NO63/浅草松竹演芸場 ジローさん登場

ヒロト2022年令和4年5月1日(日)

浅草松竹演芸場、調べてみたよ。

1944年に映画館を改装して始まって、1983年に閉館してる。軽演劇と落語以外のいわゆる色物芸人の活躍の場だったんだね。

軽演劇は、複数の劇団が交互に出演していたけれど、いつもトリはデン助劇団ということだったようだね。

テレビで劇場中継もやっていた。「デン助劇場」と「コント55号のなんでそうなるの」

よく見てたなあ。

舞台には有名な人もいっぱい出てたみたい。浅香光代、内海桂子好江、宮城まり子、五月みどり、財津一郎、伊東四郎etc.

市川俊夫さんという人が書いた小説「昭和48年浅草松竹演芸場」がある。

昭和48年?まさにケンジの日記のリアルタイムではありませんか!内容を見てみよう。著作権があるので書き写しではなく、要約していくよ。


昭和48年の9月、午後2時に浅草松竹演芸場の前に集合。デン助劇団が解散した後、新しい劇団を作ろうとメンバーが顔合わせをするためだ。集めたのは酒井俊先生、エノケン、シミキン、デン助などの台本を書いたレジェンド的作家だ。集められた役者は、アングラで活躍するも世間的には売れてない人、かなり個性的な面々だ。紅一点の女優も、後ろ姿100点、前から見ると50点という喜劇にはうってつけである。

先生もいらっしゃったので、顔合わせのために用意された演芸場の目の前にある映画館「常盤座」の一室に向かった。中に入ると座布団が置かれ、お茶菓子が用意されていた。みんなが座って落ち着いた時、

「失礼します!」と、デッカイ声でお茶を持った若者が二人入って来た。高校出たてみたいな顔をした、まるで垢抜けない、ダサい感じだ。

「尾崎二郎です!」

「栗原謙次です!」

声がデカイ二人だ。酒井先生は、「この二人は研究生だからうまく使ってくれ。」とおっしゃった。


とまぁ、こういう内容の書き出し。

出てきたね、栗原謙次!日記の昭和48年9月26日とピッタリだね。ケンジは大したことない連中って書いてるけど、かなり個性的みたいだよ。

事実は小説より奇なり、おっと上手いこと言うねぇ、とりあえず日記に戻ろう。


ケンジ1973年昭和48年9月27日(木)

どうもいつになっても目の調子が悪くてしょーがない。あんまり長く続くのでもうこのまま治らないのじゃーないか、と弱気になってくる。目にしょぼしょぼされたんじゃー気色悪くて憂うつで、どうもやる気が削がれちゃうのだ。治ってくれよ!だいたい私みたいに健全な生活を営んでいる者が、どうしてこんな“目”に会わねばならないのだ。

さて、今日は「くるま座」の稽古二日目、私としてはまぁーまぁーのできであった。しかしみんなもうまかった。というよりアドリブの芝居に慣れない者と慣れた者とでも言った方が妥当かもしれない。何か私にはまだひとつ壁があり、吹っ切れないものがあるように感じた。それで、私の全身をこめて演技するところまでもっていけないような気がするのだ。


ケンジ1973年昭和48年10月1日(月)

さて、今日は浅草演芸場での初日であった。まずまずのできであった。しかし、さすが場末の小劇場はせち辛い。今日などは月曜日とあって、客席は一階が約3分の1ぐらいやっと入っただけであったが、それでもプロとしてやらねばならない。またその数少ない客の中には酔っぱらいなどもいて、すこぶる無恥で卑劣なヤジを飛ばすのだ。そんな中でそれに動じず芝居をやっていかねばならないのだから、なるほど修行にはなる。私などはまだまだ発声からやらナァーアカン。ひと芝居終わるたんびにノドを痛くしているようだはだめだ。私は早くも第一の難関にぶつかった感じだ。これで数ヶ月後、いったい私はどうなっているんだろう。


ケンジ1973年昭和48年10月4日(木)

さて、今日は南千住のとある旅館に泊まっている。というのは明朝からここらへんの牛乳配達をやることにしたのだ。それも住み込みで。ところが、私の寝る住み込み用のアパートが10月を過ぎないと空かないというので、ひとまずこの旅館に泊まることになったのだ。でもちょっと変なのだ。さっきこの旅館の主人が、「ハイ、では部屋代八百円」ときて、私は払ったのだ。ちょっとびっくりしたが、ひとまず払ったのだ。しかし、このまま10月いっぱい八百円 づつ払うのだったら、とてもじゃない。私は明朝即牛乳屋の主人なりカミさんに言わなくっちゃ!しかしずいぶん手際が悪いね、まぁー手違いだとは思うが、もしそうでなかったら、私は即やめなくっちゃ!


ケンジ1973年昭和48年10月9日(火)

このところ何もかも順調で、牛乳配達などは、もう明朝からはたった一人で配ることになったほどだ。ただひとつうまく行ってないのは次の芝居の段取り。これが私にとって一番大事なことなのに、何故か乗らない。

それにこのところ、尾崎君と私をヤケに使うようになったことへの反発心も旺盛だ。別に先輩の忙しい時に手を貸してやるのがどうだこうだ言うのではなく、いくら先輩だからといって自分自身の、人間としての最低のモラルも怠り、すべて私らを使うというのが行き過ぎと思うと言いたいのだ。


ヒロト2022年令和4年5月3日(火)

尾崎二郎さん、いよいよ登場。

我らが母校、北多摩高校2年C組の仲間はよくクラス会を開いていたね。ケンジもよく参加した。そこで、ケンジがコンビを組んでコントをやっていたという話を聞いたことはあったけど、あまり多くは語らないのでそれ以上は聞かずにいた。

そして、ケンジの病気がわかり、一時帰宅療養している時に見舞いに行って、いろいろな話の中で二郎さんの名が出て来たんだよね。

俺は帰ってからスマホ検索して、姫路のじろりんさんのブログにたどり着いた。ケンジの名前がブログにあり、それでじろりんさんが出てきたみたい。奇跡だね。スマホ、すごい。そしてそこになんと、二郎さんと謙次君のコンビ写真が出て来たんだ!鳥肌が立った。

俺は、姫路のじろりんさんにアクセスしてツィッターで二郎さんと会話できるようになったのだ!ケンジの実情を伝えた。

ケンジにも教えた。二人は40年以上の時を経て、ケンジが亡くなる前に連絡を取り合うことができた。間に合って良かった!

姫路のじろりんさん(尾崎二郎さん)は、地元の姫路を拠点にギター一本抱えて歌手活動している。70歳メジャーデビューを目指している。素晴らしい。

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