NO72/ケンジと俺のもがきとイッセイさん

ケンジ1974年昭和49年3月25日(月)

今日はとうとうダブルパンチを食らった。

来るべき時が来た。私の今回の芝居に関して、お隣の劇団、風林火山さんの大ベテラン、サワダさんから注意を受けたのだ。それも、今までくるま座の先輩連中から受けていた箇所とは、まったく別の区域の注意だ。くるま座の連中からの注意の箇所は、今日でまず九分通り満足のいくものになったと自分では確信しているのだ。

ところが今日、初日から、いや舞台稽古から気になっていた、どうしても手持ち無沙汰を感ずる後半のくだりが、とうとうサワダさんから、「もうちょっと研究しろ!」とクレームがついたのである。その点については、くるま座の連中は誰一人として的確なアドバイスをしてくれる者もなく、舞台稽古の時チョコっと触れただけであった。でもそれが、その点が私にはどうしても解決できなかった。

あやふやなまま今日までやってきて、何とか誤魔化せると思ったが、それが甘かった。こうなったら一世一代の大勝負、とことんやったろうじゃないか。あと六日間は毎日が初日だ。クッソー!


ヒロト2022年令和4年5月13日(金)

わかる!ある!自分の中で、よくわかってなくてモヤモヤしたまま本番、何とかなったと思ったら、ちゃんと見抜く人がいるんだよね。俺の話はいい、次行こう次!


ケンジ1974年昭和49年3月26日(火)

今日の芝居はやるだけやった。声を出せるだけ出した。私としても、これだけ批判を受けたら、規則とか慣例とかいうことは考えなかった。とにかく私の体力を、全神経をいかにして集中するかに努めた。他人のセリフを多少食おうが、私の感情のリズムに乗って出ることなら何でも出した。一回目の公演が終わってキョウマルさんから、「ケンジ、だいぶ良くなった。しかしちょっと怒鳴り過ぎだ。ああしょっちゅう怒鳴っていたら決めが無くなっちゃうよ」という批判がわずかに飛んだ。しかし、全ての人の顔が昨日よりはいくらか好意的になったように感じた。

そして二回目、一回目と同じように、しかも抑える所は抑えようとなるべく努めながらやった。二回目が終わった。「ケンジ、今の調子の上がり方は良かったよ!」と一言キョウマルさんからあった。他のみんなの顔も「やっと、、、」という風な相が見てとれた。

しかし私はまだまだ満足してはいけない、サワダさんもいる。お客さんの中にいつどんな人が入っているやも知れんのだ。こんな未熟な私に、まだまだ完成という星は、遥かに遠いのである。


ケンジ1974年昭和49年3月30日(土)

あーあ、あと一日、今回の芝居にはまったく参った。今日も二回目にフッとセリフを言うのが遅れたり、ボケッーとしていたりした。というのは、来週の台本がまた橋数氏のなのだが、またまた私には納得のいかぬくだりが多いため、そんなことで頭を悩ましていたからだろう。それにしても、今回の芝居には参ったよォー!まぁー初めての実質的主役ということもあったろうが、まだまだ私は感情の入れ方が足らんようだ。とにかく私は、芝居というのは一に感情二に感情だと思うのだ。頑張らなくては!さて、その問題の、来週の台本だが、私はまたまた重要な役が付いたのだ。グズラ嬢との恋人の役で次郎というのだ。

ところでうわさによると、くるま座は4月いっぱいで解散だとかどうだとかいうので、せいぜい今のうちにみっちり頑張っとこう。


ヒロト2022年令和4年5月13日(金)その2

えっ、もう?どうして?まだ旗揚げしてから半年だよね。びっくりしている俺も、劇団作って一回だけ公演して解散、なんてこともあったけどね。それはともかく、ケンジにはとってもいい修行になっていると思うんで、もう少しやって欲しいと考えるのは俺だけでしょうか?

大変な時になんだけど、ここでひとつ俺の芝居の話、書きたくなっちゃった。いいかな?1989年銀座セゾン劇場公演「マクベス」山崎努主演、演出森田雄三、演出助手イッセー尾形、イッセーさんのひとり芸、いや一人芝居は、実はこの森田さんが演出していたということをこの時初めて知った。山崎さんが演出に森田さんを指名したらしい。イッセーさんは演出助手というよりも、いつもニコニコ見学していて、「ここ、どうですかね?」なんて誰かが質問すると、腕を組み、右手の親指と人差し指で自分の顎を支え、熱心に、丁寧に、しかもユニークに答えてくれた。

俺の役は、マクベスに戦況を伝える兵士の役、台本約1ページ分報告する役。森田さんは、役者の中から何か生まれてくるのを待つタイプ。本読みの段階から、次はまた違ったものが見たいと言う。毎日が勝負だった。

稽古場はベニサンスタジオ。染色会社紅三の工場が移転することになり、そこを稽古場に改造して貸し出していた。ベニサンピットという劇場も造り、蜷川幸雄さん率いるニナガワスタジオの公演も行われた。石井ふく子さんが演出する芝居の稽古もよくベニサンを使ったので、俺にはお馴染みの場所になった。

俺は、地下鉄人形町駅で降り、水天宮の方に向かう。新大橋通りにぶつかる。角に人形焼きの老舗がある。右に行けば築地市場に行けるが、この時はまだ干物は売っていないので、左に行く。隅田川に架かる新大橋を渡り、すぐ左に曲がり少し歩くとベニサンだ。

「マクベス」の時は、歩いていてもずっと芝居のことを考えたり、台詞を繰り返してみたり。ある時稽古場で、出演者の北見敏之さんに「まさき、大丈夫か?すごい顔して歩いてたぞ」と言われた。車から見たらしい。

試行錯誤の末、満身創痍、血だらけで出て来て、報告を終えてぶっ倒れることになった。でも課題は続く。家族はいるのか、元々仕事は何だったのが、戦場の様子は見えているのか、どんな死体が転がっているのか、自分で自分に課題を課し、もがいていく。行き着いたところは、無、だった。

ただ報告の使命を果たし、ぶっ倒れてこと切れる。

だったら最初からそうすれば良かった?

いやいや、俺は、無に厚みがあることを知った。

ある時、イッセーさんが、「今は、まさきさんがこの芝居を引っ張っている」と言ってくれた時は嬉しかったなぁ。ほんのいっときだったろうけどね。

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