NO13/都庁 妹の手術
ケンジ1971年昭和46年4月5日(月)
お昼からちょっと裏の土提の上で、ぼんやりと春風にあたってみた。今日はまたまたカラリと晴れ渡った良い天気、緑なす若葉、若草の丈もだいぶ伸び、裏山の桜も見事に満開。
折からの暖かな春風にあおられながら、春の空気をいっぱいに身に受けた。ふと下の川原を見れば、二つに別れた小さな流れの、さらさら流れるせせらぎに、春の陽が反射して、何ともいい気分。ああ、私は空と若葉と山と、それが大好きだ。私は君たちといる時が一番安らぎを与えられる。これがどうして人間の醜い欲望などに侵されてたまるか、侵されるものか。人類がいくら進歩したところで、この自然には勝てっこない。地球が怒れば人類なんてひとたまりもないじゃーないか。宇宙が怒れば、もう何もかも終わりじゃないか。人一人ぐらいでグチャグチャ考えてどうなる。人間だって自然じゃないか。死ぬんじゃないか。私は何と幸せなんだろう、私にはお前という強え味方があるんだーー
ナ、ハッハッハッハッ
これから長い人生、私は生きて行きます、大自然の盛衰に従って。私は思うに、結局根本を言えば自然なのである。たかがその中で有名になるくらいは、爪のあか程のこともないわ、苦労なんて自然に比べたら小さい小さい。
ヒロト2022年令和4年2月16日(水)
18歳のケンジ、ひとり川岸に座り、受験の傷痕を癒す。自然は優しいね。特に、水の流れを見ているだけで、心が落ち着くよね。これが海辺だったら、寄せては返す波を見ながら、呆っとしているひととき。
だから人は、無性に川や海に行きたくなる時があるんだね。でも、どこでもいいってわけじゃない。やっぱりきれいでなくちゃね。
その点、ケンジは家のすぐ裏に清流があるなんて、ものすごく幸せなことだよ。
もっとも、受験失敗の身の今は、ちょっと家にも居づらいっていうのもあるんだろうな。俺も同じくだから、よくわかるよ。
でも俺はボーっとはしているけど、呆っとはしていられないんだ。
4月1日には、入都式、都庁初登庁、やっとこさネクタイを締め、母親が奮発して伊勢丹で新調した地味な背広に身を包み、あっ、そうそう、長く伸ばしていた髪を短くし、ちょいと七三に分けたりして出掛けたのです。
ケンジが川岸で人生についていろいろ考えている頃、俺は数週間、退屈な研修を受けていた。
ケンジ1971年昭和46年4月16日(金)
今日は久しぶりに青梅の後藤眼科へ行った。ひとつそこの待合室での出来事を話そう。
さて私がそこへ着いてしばらく経ってからのこと。私は、持って行った「雪国」にもちょっと読みあきて、それを閉じて目を休ませていた。すると70がらみのおじいさんが、のこのこと愛想よく入って来て、私の斜め前の席にこちら側を向いて座った。座るとすぐに、いやいや云々と、前に座っているおばあさんと話し始めた。たまにはこっちの方にも話しかけて来たようだったが、どうも私はいつものくせで、そういうことには取り合わなかった。するとそのうちに、そのおばあさんとの話が弾んで来たらしく、面白いことを言い出した。
「いやわたしはもう75だけんど、身体だけは丈夫だヨ、まあ、年寄りなんてーなー、もう今頃になればいつ死んでもいーよーなものだけんど、それもうまく死ねりゃーそれにこしたことはねー、しかしなかなかうまくは死ねねーもんだね。そういったところで、それならいつまでも生きていればいいか、というとそんな訳でもねー、おれらーみてーな年寄りが生きてりゃーもう邪魔に扱われるのが落ちだー、今の人とはもう話しが合わねんだから、もうどうしたってだめだよ。おれの友だちなんかさ、だいたい死んじゃって九人しかいやーしねー。だからおれも決してもう死ぬのなんか怖くねーよ。年寄りなんてーな、このぐれーになったら、さっさと死んだ方がいーんだよ。」などと、いやに現代風なことを言い出した。
それもまったく、一般に見られる老人のひがみったらしいところを少しも感じさせず、筋も通ったなかなかの口達者なおじいさんだった。私はそれを聞いてもっともだ、と思った。とにかく自ら、
「老人なんてーな70過ぎたらもう役に立たねんだーから、さっさと死ぬのが、誰からも恨まれず、誰にも迷惑をかけずにいられる最善の方法だ。」などと言うのだから大した人だ。老人には珍しい人だ。私はつくづくそう感じた。自ら、もう老人は食うだけのやっかい者で、何一つ話の合うこともないのだから、他人の迷惑にならない前に死ねのがいいと自覚し、自らの古いことをも自覚し、昔の若い者はこうだった、などという時代錯誤じみた反動的なことも言わず、「そういう時代に生まれたおれたちが悪いのよ、今の若い者はまたそれで現代の生き方があるのヨ。」と、きっぱり言ってのけるところなんぞは、まさに大物。私もこういう老人になりたいと思う。しかしもう一つ感心したことには、
「おれは古い人間だが、現代の人に対して、昔はこうだった、今の若いもんは~~というようなことはさっきも言ったように言わない、けどおれは、自分は現代の物なんかちっともいいとは思っちゃいねーよ。今は何かというと、やれ栄養があるからこれ食べろだの、早く出来てうまいからだのというが、おれはそんなものはいっさい食わねーよ。おれは栄養のないものを食ってきただろうが、こうして75まで生きたんだ。それだけ生きりゃー栄養のねーもので結構だ!」と淡白に言ってのけた。決して太ってはいない、平凡な老人だった。
ヒロト2022年令和4年2月17日(木)
このじいさん、落語家?
さてはケンジの演出だな。それにしても、一回聞いただけでよくこれだけ書けるもんだね。僕は関係ないですって顔しながら、耳はでっかくなっていたんだろう。いや、実に面白い。大学行かなくても、いろんな所に勉強になることがあるんだね。
ところでひとつ気になる点があるんだけどいいかな?70過ぎの老人は役に立たないって箇所があるけど、俺、今年70なんですけど、、、、
身体も元気だし、仕事もあるし、もうちょっと役に立っていいかな?役に立ってはいなくてもまだまだ現役でやりたいの、許して。
もうひとつ、これは日記なので、今日あったことを書かせてもらいます。
仕事中、午後2時半過ぎに食事休憩に入っている時、何か胸の辺りが痛痒いようないやな感じがしたんだ。ヤバいことも頭に浮かんだけど、いやいや、気のせい気のせい、大丈夫と打ち消した。ひどくはならなかったけど、違和感は続いた。休憩が終わりしばらくして、姉からラインがあった。
『妹が、2時頃から、心臓の手術中』という内容だった。そんなこと何にも聞いていなかった。姉には言っていたらしいけど、俺には心配かけまいと黙っていたとのこと。
よく、双子は同じところが痛くなるとかいうけど、妹は4歳下、それでも血の繋がりってやつかな。きっと大丈夫だと思う。もう、俺の胸もなんともないし。
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