NO55/ケンジと俺の波野久里子さん

ケンジ1973年昭和48年3月7日(水)

今日は万事上手くいった。私が、新橋演舞場昼の部の馬賊芸者という狂言で絡む、波野久里子さんという女優さんから帰りがけに声をかけられて、「今日は良かったです。どうもありがとう。」と言われ、非常に嬉しかった。

とにかく、クレームがつかなかったのは昨日今日だけで、一昨日まではいつも、「あの人、力を入れて引っ張り過ぎます。」と同じことを何回も注意されていたのだから、その嬉しさたるや、二年前、普通車の免許をとる時、実施試験を11回目でやっとパスした、スカッとした有頂天な気持ちに優るとも劣らないものであった。よかったねェー!明日からもこの調子で毎日毎日気合いを入れて、楽日まで絶対に頑張ろうと思う。


ケンジ1973年昭和48年3月14日(水)

今日は中日(なかび)であった。そして、私が何度もクレームをつけられた波野久里子さんから、中日の寸志をもらった。この時は嬉しかった。とにかくあれほど何回も失敗してようやくここまでこぎつけたのだから、その喜びもひとしおのものがある。そして今日は日本テレビ俳優養成所のプロデューサーに会いに行って来た。4月から入所OKということになった。それもすぐ研究科からである。6ヶ月間の基礎科は免除される訳なのだ。こいつも朗報だろう。


ケンジ1973年昭和48年3月26日(月)

今日は千秋楽であった。いろいろ楽しかったこの三月新派公演が終わった。掃除をしてから、みんなは何の気なしにあっさりと別れた。しかし、私の心には哀愁が深く刻み込まれた。思えば短い一ヶ月であった。芝居とはいえ何回となくオマタの大事なところを蹴飛ばされ、何度となく失敗もやった。でも無事済んで本当に良かった。私が絡んだ川口さん、波野さんに礼を言われた時には、もう嬉しくて心が震えた。特に川口さんの暖かい口調、波野さんの、わざわざ私らの楽屋まで来て、礼を述べていった寛大さに私は大きく尊敬心、愛の念を持った。


ヒロト2022年令和4年4月20日(水)

今さらだけどこれは日記なので、リアルタイムのリアルなことを記したいと思う。

プーの字のヤローのおかげでいろいろなものが値上がりした。バカヤロウ!俺の商売も例に漏れず、一番売れ筋の塩鮭を値上げせざるを得なくなった。プーの字のバカヤロウ!

スーパーのものより少し厚く切って、二切れで580円で売っていい感じだったんだ。でも680円にしなくちゃいけなくなって、全然売れなくなっちゃったんだ。プーの字のバカヤロウ!値上げしないために薄く切るのはいやだった。旨ければ客は戻る!しばらくの辛抱だと腹をくくっていたが、商売は待ってくれない。そこで俺は考えた。薄く切って前と同じ値段にするのではなく、さらに薄く切って安く売ってやろうじゃないか!500円でどうだ!やっぱり高くても厚切りの方がいい人もいるだろうし、ちっちゃくても安い方がいいという人がいるかどうか、見てやろうじゃないか。なんか面白くなってきたぜ!

それにしても、プーの字はバカヤロウだ!!

では、いつものように昔の話をしよう。

波野久里子さん、ケンジが愛の念を持ったのも無理はないね、久里子さん28歳だもの。俺が舞台で久里子さんと一緒になったのは、40歳の頃、久里子さんは47、8歳、勿論綺麗だったけど、もう大御所の風格があった。

「女たちの忠臣蔵」、何回も再演されているけど、この時は帝国劇場公演だったと思う。

俺の役は、序幕で山口崇さんを襲うが返り討ちにされる間者。女郎に身を落とした波野久里子さんを痛めつける郭の男衆。そして、討ち入り後江戸の町を行進する四十七士のうちの一人。の三役。

