NO16/運転免許3とアベちゃん

ケンジ1971年昭和46年6月7日(月)

今日もまたオッコチタ、もーこうなりゃオッコチにも慣れてしまった。しかし今日は明るい材料、というよりむしろ収穫があった。今日の失敗はいつものとは違い、本当のミス、ペーパーテストで言えばケアレスミスであった。方向変換の時、もーバッチリグーに入ったのであるが、入ったと思い気を抜いたのがまずかった。後ろに注意を払うのを忘れた。ガチャガチャといやな音がしたかと思うと、もうそれでおしまい、本当にやるせないことよ。また明日挑戦の予定。


ケンジ1971年昭和46年6月8日(火)

今日もダメ。帰りの車中の何と空しかったことか。この私の心の無情感を車中のどれだけの人が見抜いたか、そんな人はおそらく一人もいまい。それが当然なのだ。この広い社会のある一時、ある車中で偶然同じ車両に乗った人間同士が、どうしてそんな人の心を思いやることがあろう。

ある家族、友達同士のグループ、その他、一人一人黙って座って、あるいはただ車外の景色を茫然と眺めている人々。私の空しさなど、彼らの心に感ずる筈もないのだ。それなのに、ふと私はそういう車中がまた空しくなる。大声で数人のグループが話している。親子らしい三人連れが、カメラで車中を写し回っている。それらの顔、顔、顔、楽しそうな笑いが見える。親しそうな動きが見える。

そんな中で、ただひとり、魂の抜けたようなこの私。電車は外の景色を流しながら、ただガタゴト音をたてて進んで行く。ただ空しさを運び。


ヒロト2022年令和4年2月21日(月)

ケンジの空しさを浮かべた表情が見えてくるようです。日常の中に、ふと感じる孤独感、

それが文学を産み、音楽を産み、絵画を産み、あらゆる芸術を産み出すのですね。

運転免許試験に何回も落ちること、それが名文につながること、知りました。


ケンジ1971年昭和46年6月9日(水)

今日も残念でした。今日のはまったくのハプニング、オットまたまたハプニング、万年筆のインクが切れた。さてそのハプニングとは、今日は外周を一周したら、いつもの硬さはほぐれリラックスして運転できるようになっていた。ところがあー、あの一瞬、踏切を渡り終わり、私は右折しようとしていた。左に大型自動車が止まっていた。私はそれをいいことに、さっと右折にかかった。とその時、横にいた試験官がすかさず急ブレーキ、あーもーそれで何もかもおしまい。止まっている大型自動車の陰から、もう一台の大型自動車が出てきたのであった。


ケンジ1971年昭和46年6月10日(木)

今日はまたまた晴れた。梅雨だというのに何とありがたいことか。しかし試験の方はまたまたオチタ。今日は私のタルミが原因だった。最後までしっかりやっていれば、完全に合格だったのである。それが、横の試験官が途中で、あまりにゴタゴタとチェックするので、てっきりまたオッコチと思い、ちょっと気を抜いたのがまずかった。不合格は最後の停止線のところで決まった。その時エンスト。黄色の棒の所でぴしゃりと止まれなかったのである。まったく駄目な男。

さて、それはそうと、今日の朝、立川駅で東京行きを待っている時、めずらしい人に会った。それは高校で同級だったコミヤマさんである。私はあまりに変わったコミヤマさんに気付かなかった。しかし、ちょっと考えて、どこかで見たことがある顔だと思い、もう一度振り返って見ると、案の定コミヤマさんだったのである。まったく女性というのは私服を着て、一時でも社会に出ると、まったく違って見えるものなのだなーとつくづく思った。コミヤマさんは、そんな私を見て、明るい微笑みを浮かべていた。

そして帰り、また立川駅で同じく同級だったコバヤシに会った。久しぶりに会ったので、駅を出てデパートの屋上で雑談の花を咲かせた。そうそう、試験場でも同級だったアベと会ったのだ。今日はよく会う日だった。


