NO64/演芸場での日々

ケンジ1973年昭和48年10月21日(日)

いよいよ今日から第三週の芝居に入った。今度はようやく田中角栄タイプから離れて紙芝居屋になれた。ジロー君と一緒にやるのだが、今日の初日の第一回目はまぁまぁうまくいったのだが、二回目はまるでだめだった。まだまだ修行が足りん。頑張らなくては。でも今日は嬉しかった。あの変な虫のいるぬいぐるみから解放され、スッキリした形で出られるのだから。それに今度の紙芝居屋もだいぶやり甲斐がありそうだし。とにかく、今の私は一刻も早く、私の態度、顔、行動を見て、あっ、君は役者だね、と言われるようになりたいのだ。自信を持ちたいのだ。人並みの演技者になりたいのだ。


ケンジ1973年昭和48年11月2日(金)

大変だ。昨日からなんと私は、風林火山という松竹演芸場にあるもう一つの時代劇劇団にも出演しているのだ。こちらの劇団は完全な座長芝居で年配の人がほとんどで、座員が8人という劇団であり、くるま座とは正反対の非常に堅い感じのする劇団だ。でも私はせっかくの機会であるから、無い力を振り絞って、持てる力よりも多く出すぐらいの意気でやりたい。またお声の掛かる時もあるように。よって今週の私は大変なのだ。


ケンジ1973年昭和48年11月7日(水)

あーあ、頑張らなくっちゃ!

風林火山の方の芝居にもようやく慣れて来て、いろいろ余裕も出てきたが、まだまだ舞台の上に立つと体が自由に動かない、これがいつになったら出来上がるか。私はそれを一日でも早めるよう努力せねばならぬのだ。

特に、今の風林火山さんの芝居に出ていて痛感するのは、私の出が終わって袖に引っ込む時、座長さん以下長老連がそこに腰掛けているのだが、その人たちの顔がいつも無表情で、私の演技について何の関心も示してないように見えるということだ。私にとっては、そういう表情が何か私をもうどうしようもないと思ってあきらめ、あきれているといった風に感じるのだ。まぁーこれは、私自身が自分の演技に対してまだ自信がないということの表れなのかもしれないが。とにかくそれを吹き飛ばすぐらい頑張らなくっちゃ!


ヒロト2022年令和4年5月4日(水)

300円とはいえ、お金をもらってプロとして毎日のようにお客さんの前で舞台に立つ。

しかも二十歳でしょ、羨ましいほどすごいよ。芝居は生き物、毎回違うのは当たり前。

出来で悩むのは真っ正面から芝居に向き合っている証拠、曲がりなりにも長年やってきたのでそのくらいはわかる。

風林火山のベテランたちがそうだとは言わないけれど、何回もやって慣れた型でやる予定調和的芝居なんか面白くもなんともないからね。「予定調和の芝居なんかくそ食らえ」は、山崎務さんがよく言っていた。

まだ始まったばかりのケンジの七転八倒、抜粋して楽しませてもらっちゃおう。


ケンジ1973年昭和48年11月16日(金)

今日の風林火山さんの芝居では、とうとう私にとって前代未聞、一世一代の失敗をやらかしてしまった。剣友会時代からもう何百回何千回となく着ている着物なのだが、今日その時、どうしたことか舞台でセリフをしゃべっている最中に、その帯がほどけて足元に落ちてきたのである。それも私が気付けばよし、気付きすらしなかったのである。全くの大失敗である。これでも剣友会上がりの役者のすることかと、我ながら恥ずかしさに耐えなかった。


ケンジ1973年昭和48年12月2日(日)

今回の芝居での私の役は、芝居の流れの中の一人として動くのではなく、流れを変えるが如く、全くかけ離れてたった一人で二、三分しゃべるのである。そう、ちょうど漫談なんです。私に漫談やれって言ってもそいつはまだ無理だわ。だって漫談専門にやってるプロがいるのに、二、三ヵ月しか芝居してない私がそう簡単に出来る訳がない。何しろ今日は芝居が終わった時は、みんなからメッタメタに言われ何もわからず沈んでしまったのだ。

しかしその後、ジロー君といろいろ激論を交わしているうちに何か心がほぐれてきていつもの私が戻ってきたのだ。それにしてもジロー君というのは、無頓着な話し方をするが、彼なりに他人のことを考えているのだと痛感した。表現の仕方を知らないというか、それだけ純粋なのだ。


ケンジ1973年昭和48年12月7日(金)

あーあ、明日はクラス会で、二回目の芝居を休んで行こうと思ったんだけど、みんなからよってたかって、何だ遊びで休むのか、芸人として演芸場に出てるのにそれじゃーなぁーてなてなこと言われて、気分悪くしてまで休むことはなかろうと、終わってからボチボチ行くことにした。


ケンジ1973年昭和48年12月8日(土)

今日は、北多摩高校2Cのクラス会で、二回目の舞台が終わってから即立川へと向かった。立川の会場に着いたのは七時半、始まって30分たったところだった。もうみんなほろ酔い加減でいい調子であった。去年会った時と全く変わっていなかった。女の子と話したり野郎と話したり、そして二次会の喫茶店と相成った。意外にも美人のオカさんに話しかけられたりして、私としては気分が良かった。


ケンジ1973年昭和48年12月11日(火)

今度の私の役は酔っぱらいと泥棒。二役である。私としては自分に合った役どころでやる気十分。

さて初日の今日、くるま座がトリなのだが、最後夜8時5分からの公演の途中で客がすべていなくなるという珍事が起きたのである。

この師走のくそ忙しい時、特に今年は物価高でインフレの噂も高い時であるので、客も夜8時過ぎまで笑っていられないのであろう。


ヒロト2022年令和4年5月4日(水)その2

そこで芝居、どうしたの?

止めたの?それともこのあいだまでよくあった、無観客でやったの?

最後のお客さんが出て行くのを見送っている舞台上の役者さんの表情、見ものだったろうなぁ。



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