NO44/山崎努さんとの夜

ケンジ1972年昭和47年5月23日(火)

今夜はまたまたキタジマさんの自慢話に耳を傾けている。その自慢話とは、先生との息が合っているとかなんとかいうことだ。主に、

「先生と息の合うのは40年間弟子をして来たこのオレしかいない。」というふうなことが軸になっている。私としても毎晩同じような話を面白そうな顔をして聞くのはしんどい、まぁーそれもあと五日だと思えばよろこばしからずやだ。とにかく今回は怒られもしたが、いろいろ勉強になった。

ことに、右太衛門先生の大見得には、他人事ながら私の体の中の血潮まで騒いでくるのだ。先生が大見得を切って、絡んでいる私らと共に、大観衆から大拍手を受ける。その気持ちのいいこと、まさに役者冥利に尽きるというヤツだ。気持ちいーい!とにかく右太衛門先生の格好がいい。様になりきっているというヤツだ。


ケンジ1972年昭和47年5月28日(日)

ハッーーーーーー!終わったァー!

ついに、五月公演の幕は閉じられた。苦しいと言えば苦の骨頂の生活であった。また、人生のプラスになったと言えば、これまた私にとって大きな自信と確信を得ることができた大きな前進であった。

しかし、右太衛門先生にキタジマさんにタカスギさんに、毎日毎日何十回となく怒られたが、それも今夜右太衛門先生と一緒に八助という料理屋で同席して、

「葵!しっかりやれよぉー」とハッパをかけられ、スーッと不快感を吹き飛ばされた。よかったよかった。

帰り道は一人、コウコウと照り輝く満月に祝福されながら、身も心も生まれ変わったように軽い気持ちで、久方振りに大声で歌を唄いながら、肩で風を切って歩いて来た。失敗も多かったけれど、今日も失敗したけれど、一ヶ月間務めた。これで私も、大内剣友会のみんなに、両親に、その他知っている人全部に面目が立った。明日からは、また多くの面で一生懸命やりたい。ヤッタルデェー!


ヒロト2022年令和4年 3月31日(木)

良かったね、ご苦労様。

それはそうなんだけど、気になることがあります。右太衛門さんが、「葵、、、」って呼んでるよね、何これ?名前変えたの?葵なんとか?それともなんとか葵?もしかして葵一文字?「徹玉吾朗」じゃなかったの?誰に確かめたらいいんだろう、それは後で考えよう。個人的には、葵なんとかにしても、なんとか葵にしても、「徹玉吾朗」よりはいいと思うよ。「葵」だけっていうのも今っぽくていいかもね。

市川右太衛門さんと心が通じ合ったんだね。人の大、小なんて言ってはいけないんだろうけど、自分が尊敬する人と通じ合えた時は心が震えるよね。そうだ、俺の取って置きも聞いてくれ。

新国立劇場こけら落し公演「リア王」山崎務主演の舞台に参加した時のこと。山崎さん62歳、俺46歳。

千秋楽の幕も降り、あとはお決まりの打ち上げ、渡辺いっけいさんや余貴美子さん、まだお元気で美しい范文雀さんもいる。みんなまた明日公演があるみたいに、芝居のことを熱く語り合っている。一次会が終わり、大多数の人が二次会にも参加するところを、自分は電車が無くなるので帰りますと、山崎さんに挨拶に行った。(みんな、山崎のことを山さんと呼んでいるので、これから山さんと呼ぶね。)すると山さんは、又一緒にタクシーで帰ればいいじゃないかと言う。実は引っ越す前は都内でお互い割と近い所に住んでいたので、以前別の芝居で一緒の時は、タクシーに乗せてもらったことがあったんだ。ちょっと遠くへ引っ越したんです、と答えた俺は酒の勢いも借りて、大胆なお願いをした。我ながら良くやったと思う。それは、

「じゃ山さん、泊めてください。」って言っちゃった。山さんは、

「いいよ、今家に電話しとく。」あっさりOK。やったぁと思った瞬間、いや待てよ、あの無駄なことはしゃべらないストイックな感じの山さんと、ふたりきりで何話したらいいんだ?とちょっと気が重くなった。でも、二次会で飲んでいるうちにそんなことは忘れていった。

そして帰りのタクシー、ふたりとも酔っていて話をしたのか寝ていたのか、よく覚えていないけど、山さんのお宅に着いてピンポーン、玄関のドアが開き、タカラジェンヌだった奥さんが笑顔で迎えてくれた。そりゃ、もうおばちゃんだけど可愛らしくて優しい感じ。通された部屋は、12畳ぐらいかなぁ広い応接間だった。壁はコンクリート打ちっぱなし、ソファーなど家具は高そうだけどモノトーンでシンプル、いかにも山さんって感じ。あったかそうな羽毛布団が、フローリングの床に敷いてある。

「どうせ、まだ飲むんでしょ。おでんしかないけど食べてね。」と、奥さんがビールと、鍋ごとのおでんに食器を用意してくれて、

「私はもう寝るけど、ゆっくりやってね。」

よくは覚えてないけど、だいたいこんな感じだったと思う。もう深夜2時とかだったっけ。何を話したらいいのかなんて心配は必要なかった。いろいろ話したよ。あの山さんが、静かにゆっくりだけどよくしゃべってくれた。

山さんは母子家庭だったんだって。8歳の時に多分お父さんが体を壊して、戦時中ながら家に帰ってきた。山さんはこの時、生まれて初めての演技をしたんだって。子ども心に、ここはやっぱり喜ばなくちゃいけないところなんだろうと思い、久しぶりに帰ってきた父親を喜ぶ演技をしたら、どうやら父親にはそれを見抜かれてたみたいなんだって。、お父さんは次の年亡くなって、あとは貧乏生活、高校は定時制、新聞配達などアルバイトで学校はあまり行かなかったらしい。

あんまり詳しく書くと山さんに怒られるかな。いい加減なことも書けないので、少し整理して、調べられるところは調べて、また書きます。


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