ケンジ1971年昭和46年6月11日(金)

ナケテーナケテーナケター涙が止まらなーい、今日もダメ。今日のは、自分の技術の未熟さを棚に上げて言うのではないが、とにかく車がまずかった。その車の名は、ジャーン、グロリア、クソー、グロリアめ、とにかく今日のアクセルには手を、いや、足をやいた。ちょっとやっただけではまったく動かず、それから少しでも踏めば、急にブルルーンと勢いよく飛び出してしまうのである。それで今日のはダメ。それに、いつもの調子でシートを合わせて出発してみたところが、何とハンドルにももがつかえてしまって、ハンドルが思うように回らない。こうなったら試験官に頼んでいっちょ止めてまた合わせ直そう、と思ったが、またまた今日の試験官が若造で嫌そうなやつ、若造に限って変に威張りさらすのである。それであきらめてそのまま行ったが、やはりそんな訳で今日はまったくダメ。クランクなどで車体をぶつけてしまい、本当、もう最低。アーアやんなっちゃった。


1971年昭和46年6月14日(月)

ケンジ今日もダメ。何だかだんだん悪くなってくる感じ。まったくヤな感じ。

でも午後、貸しコースで練習をやり、だいぶ自信を取り戻した。しかしどうしてこう私はドジなのか。あまり何回も行くのでダレて来たのか。それにしてもそろそろ合格も潮時である。今日はクランクで乗り上げてしまったのである。

さて、今日は「劇団ひまわり」とやらの出演研究生募集というのに応募してみた。審査されるらしい。詳しいことはわからず、金やなんかも払うのかどうかもわからない。しかし、もしあまり金のかかることのようだったら、やる気はない。まーそれもこれからのお楽しみ。人生いつでも楽しみがあるというのはいいものだ。金がかからなければいいが。


ヒロト2022年令和4年2月21日(月)その 2

えっ!劇団ひまわり?

どこをどうひねってこれが出て来たの?

落語家になりたいというぐらいだから、芸能ごとに興味があるってことかな。

でも、いいねいいね、ますます面白くなりそう。頑張ってね。

俺もゆくゆく俳優を目指すのだけど、この頃は、公務員のなりたて。まだまだ真面目を装っています。研修も終わって配属されたところは何と、我々が通っていた高校の隣の隣、警視庁第八方面本部を挟んだ東側の多摩陸運局敷地内、多摩自動車税事務所。

高校三年間通った道を、また歩いてます。


ケンジ1971年昭和46年6月15日(火)

今日も昨日に引き続き、いつものように朝早く起きて、7時16分五日市発の電車に乗って試験場へ向かった。そこには、いつもと変わった気分は少しも感じられなかった、着いてすぐ、技能試験待合所へ行き、乗車号車と乗車番号を知らされた。私は12番だった。車は8号車のセドリック。そこでの一通りのいつもお決まりの説明を聞いて、3番と書いてある小屋へ行った。もちろんその前に用足しも忘れない。今日は今日で8回目だという、昨日親しくなった奴に会った。「あーあどうせ今日も落ちるんだろうな」てな見通しの暗そうなことを言っていた。私の方もそれほど期待はできなかった。私は11番の人が休みだったので自動的に11番目に回された。しかし、それでも終わりから3番目だった。しばらくして、その8回目の奴が4番目に乗り、だいぶ長い時間乗って帰ってきた。これは奴め、合格するな、と直感した。案の定奴は8回目で見事合格した。私はその今にもこぼれそうな笑顔を見て、本当に羨ましかった。そいつはしばらく私らの小屋で話をしていたが、技能試験待合所の方へ行った。合格者はそこで待つことになっているからだ。

そしてとうとう私の番が回って来た。私の前のおじさんも合格していた。こいつは私も受からなくては、そう心で思った。私の緊張はいつもと変わらなかった。外周を回り、クランクを危うく通り抜け、方向転換をバッチリ決め、S字をスイスイ通り、踏切、坂道発進もスムーズに終えた。ふと考えてみても「「まだ減点30点までにはだいぶあるな」と思った。「よし、このまま行けば大丈夫、もう少しだ」と思ったところ、だんだん不安になって来た。「あー最後で失敗したらどーしよう」しかし、それまでだった。

私の不安はすぐ消えた。いつもより落ち着いて終点に着いた。黄色の棒のところにかろうじて止まった。やった!試験官が、住所と生年月日を聞いて来た。私は喜びと、あまりにも急激にこみ上げて来た緊張のようなもののために、とっさに住所が頭に浮かばなかった。それでも何とかちょっと口ごもりながらも言えた。ドアを開いて車の外に出た。もうその時は、私らの小屋には一人も残っていなかった。ちょっと残念に思った。本当はみんなに見せびらかし、祝福されたかったのだが。しかし私が技能試験待合所に向かう途中、アベが迎えに来てくれた。その時、私は心の喜びをいっぱいに込めて、アベに「受かったー!」と叫んだ。私とアベの周りにはたくさんの見物人がいた。それらの人たちは、私が過去10回、不合格と書かれた申請書を片手に心に無念を噛みしめて、すごすごと走り抜けた場所に群がる、まったくの見物人たちだった。その人たちは今日もいつもと変わらなかった。さて、そこで話はアベに変わる。あいつは残念ながら、4回目の今日も不合格だった。私はそんなアベを励ましながら、技能試験待合所へ行った。中には、さっきの8回目の奴ともう一人、そいつと親しく話をしている22才だという若い奴がいた。アベとは11時半ごろ、「まーまた明日頑張れよ」と励まして別れた。残った三人、構造試験が終わり、免許証交付手続きの終わるまでずっと一緒にいた。ところで、その構造試験は噂に聞いていたよりも難しく、私ら三人をハラハラさせた。その試験が終わった後、答えを言い合ったのである。しかし何と三問ぐらいが三人とも答えが違うのである。これにはハラハラ、合格点は35点、四問間違えばもうダメである。私らはP M3時の発表を待った。不合格の者の名前が呼ばれ出した。ドキドキ、ハラハラ、どうなるか?ヤッタゼー!三人とも呼ばれず。三人とも合格。

帰り道、その嬉しい話題を胸に、その8回目の奴の750ccのバイクの後ろに乗り、三鷹駅まで送ってもらった。家がそっちだったからだ。今日のふたりはいいヤツだった。ことに8回目のヤツは!。


ヒロト2022年令和4年2月21日(月)その3

ヤッター!おめでとう!

ケンジの「自動車免許取得物語」無事、完結!長い旅路でした。どうしてこんな期待通りの活躍をしてくれるの?最高です。

ところで、アベちゃん、出て来たね。実はこの男は、俺の生涯の親友なんだ。自分もそうだけど名前が出てくると嬉しいもんだね。もっとも、出方にもよるだろうけどね。ケンジのお気に入りではない出方をした人はごめんなさい。これは日記なので勘弁してください。前に書いたけど、俺も自動二輪の試験に落ちた。アベちゃんは一発で受かって、憧れの自動二輪の免許は持っていたんだ。

ある時、多摩川の川原で、ヤマハのD T1というバイクに乗って、モトクロスの真似事をして遊んでいたんだ。アベちゃんが華麗にジャンプを決めたんだけど、着地に失敗、こけて腕に縫わなくてはいけないような怪我をして、病院に行かなくてはならない。でも、俺は免許持ってないので、アベちゃんが血を流しながら運転して、俺は後ろに乗って、アベちゃんにしがみついて病院に行った。っていうことがあった。

確かこれ、アベちゃんも読んでるんだよな。そこでもうひとつ。

我が名作「昭和ブルー」の登場人物の一人が、アベちゃんをモデルにして書かせてもらったこと、事後承諾でお願いします。


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