NO25/ひまわり本科 マヤありがとう

ケンジ1971年昭和46年11月10日(水)

今日は初めての本科の授業。

まず、15分も前に行っていつもの教室を覗いてみて驚いたことには、もう本科の人々は半数ぐらい来ていて椅子や机を並べてあった。次にその机の多いこと、後でタケナカ先生がオッシャッタことには、なんでも全部で63人いるのだという。それでも専科の人たちが仕事に行っているので、まだ今日のところは30何人来ただけですんだのだということだ。そしてもう一つ、本科、専科のクラスは女性が多い、今日来た人だけでも10人ぐらいは女性だった。もっともこの数は予科の時の5人ぐらいと比較したもので、絶対数はやはり男の方が二倍ぐらいいるようだ。

やはり本科、専科ともなると相当な人もいる。でも大したことねーよーなのもいる。また、一段と先生のエコひいきが目立ってくる。少なくとも私にはそう思える。特にかわいい女の子にはひいきするようだ。しかし、やはり要は実力だ。実力さえあればどんとこいである。でもやはりちょっと気になる。そこで「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」が私の心に浮かんでくる。だって、人間てーのはスーと過ごせたらろくな人間にならないんだもの。だから私は決して先生を罵倒したり、悪く言ったりする連中などと一緒に話に乗らない。でもやっぱり気になる。でも、私はもっともっと努力し、試練し、励まねばならない。


ケンジ1971年昭和46年11月13日(土)

今夜は無性に空しい。空虚だ!自己嫌悪を感ずる!こんなんじゃいけない、ここらでオツムのねじを締め直さなければいけない!そんなことを普段より痛切に切迫して感じるのである。というのは、今日の「ひまわり」の授業で、イシバシ先生から痛烈に言われたことが、私のたるみきった心にジーンと響いたこと。イシバシ先生というのは、予科の時映画概論を教えてくださっていた先生で、すごくきついことを言う先生なのだ。

今日は、「人生は長いマラソンだ。一度しかない。若いうちにうんと訓練しきたえておかなければ、必ず最後まで続かない。人間が本当に生きているという時間を大切にし、自己中心的でもいいから自己を拡充すること。それには当然他人、外物に対して細心の心使いを払わねばならぬ。」といったようなことをわかりやすく、それでいて人の心を突き刺すような鋭い言い方で論じたのである。

これには私も少々自己反省した。

そして、その自己反省によって今の私の心の状態が、「何とふわふわと落ち着かないことか」、「外見だけ飾り気を使い、中身を考えない愚か者だろう」ということを悟ったのである。具体的には、今私はろくに勉強もせず、ヨリキさんとか、マツカワさんとか、何々さんとか、そんな女性に対する刹那的な動物的感情の甘さに溺れているのである。

しかし、問題はあくまで中身、能力の開発の努力なくしてどうして人間と言えよう。中身が濃くなってはじめて外、外見に現れるものなのだから!


ヒロト2022年令和 4年3月4日(金)

イシバシ先生

ちょっとなに言ってっかわかんねぇけど、

ケンジ君を反省させていただいてありがとうございました。

ケンジ、人を好きになる感覚も表現者として大事なことだと思うよ。まっ、課外授業ってとこかな?

ここで、俺の養成所の話も書こうかな。

前にも書いたけど、公務員生活、悪くはなかったよ。自分で稼いで、海、山、夜の街、大学、目一杯エンジョイしてた。

時々出張もある。大抵は、東京駅近くにあった当時の都庁、各階天井が低く、書類で埋まっている感じで雑然としていたな。都庁だから、働いている人は何十人いや何百人いる。

すると俺はいつも思うんだ。(今考えると、自分勝手な失礼なことってわかるけどね。)

