NO43/千日デパート火事
ケンジ1972年昭和47年5月14日(日)
昨夜は何と驚き、私のいる中座のすぐ裏の通りにある千日デパートというところで、火事があったのである。それも死者120人というから大変なもの。こんな大火事があったのに、私らはニュース速報を見るまで知らなかったのだ。世の中とはままならないとつくづく感じた。それに私の友達の一人が、中座から帰る途中、その現場を見たというのだからまた驚き。それによると、人がモクモク立ち上る窓から飛び降りて、即死したところを見てしまったというのだ。とにかく七階建てぐらいのデパートで120人も死ぬなんて、どうしたことだろう。以上!
ヒロト2022年令和4年3月30日(水)
この当時の俺はまだ公務員で、大阪は行ったことの無い遠い所だったけど、千日デパートという名前は記憶にこびりついているよ。
ちょっと調べてみたので補足するね。
千日デパート火災は、1972年5月13日深夜に起こった。大阪市南区の千日前のデパート、
死者118名、負傷者81名。原因は裁判所、消防署等の判断は「不明」ということだが、「タバコの不始末」B1の灰皿が火元という説もあった。
デパートは夜9時閉店だったが、7階にはキャバレーがあり、ここだけ開店していた。
火災発生時に7階への連絡がなく、多くの人が逃げ遅れた。飛び降りて亡くなった人も多く、中には、電線に引っ掛かって助かった人もいるという。
のちに、ビルは建て直され、ダイエー百貨店の「プランタンなんば」、そして現在はビックカメラになっているらしい。
この「プランタンなんば」時代に心霊現象が、まことしやかに噂になった。自分としてはあまり趣味ではないけど、せっかく見つけたので記しておくね。
その1 閉店後、店舗に残り作業していると
「火災発生、火災発生」という館内放送が流れた。驚いたアルバイト従業員が先輩に聞くと、決まった時間になると流れるという。その内容は、火災発生のアナウンスだけではなく、人の泣き声や助けを求める声もする。
そしてその決まった時間というのは、火災が起きた時間だった。
その2 ある店のアルバイト従業員と店長が、仕事が長引き閉店時間を大きく上回ってしまった。疲れきった二人が帰ろうと従業員用エレベーターに向かうが、いつもならそこにあるはずのエレベーターになかなかたどり着けない。同じ階の人たちに聞いて回り、アルバイト従業員がエレベーターを見つけた時に、店長の姿がない。おかしいなと思いつつも、先に帰ったのかもしれないとエレベーターに乗り、そのまま帰宅した。
翌日出勤すると店は大騒ぎ、店長が行方不明になっていたのだ。
考えてみると、あんな時間にエレベーターの場所を聞いて回れるほどの人たちがいるわけはない。あの人たちはいったい誰だったのだろう。
その3 8階にある店だけが、夜遅くまで営業している。他の階の店はすべて閉まっている。その店も閉店時間になり、スタッフたちはかたずけを終え、エレベーターに乗った。
すると、エレベーターが途中の階で止まってしまい、開ボタンを押してもドアが開かない。何か遠くの方から何人もの声が聞こえて来た。他の階にはもう誰もいないはず。その声がだんだん近づいて来る。「助けてぇ」「熱い」「苦しい」そういった声が重なりあってどんどん大きくなる。ついにドアの前まで来た!
とその時、エレベーターは動き出しなんとか1階に着き、ドアは開いた。
現在のビックカメラ、大丈夫なのかなぁ。
あの事件から50年。霊のみなさんたちも
50年経ってるから、然るべきところにおさまることができていたらいいね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます