じるということ
ケンジ1974年昭和49年4月1日(月)
さて、いよいよ四月に入った。今回の芝居でもやはり私はみんなの批判の的。いったいいつから私がこんなにみんなからボロクソに言われるほど下手になったのだろうかと、自分を疑うざるを得ない。下手になったというより、スランプであろうか。天下の大打者王貞治にもスランプはあるのだから。結局私としても何らかの壁にブチ当たっているところなのであろう。これを切り抜けるのはひたすら努力、稽古、のみである。
それに、四月いっぱいでくるま座解散ということになることが明らかになった今、何かそれに対する「早くその壁をブチ破らなければ」という焦りも付き合っているのだと思う。とにかく、もう壁の向こう側も見える程の位置まで来ているような感じもするし、より一層頑張ろうじゃないか。
ケンジ1974年昭和49年4月2日(火)
あっーどうも思うように行かない。芝居がこんなに苦しいものだとは、もう参ったよ!
どうしても自分の性格が出てしまう。強く行くべきところが成り行き的な感じで優しくなってしまう。これをフッ切らなければ私の前進はない。あと一ヶ月というところまで来て、とんだスランプに陥ったものだ。何か、
ハシさんやキョウマルさんの言葉が、地獄の鬼のようなイヤミのこもった敵意のある響きで私の耳を差す。それにこのところ、ハシさんは確かに私とジローに、ひょっとすると私ひとりに何かの偏見を持ってきたようだ。よく言われるように、酒は人間の本性を暴露すると。このところハシさんは、いつもの酒飲みに輪をかけたように酒にふけっているし、それによって少し理性を欠いてきたのも事実だ。しかし、今はそんなことをこだわっている場合ではない。自分の納得のいく芝居をなんとしてもやらねば!
ケンジ1974年昭和49年4月4日(木)
昨日はジローと、その友人二人と一緒にNETの公開番組を観てきた。ジローの先導で行ったのだ。というのは、ジローがNETで大道具をやっていたことがあり、顔見知りもいたからである。でも私らは観覧席に入れず、ショボンとしてモニター室に入ってモニターを観ていた。すると、浅田美代子だとかアグネス・チャンだとか西城秀樹だとかいう若手の歌手連中が、私らの座っているすぐ前に向き合うように座って来たりして、結構ツイていた。ツイているといってもそんな歌手を見たって私らはどうってことないのだが。
ひとつ思った。こんな連中が、テレビであんなに大胆に振る舞っているのだから、私にもそのくらいはできるんじゃァーないのか、なんていう少しうら若き頃の希望と夢を再び感じるが如く。そしてまた新鮮さがよみがえったように感じた。
ヒロト2022年令和4年4月14日(土)
まさに同じ。テレビが家にもやって来て、白黒からカラーに変わった頃からだろうか、テレビドラマはだんだん自分たちに身近なホームドラマが増えていったように感じる。その中で、はっきり言ってわざとらしい演技をする俳優さんもいれば、すぐその辺にいる人みたいに感じさせる俳優さんもいた。
まだ自分がその世界に行こうなんて思っていない時でも、もし自分が演ってもできるんじゃないか、なんて感じさせてくれた。
その時の思いが、長じて俳優を目指した原動力であることは確かだと認めます。
そして、カメラの前で、その辺にいる人みたいに振る舞うことが、実はすごく難しいということを思い知るのです。
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