10年後の俺があそこにいる。

20年後の俺もあそこにいるぞ。

ほら、30年後はあれか。

40年後は、あの奥にいるあれか。

50年後はもういないよね。

なんか面白くない。違う生き方が俺にはあるんじゃないか。

その思いは、最初は感じる程度で小さかったけど、だんだんと大きくなって来ちゃったんだ。別の人生を歩きたい、そう考えるまでになった。

とはいっても、何をしていいのかわからない。悩みながらも遊んでた。

そこで、お待たせいたしました。別に待ってない?まっ、それはそれとして、運命の出会い、運命の再会ってやつにいこうか。

二十歳過ぎに、四輪の安定はキライだ、俺は単車に乗る、とかなんとか言っちゃって、自動二輪の免許を取って、HONDA CB350CCに跨がっていた。歩いて10分の職場にも乗って行った。馬鹿だね。

それでも夏は海に行った。特に俺は葉山の一色海岸が好きだった。岩場もあり、海の家などなく、自然の感じがいい。

その日も、ジリジリと夏の太陽が照りつける中、ひとりの俺は、一色海岸から隣の森戸海岸に出張してみた、波打ち際を、水着のおネエちゃんをさりげなく目の端に捕らえながら、ぷらぷら歩いた。

いやぁ、結構ナイスなおネエちゃんが多いなぁなんて鼻の下がのびのびになっている時、黒いビキニのちょっと小柄だけどナイスバディのおネエちゃんが、こっちの方を見てニコニコしてる。俺?まさか?あれっ!その丸顔は高校の同級生マヤではないの?でもちょっと待って、マヤは小さな男の子とビーチボールで遊んでる。子ども?マヤは言った。

「親戚と遊びに来てるの。かわいいでしょ。」

そうだよね。卒業して2年あまり、男の子はどう見ても5、6歳、ホッとした。

黒ビキニのマヤとバミューダパンツの俺は、砂浜に座って、時々親戚の男の子に邪魔されながら、いろいろ卒業後のことなど夢中で話をした。なんか思い出すなぁ、高校の時に行った伊豆のキャンプを。

このキャンプの様子は、俺が書いた名小説

「昭和ブルー高校編」で詳しく書いてある。あくまで創作ではあるけど、このマヤも登場しているので、まだ読んでいない方は是非お読みください。あれ?誰に言ってんだろうね、日記なのに、、、

それはともかく、マヤとは今度は服を着て、地元の吉祥寺あたりでまた会おうと約束した。

そして後日、約束通り、場所はよく覚えていないけど、マヤと親戚の男の子なしにふたりで話をした。マヤは高校の時から、しゃべり方はちょっとブリっ子ぽいんだけど、内容ははっきりものを言う子で、この日も、

「ヒロト、公務員似合わないわよ。そんなことやってていいの?なんか他にやりたいことあるでしょ。」

相当、はっきり言われた。俺には、人前に出るようなことが合っていると言うのだ。

そして早速数日後、アナウンスアカデミーの先生と個人的に合わせてくれたんだ。現役のアナウンサーらしい。

マヤは、そこを卒業して、FMのDJをしている。現役のプロだぜ!

先生といろいろ話してみてこう言われた。

「あなたは、しゃべりのプロになるよりも、演劇、俳優を目指した方がいいかもしれない。私の知っている小さな俳優養成所で良ければ紹介するわよ。基礎からしっかり鍛えてくれる。新劇の先生がやっている誠実なところよ。」

あっ、ここでラインが入った。ケンジを励ます為に立ち上げた高校の同級生のクラスライン、大野からだ。2011年に亡くなったスティーブジョブ氏の亡くなる直前の言葉、要約すると、

私が築き上げて来た富は、死ぬ際には持って行けない。持って行けるのは、楽しい思い出だけ。周りの人、そして自分を大切にして。

やりたいことをやり、行きたいところに行って、夢を大事に。

大野、タイムリー!これなんだ。

アナウンスアカデミーの先生に紹介してもらった養成所から、俺の俳優人生が始まるんだけど、やって良かった!

成功という二文字には届かなかったけど、貴重な体験、楽しい出来事、日本国内だけどいろいろな場所に行った。たくさんのものすごく楽しい思い出がある。

マヤには、マジで、本当に感謝してます。

そして今、こうしてケンジと時空を超えて日記を交換している。

楽しいぞ、人生、INGだ!

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