まず幕開け、川沿いの土手のセット、川舟がスーっと舞台に現れる。乗っているのは俺だ!黒装束の忍者のよう。ヒラリと舟から飛び降り、辺りを伺いながら舞台上を走る。山口崇さん登場、何奴!と立ち回りになる。かっこよく?やり合って、ついにやられて川へドボン!今気が付いたんだけど、あの帝国劇場の幕開けの舞台に、数秒間と言えども俺たったひとりで立っていたんだ。なんか今になって緊張してきた。

波野久里子さんは、浅野家家中の人の姉で女郎に身を落として金を得、討ち入りを手助けしている。討ち入ったと聞き、郭を抜け出して弟を一目見ようとするが、郭の男衆に捕まって痛めつけられる。痛めつけてるのが俺。役ですから。

そして、急いで早替わり、四十七士の一人になって、紙ふぶきの雪の中を舞台に設けられた大橋を渡って行く。本当に四十七人と、槍の先に括り付けられた血が滲んだ白い布にくるまれた吉良上野介の首が行進する。俺は最後の方で、頭に血染めのさらしを巻き、片足を引摺りながら行進した。行進の最初から最後まで、帝国劇場満席のお客さんの拍手が止まない。自然と涙が滲んでくるほど気持ちがいいもんだ。演出の石井ふく子さんには、

「お前は中村勘助だからそのつもりで歩け」って言われたのでそのつもりで歩いたけど、どんなつもり?

中村勘助正辰(まさとき)46歳

馬廻り祐筆頭役で100石禄り裏門隊として討ち入り。

実は、中日前に幕開けの立ち回りで右足ふくらはぎの筋肉 断裂、全治2週間、やっちゃったんだ。残念、若駒の人に代わってもらった。でもこれが本当の怪我の功名、引摺った足で郭の男衆をやったら逆に迫力感じると久里子さんに言われ、四十七士の雪中行進では、「リアリティーがあって涙が出たわ」って見物の町人役の女の子に褒められた。リアルに痛かったんだけどね。

そんなこんなで、波野久里子さんには結構気に入られて、楽屋に呼ばれてお菓子をご馳走になったりした。また、久里子さんのお世話をする人たちと一緒に食事会にも呼ばれた。

高級そうな和食屋の個室和室、久里子さんも入れて6、7人だったと思う。テーブルの上に卓上コンロが2つ、大きな土鍋がそれぞれ乗せられた。中身はだし汁に浸かった大きな鯛、他には何も入っていない。鯛だけ?

グツグツなったら火を弱め、鍋奉行の人が慣れた手つきで鯛を取り分けていく。ポン酢でいただく。旨い!けど鯛だけ?

ひとしきり食べて、鍋奉行が今度は骨を分解し始めた。「あった!鯛の鯛、あった!」

小さなお皿に乗せてみんなで回し見する。

なるほど、魚の形をしている、そう言われれば鯛の形に似ていなくはない。久里子さんが説明してくれた。

「江戸の時代から御大尽や花柳界のあいだで流行ったお遊びなの。鯛の骨からよく探すと鯛の形に似た骨が出てくるの。おめでたい鯛からまた鯛が出てきた。鯛中鯛と言って、見つかるととても縁起がいいものなのよ。焼くと見つかりにくくなるのでこうやって煮るの。」

今調べてみたら、

硬骨魚類の骨の一部、胸ビレを動かすための骨で、肩甲骨と烏口骨が繋がったもの。骨格上、一匹から左右一対の2個取れる。

鯵などにもあるが鯵などには似ず、皆鯛の形をしている。との事。

鍋の中身は、それからたっぷりの野菜と、豪華な魚介類が足されて、大変美味しくいただきました。締めの雑炊、めっちゃ旨かった。

「これ、縁起がいいから持っていなさい。」

って、久里子さんに鯛の鯛をいただいたけど、すぐどっかへいっちゃった。

久里子さん、ケンジも俺もお世話になりました。ありがとうございます。

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