NO34/浅間山荘
ケンジ1972年昭和47年2月16日(水)
今日もまいったまいった。擬斗の練習で桜庭道場へ行ったのだが、ちょっと立ち回りやらされれば動きが鈍くて怒られる、タイミングがずれればまた怒られる。まさに私の動きの鈍さと格好の悪さというのは救いようがないと言わねばなるまい。とにかく格好が悪いのだ。たった一人で練習やっていた方がよっぽどうまくできる。それにはたった一人だと落ち着いてできる、相手がいた方が難しいに決まっている、ということもあろうが。とにかく私のはまずい。もっと練習しなくては!
さて、練習の時は多少厳しくとも、そんなのは忍耐の二文字のみ、それが終われば諸先輩方すべていい人ばかりだ。私などはこのところおごってもらいどうしである。
ケンジ1972年昭和47年2月28日(月)
今日は一日中と言ってもいい程テレビとにらめっこをしていた。ただほんの合間合間に裏の川原へ行って、擬斗の練習をしたに過ぎなかった。外は久しぶりにスカッと明るい太陽がサンサンと輝く好天だったのに。
それは、今日があの浅間山荘連合赤軍派人質籠城10日間の幕が閉じるという、まさに大詰めだったからである。
まず今朝9時、とうとう人質泰子さんを救出するため、千五百人もの機動隊が浅間山荘を強行破壊、強行救出という手段に踏み切ったのである。その凄まじい破壊攻撃たるや、まさに水地獄、ガス地獄の感があった。
とにかく、デッカイ鉄の塊で壁を破っては、そこに放水の矢が突入、続いて催涙ガスがバンバン打ち込まれる。まさにスゴいの一言。
しかしながら、敵も去るもの、「あんな中で、よくもまぁーまだ入っていられるものだ」と思う程しぶとい。その忍耐たるや、その地獄の責め苦に勝るものがある。とにかく、あの連中の行動は完全に常人の予測を絶する、超人的行為である。
その凄まじさのために、私はとうとう一日中テレビを見させられたのである。
ヒロト2022年令和4年3月17日(木)
当時の光景が生々しくよみがえる。日記の素晴らしいところだね。ニュース性があるよね。相撲のこと、オリンピック、プロ野球、高校野球、当時の様子をよみがえさせる魔法みたいだよ。ありがとう、ケンジ。
浅間山荘事件、2月28日月曜日ってことは、俺は仕事の筈だけどずっと見ていた気がする。職場にテレビ、あったかなぁ、とにかくみんなテレビに釘付けだった。カップヌードルを機動隊員が食べている映像もあったと思う。
過激派と言えば、職場にもいたんだよ。
東京都公務員として働き出した事務所に、部署は違うけど自分より少し年上のおとなしそうな女性がいたんだ。でも、いつの間にか姿を見かけなくなった。あまり接点のない人だったので、どうしたのか誰かに聞くこともなく、時は過ぎていった。当時は、あちこちでいわゆる過激派と言われる人たちが、反体制を掲げて活動、機動隊と衝突していた。
成田新国際空港、建設反対、三里塚闘争、団結小屋と呼ばれる塔や建物を、機動隊がそれこそ放水や催涙彈で攻撃して、過激派を排除、逮捕するというニュース映像もよく目にした。そこで最後まで抵抗して逮捕されたのが、職場でいつの間にかいなくなったおとなしそうな女性だったんだよ。
上司たちは隠したかっただろうけど、職場でものすごい話題になった。彼女を支持する活動家の人も二人いたんだ。
でも、時と社会情勢は否応なしに変わって行く。
2年ぐらい経ったのかなぁ、ある日、その彼女が赤ちゃんを抱っこして職場に来たんだ。
にこやかに優しそうな笑顔で、元同僚たちと談笑している。とても、ヘルメット被って、タオルで顔隠して、機動隊にゲバ棒ふるっていたようには見えない。
同じ係の先輩が教えてくれた。公務員は起訴されても、有罪になるまでは辞めさせられないし、給料も6割か7割出るんだ、って。裁判はまだ結審してないみたい。今日は、赤ちゃんをみんなに見せるのもかねて、給料を受け取りに来たんだよ、だって。
あの赤ちゃんとあの人、その後穏やかに暮らせたかなぁ。
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