NO70/凡人と死

ケンジ1974年昭和49年3月5日(火)

最近私は何か知らず知らずのうちに常識人間になっているように思える。変なところで意固地を張って反抗心を持つより、何かというとすぐ、より健康的で世間で容認してくれると考えられる、より安全な道を選ぼうとする傾向が多くなった。別に健康的なのが悪いというのではなく、世間に受け入れられず非難されるのがよいというのでもない。要はちっぽけな規格にはまった、全くカドのない平々凡々たる道を選ぶということは、則ち凡人なのである。


ヒロト2022年令和4年5月11日(水)

凡人だって構わない、生きていてくれさえすればいい、、、って出来事が続いた。

先日、俳優の渡辺裕之さんが、そして今朝、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自死したとのニュースが流れた。遺書はなかったのかなぁ。アクティブでさわやかな印象の渡辺さん、とぼけた笑いの上島さん、そのイメージからは、かけ離れた闇を抱えていたのだろうか。特にコメディアンはそのギャップが大き過ぎてつらいものだね。

俺には4歳上の兄がいた。小さい頃はよく一緒に遊んだけれど、中2の時突然のように「外交官になる」と言って、猛然と勉強を始めた。一日10時間以上、それこそ「自分は凡人だから、人より勉強しなければ望みはかなわない」って大学に受かるまでがり勉は続いた。地域一番と言われている高校に入り、大学は一橋大学に進んだ。そして就職先に選んだのは、外交官ではなく、当時勢いのあった商社、丸紅だった。何故そちらを選んだのかは、多くを語ってはくれなかった。

クウェートに何年間か駐在したこともあり、バカンスはヨットにアフリカ旅行、「ケニアの地平線に沈む太陽を見たら、人生観変わるぞ」と俺に語ってたのになぁ。

兄貴36歳の時、韓国に出張中にその事は起きた。タクシーに乗っていた兄は、周りに人家もない山沿いの道で降り、タクシーに待たずに行っていいと告げた。そこまではタクシー運転手が目撃しているのだ。

それから、おそらく兄は道などない斜面を登り、山の中腹の茂みの中で前日買ったらしい包丁で胸を刺し、自刃した。

俺の初めての海外渡航は、兄の遺体引き取りの韓国行となった。兄の奥さんとその母親が同行した。

行方不明になった兄を探すため、タクシーの運転手の証言を元に、警察と地元住民の山狩り捜索をして見つかったと、後でその警察署長から聞いた。遺書は無かったと言う。

俺は、地元採用の韓国人社員の案内で山に登った。高い山ではないけれど険しい。道路からは全く見えない中腹の茂みを指さし、「お兄さんはここで亡くなっていた」と流暢な日本語で教えてくれた。そこには何の痕跡も無かったけれど、誰が置いてくれたのか火が着けられていないタバコが二本、お供えのように並べられていた。

奥さんからの話で初めて知ったのだが、兄はうつ病の治療を受けていたというのだ。自死の原因はそれがすべてなのかはわからない。第一、どうしてうつ病になったのか、それもわからないまま、兄は逝ってしまった。

考えてみると、ケンジ、敵は憎っくき膵臓癌だったけど、お前は大往生だったよ。


ちょっと、つらい話になっちゃったね。

さあ!またケンジの、涙と笑いの人生修行、

聞かせてくれ!

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